伊勢海老を喰う女
佐藤シンヂ
伊勢海老を喰う女
ニュースではどう報じられているのだろう。
殺人未遂の容疑で逮捕されたのは、会社員A(27)。購入した伊勢海老を使用し交際相手の男性の顔面を傷つけ殺害しようとした罪に問われています。男性は意識不明の重体です。
何一つ間違いなく言えばそんな所だろうか。
「もっと詳細を話して下さい」
坊主頭の弁護士さんが眼鏡を直しながら言う。ぴりぴりした表情だが、彼の質問には答えたはずだ。
私は家に来た恋人を伊勢海老で滅多刺しにして殺そうとした。だから有罪にしてほしい。
「いや、そもそも何ですか凶器が伊勢海老って。まさか恋人を殺害するために購入を?」
勿論食べるためである。凶器に使うなど想定外だ。
「確か1尾1kg3万を3kg分でしたか。あなたの収入を踏まえるとかなりの出費では?」
それはその通り。手取り12万としては9万はかなりの出費である。
「なぜそんな高価な物を?」
弁護士さんが理解できないと説明を求めるので、購入までの経緯を話すことにした。
私は動画サイトで大食い系の動画をよく観るのだが、そこで若い女の子が3kgの伊勢海老を丸齧りする動画を視聴した。
生活に余裕はなく趣味も贅沢も抑制していたが、その時は我慢できなかった。あまりにもおいしそうだったし、伊勢海老はどんな味かと興味がわいた。
「それで3kgは思い切ったものですね」
私も多いと思ったが、動画と同じシチュエーションで食べたかったのだ。普段の食事が全く味気ないものだから、動画と同じようにおいしく食べてみたかった。
その後、通販で手頃な伊勢海老を探していると、1kg3万円の巨大な海老を発見する。他のはどうも動画より小さかったので、かなりの大出費を覚悟して三つ購入した。
「では事件当日に食べたと」
そうですと頷いた。ただその日も残業で帰宅も遅く、海老にありつけたのは深夜だった。
「職場のタイムカードにはその日の退勤時間は17時半とあったようですが」
単純に部署のルールによるもので、定時でタイムカードを切るようにと言われている。それを知らず過去に残業して時間通りに切った時はひどく叱られたものだ。
「残業は無能者がやるものだ。そんな輩に残業代を要求する権利はない」と。
事件当日に残業をしたのも、後輩が『私のせいで』ミスをしたので責任を取って後始末をしたからだ。帰宅した時はもう11時だった。
「それで、帰宅後に伊勢海老を……恋人さんはいつ頃いらっしゃったんですか?」
確か12時近くだったと思う。入浴した後に伊勢海老の準備を終えて、食べようとした時に呼び鈴が鳴ったのを覚えている。
「彼と一緒に食べたんですか?」
私は首を横に振る。彼はいつも呼び鈴を鳴らすだけで、出ようとするとすぐ帰っていく。その日も同じでまたドアの前で呼び鈴を鳴らしブツブツ言っているだけだったので、一人で食べることにした。
1尾めは刺身にした。山葵醬油とコチュジャン、切り分ける鋏も用意。
身を切り分ける時は緊張したが、大きなぷりぷりの身は白く輝きふるふると震えており、見ているだけで生唾を飲んだ。
そしてついに、念願の一口めを食べた。
「如何でした?」
まず感じたのは山葵と潮の匂い。そして噛んでみると弾力がすごかった。さすが3万の伊勢海老、まるで繊維の詰まった巨大なゴムのようだ。因みにコチュジャンをつけると辛い香りのするゴムになった。
「……ゴムですか」
思えば不思議なものだ。朝6時から深夜まで働き、呼び鈴とドアを蹴る音を聞きながら寝る。そんな日々から生まれたお金が、こうして伊勢海老の形に変わった。
その時の私は9万円を使ってあの日々を味わい、あの日々を費やして9万円を食べていたのだ。
「肝心の味はどうだったんです」
弁護士さんの質問に、私は迷いなく答える。
生活費の半分以上を叩いて得た贅沢品の味は……驚くほどに無だったと。
「………」
何度も何度も咀嚼したが、本当に味がしなかった。とどのつまりいつもの味気ない食事と一緒だったのだ。それに気づいた瞬間、まだ捌いていない伊勢海老を持ち呼び鈴が鳴り続けるドアへ走った。
勢いよく開けたので、前にいた彼は当然ながら突き飛ばされる。廊下へ倒れ込んだ彼は私に気づくと、怯えたような表情で見上げてきた。
するとその顔が何だか別のものに見えてきて、無性に消えて欲しくなった。そのまま馬乗りになると、手にしていた固い伊勢海老で顔を叩く。
伊勢海老はすごかった。その一発だけで彼の顔は僅かに歪んだのだ。それを見た私は何かに取り憑かれたように、何度も顔面を刺した。彼の悲鳴が響いたけど、それでも手は止まらず、悲鳴に覆い被さるような大声で喚いていた。
お前のせいで私はこんなに惨めなんだ!お前が無能なせいで!全部お前のせいだ!
