最終話 終わりの先で

「アインさん……うさぎさん……」


 温かい声が、私を包み込む。


 人の形をした、大きすぎる光がそこにいた。


「私は生命の神。ようこそ、死後の世界へ」


 キョロキョロと辺りを見回す。午後の陽ざしのような光に満ちた空間で、私はふわふわ浮いていた。


「死んだのか?私」


「そうです。風邪をこじらせてしまって」


 最期とは、あっけなくやってくるものだ。 


「動物愛護の神が、色々とご迷惑をおかけしました。余計な葛藤を味わわせてしまったことと思います」


 丁寧に頭を下げられ、私はあわててお辞儀を返した。


「あなたはあちらの、生命の輪の中に入ります。動物愛護の神から既に聞いていると思いますが、人間に生まれ変わることができますよ」


 生命の神が示す先に、巨大な輪っかがあった。無数の光の玉が、ふよふよと輪に吸い寄せられている。


「あれを通ったら、すぐ、人間に生まれ変わるんですか」


「通ったら、といいますか……。まあ詳しい仕組みは、神のみぞ知る、ということで」


 あまりにまばゆいため、表情をしっかりと確認できないが、微笑んでいそうだった。


「原則、今世での記憶はなくなってしまいます。こちらの不手際でご迷惑をおかけしてしまいましたから、最後に思い残すことがないかお聞きしたく、この場にお呼びしました」


「お気遣いいただき、どうも……」


 私は、ほとんど考えなかった。ずっと気にかかっていたことがあったから。


「ジョンソンは、どうなりましたか。元気でしょうか」


「ええ。元気ですよ。以前関わりのあった男の子の家に、引き取られたと聞きました。人間に生まれ変われることを伝えたら、喜んでいたそうです」


 あの、憎たらしい男の子のことだろう。ジョンソンは気に入っていたから、まあ良しとしよう。裕福そうではあったしな。


「他には、ございませんか」


「……特に」


 元ご主人様がいつ生まれ変われるのか、気にはかかった。


 でももう、私には、関係のないことだから……。


「今世では、お疲れ様でした。来世での働きにも、期待しています」


 私はまばゆい光に包まる。まどろむような心地良さの中で、私は目を閉じた。




★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




「先輩!また1件、子猫の目撃情報来たっす!」


「春は出産ラッシュだからな」


「もう2日も寝れてないっすよう。限界に近い」


「ぐだぐだ言うな、ジョン。こうしている間にも、罪なき動物たちがあまざらしになっているんだぞ……。1匹でも多く、命を救わねば!」


「でた~。時代遅れの熱血漢」


「悪いか!」


「からかってるだけっすよ。先輩のそういうとこ好きっすから!」


 ここは、私の立ち上げたNPO。日々、捨てられた動物の保護に勤しんでいる。


 里親を見つけるまでが、私たちの仕事。後輩の丈一郎(通称ジョン)とのツーマン操業だが、なんとか頑張っている。


「よし、できた」


 私はエンターキーを押す。コピー機から、完成したポスターが出てきた。


「どうだ」


 ジョンがペットシーツを変えながら、目を向けた。


「おお~。里親募集のポスター、できましたか!パッと見て分かりやすい」


「だろ?明日から希望者殺到間違いなしだ。気合いいれていかなきゃ!」


「了解っす!」


 ピンポーン。とインターフォンが鳴った。


「早速だな」


「ポスターの効果、もう出ましたね」


「貼る前に出るわけないだろ」


 軽やかに笑って、私は玄関を開ける。


「あの、里親募集をしてるって聞いて……。うさぎとか、いませんか?」


 心臓が、ドクンと高鳴った。


 スラッと立つ可憐な女性に、目が釘付けになる。

 切りそろえた前髪。長い睫毛にふちどられた瞳。枝のように細い手足。


 強烈な懐かしさが、私の胸を焼いた。


「どうかしました?」


 女性が、怪訝そうに私を覗き込む。


「い、いいえ!すみません。うさぎ、今ちょうどいるんです。見ていかれますか?」

「ぜひ!」


 彼女を部屋に招き入れて、スリッパを出す。後ろから、「あの」と遠慮がちな声がかかる。


「どこかで、お会いしたことありますか?」


 私は彼女を振り向いた。


「実は、僕もなんかそんな気がして……」


「中学校が同じとか、でしょうか?私東中です」


「僕は南中だなあ。あ、部活は何でした?」


「バスケ部の、マネージャーをやってました」


「僕、バスケ部でした!」


「じゃあ、大会とかで会ってたかもしれませんね!失礼ですが、おいくつですか?」


「28です」


「同い年だ!やっぱり、地区大会で一緒になってたんですよ」


 と彼女は微笑むが、私はなんだか寂しかった。

 そんな、ありふれた一期一会的な出会いじゃなくて、もっと、こう……。


 彼女を伴い、うさぎのゲージの前に立つ。


「昨日、保護したばかりなんです」


 隅で丸くなって、私たちを睨んでいる。


「うさぎって、繊細で臆病なんですよね」


 彼女が呟く。


「よくご存じですね。飼われてるんですか?」


 彼女は、首を横に振った。


「昔から、夢にうさぎがよく出てくるんです。この子にそっくりな、小さくて、耳が短めで、茶色いうさぎが」


 さみしげに揺らいでいた瞳を、ハッと上げる。


「すみません。こんな変なこと、話してしまって。……初めてお会いしたのに」

「いいえ。面白い夢ですね」


 私は内心、ワクワクしていた。


「もっと、話を聞かせてください」

「いいんですか?」

「よくないっすよ。忙しいのに」


 ジョンが横から口を挟む。


「ご、ごめんなさい」


「まあ忙しいのは事実ですが……。もし引き取っていただけるとうことでしたら、これから何度かお会いすることになります。その時にぜひ、教えてください」

「変わった方ですね」


 彼女は口元を抑えて笑う。花が咲いたような笑顔に、不思議と安堵を覚える。


「そうなんっすよ。この人昨日も、ペットフード食べられそうだなとか言い始めて」

「お、おい!そういうことをベラベラ話すな!」


 部屋が、温かな笑い声に包まれた。


 笑いながら、涙が出そうになる。


 やわらかな彼女の笑顔を目に焼きつけるように、私は何度もまばたきをした。

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うさぎ(いつか)人間を食べる 春日野 霞 @haruhino_kasumi

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