第12話 鬼と令嬢と奉行所・後
オリネオ奉行所、火付盗賊改、ノブタメ=タニガワの部屋。
「む! ううむ・・・」
マサヒデの雲切丸を前に、鬼のノブタメが唸る。
只の物なのに、この刀の周りの空気が違う。
ノブタメも刀好きだが、本物の名刀と呼ばれる物をこうして見たことはない。
これが名刀と呼ばれるものか。
「では、失礼して」
懐紙を出し、口に咥える。
手に取った瞬間、はっきり分かった。何かを感じる。
身体が、これは違うと何かを教えている。
拵えもなく、白鞘で握ってみても、この釣り合いの取れ方はどうだろう。
一見、長くて反りが深いから、先に持って行かれるかと思ったが、全くない。
腰の踏ん張りが良く、重さの釣り合いがしっかり取れている。
「・・・」
くい、と鯉口を切って少し抜いた時、はらりと懐紙が落ちた。
驚いて口が少し開いてしまったのだ。
あ、と、はらりと落ちていく懐紙を見て、一旦納める。
「や、これは失礼を」
懐紙を口に咥え、もう一度抜く。
窓から差す朝の日を、きらりと反射する雲切丸。
「む、む・・・」
くす、とクレールとシズクが小さく笑って、顔を見合わせる。
少しして、すうー・・・と鞘から抜いていく。
窓開けしてあるのは、2寸程。
その2寸が、朝日を浴びて、恐ろしい程に美しく煌めいている。
「雲の切れ間から差す光みたいに綺麗だから、雲切丸って言うんだそうです」
「ううむ・・・」
懐紙を咥えたまま、ノブタメが唸る。
「ふふふ。お奉行様、コウアンの作とはハチ様からお聞きですよね。
それだけではなく、これ、国宝の酒天切コウアンの兄弟刀なんですって」
「は」
思わず口を開けてしまい、またノブタメの口からぱらりと懐紙が落ちていく。
「酒天切と!?」
「兄弟の刀ということは、酒天切コウアンと、同じ斬れ味って事ですよね。
さ、お奉行様。その刀、こう、刃を上に向けて、横にしてもらえますか」
「・・・」
言われるまま、ゆっくりとノブタメが刃を寝かせる。
クレールがそっと膝を進め、横に座り、
「これには、お奉行様も驚きますよ。
もしかしたら、腰を抜かしてしまうかも」
すう、とクレールが懐紙を上に持っていく。
「まさか」
ふ、と笑って、クレールが手を離す。
はらり・・・
何の引っ掛かりもなく、2つに斬れた懐紙が、ふわふわと落ちていく。
いくら斬れると言っても、刀なのだ。
重さをかけねば、斬れないのだ。
では、紙の重さと、落ちていくふわりとした動きだけで斬れたというのか?
今、目の前で見たものは、現実。お伽噺ではないのだ・・・
「まさか・・・」
「うふふ」
口を押さえて、クレールが笑う。
驚いて、口を開けて雲切丸を見つめるノブタメ。
クレールが、ぷち、と髪の毛を抜く。
「さあ、お奉行様。こちらも御覧下さい」
クレールが摘んだ髪をノブタメの前に。
「ま! まさか!?」
ゆっくりと、クレールが指を下ろし、雲切丸の上に。
ふわり・・・
刃の上に乗ったクレールの髪の毛が両断され、ふわふわと落ちていく・・・
クレールが髪の毛が飛ばないように、ゆっくりと下がって、座布団に座る。
畳に落ちたクレールの髪の毛が、きらりと日の光で煌めく。
ノブタメが目を見開いて、落ちた髪を凝視している。
「・・・馬鹿な・・・」
少しして、ぽつりとノブタメが呟く。
クレールとシズクが笑顔を向けて、
「カオルさんが言ってたの、何でしたっけ? ふつごう? ふつうごう?」
「何だっけ? 6人斬れるって、あれだよね」
「マサヒデ様だったら、10人も斬れちゃうって言ってましたね」
「ねー。すごいよね」
「・・・」
6人斬れる。六ツ胴だ。
この刀は、六ツ胴。
魔剣よりも少ない、六ツ胴の刀。
それも、この斬れ味は、ただの六ツ胴ではない。
6人以上は重ねられないから、六ツ胴というだけだ。
クレールの言う通り、使える者が使えば10人も斬れる。間違いない。
ぞくり、とノブタメの背を何かが走る。
「これが、コウアンなんです」
「あ、カオルの真似」
「えへへ。格好良かったですか?」
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ノブタメが手の震えを抑えながら、慎重に雲切丸を納める。