それは、いつも私が自分に向けて放つ呪詛の言葉だった。なぜ彼に向けて放ったのかはわからない。やがて騒ぎを聞きつけた警察が止めに入り、気づいた時にはもう彼の顔はぐちゃぐちゃで血塗れだった。
連行される際に返り血を浴びた自分を見た時はショックだった。無能な自分は、こんな暴力ができてしまう人間だったのだと。その本性は社会不適合者どころではなかったのだと。
彼には申し訳なく、合わせる顔もないと項垂れた。
「あんたねぇ、」
弁護士さんはため息を吐いた。こんなの弁護のしようもないと呆れたのだろうか。
「ストーカーに謝ってどうするんです」
驚いて顔を上げると、声色通りに心底呆れた表情をしていた。
「彼は恋人じゃなくてストーカーですよね。本当はわかってるでしょ?過去に一度通報してるようですし」
それは違うと否定する。確かに過去にストーカーかと思い通報したが、調査をしてくれた警察には違うと判断された。それから何度も彼が来るたびに通報したが、デマはやめろと厳重注意を受けたのだ。それなのに、ストーカーだって?
動揺する私に弁護士さんは淡々と言葉を続ける。
「実は彼、『ここ』の偉い方の子供らしいですよ。何度も警察に相談したのに勘違いだのデマだのと取り合われなかったのはそのせいです」
いや、違う。ストーカーは私の思い込みだ。毎日私に会いに来る彼は『恋人のはず』なのだ。必死で弁明する私に弁護士さんは頭を痛めた様子だった。
「毎日毎日呼び鈴鳴らしてドアを蹴ってブツクサ言う奴が恋人なわけないでしょう……ご自身の心を守るために恋人だと思おうとしたのはわかりますがね、それは自傷行為に過ぎない」
自傷行為?と聞き返す。
「誰も助けてくれない。だから辛さを受け入れるために自分のせいにしている。立派な自傷行為ですよ。大体仕事のことだって、本当にあんたが悪いかも怪しいものだ。こちらも調べましたが、明らかに一人で数人分もの仕事が割り当てられていた。典型的なパワハラです」
それも違うと否定した。あの量の仕事は私だけではなく皆やっているからできて当たり前なのだ。
「本当に?やらなくていい仕事も押し付けられていませんでしたか?」
ええ、勿論。即座にそう返そうとしたが、なぜか事件当日の後輩のミスが頭を過った瞬間、言葉に詰まってしまった。
黙り込んだ私に弁護士さんは肩を竦める。
「今回の事件は精神的に追い詰められた結果発生した……というところですか。でも相手が相手なので、十分正当防衛とも取れます。裁判でも主張は通るでしょう」
……あんなの正当防衛じゃない。あの時の私はストーカーだとか関係なく、無性に彼に死んで欲しかった。そんな殺意の籠った暴力は正当防衛じゃない。殺人者の性質をもつ人間であることに変わりはない。
弁護士さんはまたしても呆れた様子で答えた。
「性質とか関係ないです。そもそも殺人は条件さえ揃えば誰だってやる可能性はあるんですから、今回のあんたもその例に過ぎませんよ。それに相手の彼だって、あんたを殺す条件が揃いつつあっただろうし」
それは、私に非があるからではなく?
「非がないのにも関わらず、です。まあ彼の殺意はあんたに向かっても、あんたの殺意の矛先は彼かどうかも怪しいですがね。何にせよその辺含めて弁護させて頂きますよ」
殺意の矛先と言われて首を傾げてしまう。
私が殺そうとしたのは、彼ではなかったと言いたいのだろうか。
「それにね、話を聞いていたら伊勢海老が可哀想になってきました。無味のゴム呼ばわりだなんてあんまりです」
……それについてはごめんなさい。そう謝ると弁護士さんの声は少し柔らかくなった。
「あんたはしっかり心を治して、改めて伊勢海老を食い直すべきだ。自分を労りながらね。それを最終ゴールとしましょう」
それは……私にそんなゴールを目指す資格があるのだろうか?
俯きながら問いかける私に弁護士さんは答える。
「頑張った人は誰でも『自分は頑張った』と胸を張る権利があるんです。ではまた明日」
弁護士さんはガタリと椅子から立ち上がり、面会室を出て行こうと背を向ける。
短いようで長い問答の中で沢山言葉を交わしたが、最後にもう一つだけ答えて欲しいことがあった。
部屋を出ていく所を呼び止めると、弁護士さんの厳かな表情がこちらを振り返る。
「……私、頑張ってました?」
初めて自分自身の心から出た質問に、弁護士さんもまたそれに合わせて表情を変えた。
「ええ、この上なく」
伊勢海老を喰う女 佐藤シンヂ @b1akehe11
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