迷子の春
時輪めぐる
迷子の春
今年の桜の開花は、全国的に遅いそうだ。
僕の桜も咲かなかった。
今日あった国立大学後期の合格発表に、僕の受験番号は無かった。けれど、私立の補欠合格が繰り上がる可能性は、ゼロじゃない。ゼロじゃないけど。
「可能性は、かなり低いな」
声に出しても、夜の公園に、僕を
発表後の
(何でだよ。どうして、咲かないんだよ。あんなに頑張ったのに)
不意に、涙が
(泣きたくない。泣いたら、心が崩れ落ちる)
無理やり顔を上げると、
(何だろう。ふわふわした綿毛みたいな光)
僕は、
(こんな時間に、小さな女の子が? 公園に来た時には居なかった。いや、気付かなかったのか?)
公園といっても、さして広くもなく、端から端まで一望できる程度だ。誰かが居たら、気付くはずだ。僕が
更に近付き、よく見ると、両目に手を当てて、泣いているようだった。
小学校低学年くらいに見えた。
天女の様な服装で、白く柔らかな
何かの撮影なのだろうか。僕は、辺りを見回した。が、撮影者の姿はない。
全身が淡く発光している。人間ではないのかもしれない。では、幽霊とか妖怪の
良い香りと共に、うららかな
「どうしたの? 大丈夫?」
思わず声を掛けてしまったが、頭の中に『声かけ事案発生』という語句が浮かんだ。
「べ、別に、怪しいお兄さんではありません」
付け加えたが、自分を怪しくないという奴は、怪しさ百パーセントだろうと思った。
女の子は顔を上げて、僕を見た。
「我が名は、
近付く僕に、驚くような
(さほひめ?)
お姫様だとしたら、ため口は駄目だろう。
「迷子なのでしょうか?」
佐保姫は、恥ずかしそうに
「お家は、どちらになりますか?」
「奈良の佐保山の辺りじゃ」
「奈良ですか」
「佐保川という川の側である」
「そこまで、お分かりでしたら、お帰りになれるのでは?」
「ほ、ほう……」
「はい?」
「方向音痴なのじゃっ!」
京都から奈良に帰ろうとして、ここ東京まで飛んで来てしまったと。
「飛ぶことが、お出来になるのですね」
「うむ。女神じゃからな。ほれ、この領巾で」と
「普通に飛ぶ分には、何処でも行けるのじゃが、戻ろうとすると、前回、出発した所までしか、戻れぬ。それが難点なのじゃ」
佐保姫は、京都から奈良に戻ろうとして、色々な所に降り立ってしまい、最終的に、東京に降り立ったのだという。
つまり、現時点で、領巾の戻る機能で戻れるのは、直近の出発点、何故か、長野県だと言う。
(どうしたら、そうなるんだよ)
突っ込みたいのを、我慢する。
「では、僕がご案内いたしましょうか」
「一緒に飛んで、
「はい。佐保姫様が、よろしければ」
「では、ちこう寄れ」
隣りに立つと、右手を広げ、春霞の様な領巾でふわりと僕を巻き込んだ。良い香りに包まれる。
「参るぞ」
「ちょっと待ってください」
僕は、スマホを取り出して、地図アプリを起動し、目的地を設定した。
「何じゃ、それは」
「ナビゲーションシステムにございます。これが目的地まで案内してくれます」
「ふむふむ。便利じゃのぉ。それがあれば、迷子にならぬか」
「ああ、いえ。僕の母など、これがあっても迷います。方向音痴は才能かと」
「そうなのか。使えぬのう」
「では」と言って、僕の背中に回した手と反対側の左手で
「行くぞ」
「は、はい」
飛ぶというのは、どんな感じなのだろうか。などと考えている内に、公園の上空まで垂直に上昇していた。
(う、浮いてる!)