そっと箱に戻して、開けた袱紗を包み直し、シズクに差し出す。
「お見苦しい所をお見せして、失礼致しました」
「これを見れば、誰でも驚いてしまいますよ。
刀を知らない私達も、びっくりしてしまいましたから」
「や、仰せの通り、これには腰を抜かしてしまいました。
いやはや、眼福とは正にこの事。
その上、この手に出来るとは。
このタニガワ、生涯忘れられません」
ノブタメが湯呑を取って、冷めた茶をぐっと飲み干す。
「ふう・・・これが、コウアン・・・確かに違う。
素晴らしい、などと言葉で表せるものではありません。
いや、研ぎ上がった姿をいつか拝見したいものです」
「旅から戻ったら、イマイさんに研いでもらうそうですよ」
「ほう。あのイマイ殿」
「あ、ご存知でしたか?」
「いや、直接お会いした事はありません。
ですが、この町の職人の中では、指折りのお方。名は存じております」
「虎徹の橋の向こうにありますから、お奉行様も機会がありましたら、一度お訪ねになってみては? 色んな刀を見せてくれるんです。特にご注文がなくても、見学は自由だそうですし」
「ほう」
「マサヒデ様も、カオルさんも、すごい刀を見せてくれたって喜んでました。
そうそう、守り刀もイマイさんが研ぎを手掛けるそうですよ。
お父様、あの、カゲミツ様が、お任せしたいってお願いしに行ったんです」
ノブタメは少し驚いて、
「なんと、カゲミツ様が!
剣聖から足を運んでの名指しと・・・それ程の腕前でしたか。
ふうむ、私も研ぎに出してみましょうかな」
「お奉行様から研ぎの依頼が来たとなりましたら、イマイさんも喜びますよ」
「だね! でも、お奉行様も、イマイさんに会ったらびっくりすると思うな」
「はて、それは何故」
「腕利き職人って感じ、全然しないんだ。
でさ、すっごく話しやすいし、話してて楽しいんだ。
でもさ、やっぱり刀を見る時は目が変わるんだよ。
怖くないけど、目がきりっとなって、ぎらって」
「ははは! 面白そうな御仁ですな」
「面白い方ですよ。私、のたれ、とか、きんすじ、とか教えてもらいました」
「ふふふ。クレール様も、刀の楽しみ方を覚えましたか」
「少しだけ!」
「いつか、クレール様と刀談義でも致したいものです」
「うふふ。もっと勉強しませんとね」
「クレール様、この道も深いですぞ。
そう、ワインと同じくらい深いと思って頂ければ」
「そんなにですか!?」
「ふふふ。見られるようになりますと、1日を1本の刀を眺めているだけで過ごせるようになるほどです」
「そんなに!?」
「クレール様、暇が無くなっちゃうね。
ラディみたいになったりして」
「ううん、ワインに酒に料理、刀に服に装飾、絵に茶器、歴史も合せて・・・
魔術も勉強しませんと・・・覚えることが一杯です・・・」
「ははは。貴族の御方はお忙しいですな」
「クレール様、そろそろ行こうか。
私も鉄棒、外に置きっ放しだから、迷惑だし」
ん? とノブタメがシズクに顔を向け、
「鉄棒? 迷惑?」
「ええと、中に得物を持って入れないから、預けますよね。
でも、私の得物、中まで全部鉄だから、外の壁に立て掛けてあって。
重いから、人族だと運べないから」
「何と!? シズク殿の鉄棒は、鉄張りではなかったのですか!?」
「うん。中も全部鉄。それも、鍛冶族の鉄だよ!」
これにはノブタメも呆れてしまった。
まさか、総鉄製だったとは・・・
わざわざ鍛冶族に頼まずとも、普通の鉄で十分であろうに。
「普通の鉄で、十分でしょうに・・・」
「普通の鉄だと、曲げれちゃうから、鍛冶族に頼んだんだ。
私が曲げれるなら、他にも曲げれる人、いると思うから」
「左様で・・・なるほど・・・」
あの太さの鉄を曲げることが出来るとは。
そんな者は、魔族にもそうは居ないだろうが・・・
「じゃあ、クレール様、行こう」
「そうですね。お奉行様、お時間頂き、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
クレールとシズクが頭を下げ、タニガワも頭を下げる。
「いやいや、こちらこそ、ありがとうございました」
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