「さて、どっちじゃ?」
「西南に進んでください」
「西南が、どちらか分かるのなら、迷ってはおらぬわ」
佐保姫は、頬を
「えっと、只今、月が上って参りました方が東にございます。月を背にしばらく飛んで頂ければ」
「あい、分かった。体を水平に。こうじゃ」
佐保姫は、中空に腹ばいになった。
空気抵抗を少なくするのだろう。
僕も同じように隣に腹ばいになると、体が前に
「どうじゃ? 面白いであろう?」
「おお! 空を飛んでいます!」
「領巾を離すでないぞ。落ちるからの」
サラッと、怖い事を言う。
三月下旬の上空は、寒いかと思ったが、春霞の様な領巾の
進行方向左手に、オリオン座や冬の大三角形が見えるはずだ。星空を飛べる日が来るとは思いもしなかった。
こうして飛んでいると、大学受験失敗の苦しみや悲しみが、大した問題ではないような気がしていた。
「佐保姫様、今年は桜が咲くのが遅いのは、どうしてなのですか?」
残っていた疑問を投げかける。
「桜はの、冬の寒さによって眠りから覚め、花が咲くのじゃが、今年の冬は寒さが足りなかったの。冬を
宇津田姫を知らないが、つまり、暖冬の所為という事らしい。
「人間も同じじゃ。冬の寒さがあればこそ、花は開くもの。先程、我も泣いておったが、そなたも泣いておったの」
「……お気付きでしたか」
佐保姫は、いつから公園にいたのだろう。
「悲しみは伝わるものじゃ。そなたが、我を見付けたのも、同じ事」
そうか。悲しかったから、泣いている佐保姫を見付けられたのか。
どの位飛んだだろうか、眼下に大きな湖、たぶん、
「佐保姫様、湖を通り過ぎたら、南へ下ってください」
「南は、どっちじゃ」
「左です」
「我にも、それを見せてもらえぬか?」
僕は、スマホを手渡した。
「むむ、面白いの。あっ! 落としてしもうた」
佐保姫の手を離れ、僕のスマホは、無慈悲に落下していった。
子供の手には、大き過ぎた。などと言っている場合ではない。
下は、琵琶湖だ!
「わぁああああ」
「すまんの」
パニくる僕を尻目に、落とした張本人は、
すると、スマホは重力に逆らって浮上し、佐保姫の手に戻って来た。
「ほれ」
手渡されたスマホを、ガッチリと握り締めた。
「おお、京の都が見える」
「此処を左です」
「何と! 東大寺が見えてきた」
「その手前で……」
「此処まで参れば、我にも分かる」
佐保姫は「体を立てよ」と続けた。
体を垂直にすると、佐保姫と僕は、ふわりと地上に降り立った。
佐保山は、山といっても
「佐保川沿いの桜並木も、今年は遅れておるのじゃ」
少し寂しそうに言い「我も頑張らねばな」と両手を握りしめた。
「さて、世話になった。お
「えっ?」
「帰ってからの、お楽しみじゃ」
佐保姫は、片目を
すると、その姿は、若い女性の姿になった。
「移動の時は、子供の方が目立ち
輝くお姿は、一層美しく
「えーっと、僕はどうやって帰れば……」
言葉が終わらない内に、僕の体は春霞の領巾に包まれ、出発点の東京に戻っていた。
僕を公園に降ろすと、領巾は、ふわりと浮き上がり、消えた。
公園の中央にある樹齢五十年ほどの桜の樹の下に僕は居る。
スマホで時刻を確認すると、家を出てから三十分程しか経っていなかった。
「そんな馬鹿な。地図アプリによると、飛行機で片道一時間以上掛かる。三十分といったら、家から公園まで歩いて、ブランコに座って、ちょっとした位じゃないか」
超高速で飛んだら、星や景色は、あんなにハッキリ見えはしないだろう。どういう事なのだろうと考えて、はたと、思い当たった。
(
自分は本当に佐保姫に会ったのだろうか。夢でも見ていたのではないのだろうか。段々、自信が無くなって来た。
その時、スマホが鳴った。母からだった。
「どこにいるの? 冷えてきたから、戻ってらっしゃい」
懐かしい声がした。人生迷子の僕が帰るべき場所。
帰宅してから、調べてみると、佐保姫は、春を
暖冬だったのもあるが、桜の開花が遅いのは、佐保姫が迷子になっていた
月末まで待ったが、私立大学から繰り上げ合格の連絡は来なかった。
浪人確定だ。冬の寒さを十分に味わおう。次の開花の為に。
しかし、数週間後、僕の桜が咲いた。
予備校で、人生初の彼女が出来たのだ。
こっちの桜だった。
「帰ってからの、お楽しみじゃ」
鈴を転がすような佐保姫の声が蘇る。
公園の桜は、満開になっていた。
迷子の春 時輪めぐる @kanariesku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます