4.浮かれているのは柏餅のせい


 そんな騒動から二週間が経った頃、ライ麦畑のデインジャーのボーカルのGENが婚約したという報道が飛び出した。渚ミュージックフェスティバルという隣市の海辺に建つ音楽堂で開かれたフェスで、突然発表されたそうだ。人気絶頂の彼らのことは、テレビやネットニュースなどで話題になった。熱愛相手は一般人ということで詳細は公表されていないが、銭湯にゴンゾウさんを迎えにくる弥生ちゃんが日に日に明るくなっていくのは、私にもわかる。


「弥生ちゃん! 今日お仕事早く終わったの?」


「うん。だからまた早めに来ちゃった」


「えへへ、こんな私でよければいっぱい見てって」


「ふふっ。がんばってね」


 弥生ちゃんと仲良くなれた私は、猫さんたちに呼ばれまくり、泡を立てまくり、湯をかけまくる。いつもの仕事だけど、友達がニコニコしながら見てくれていると思うと、ものすごくがんばれる気がする。


「あ、湊くんだ」


 湊くんが、また差し入れを持ってきてくれた。今日は何だろうと思っていると、彼はカラカラという軽い音をさせて浴室の引き戸を開けた。かなり軽い造りで放っておいても勝手に閉まるため、猫さんも自由に出入りできるようになっている。でも泡だらけで出ていってしまう猫さんはいない。みなさん、とてもお行儀がいいのだ。


「いつもありがとう、湊くん。ロッカーに入れておいてくれればいいよ」


「お疲れ様です。もう入れておきました。今日は柏餅ですよ」


 ジーンズの裾をまくって裸足になった湊くんが、浴室に入ってきた。いつも一人で仕事しているから、何だか楽しい。


「わぁ、柏餅かぁ。もうそんな時季なんだね。楽しみ」


「にゃ! みなとぉ! みなといいにおいー!」


「そ、そんなに湊くんいい匂いします? あ、じゃなくて私が汗臭いのか……すみません……」


「るいこはぁ、くさくないけどぉ……、みなとはいいにおいなの」


 ゴンゾウさんが私を気遣うようなことを言ってくれる。猫だって人に配慮することはできるのだ。


「そうですか? それならいいですけど……あれ? 上村かみむらオーナー……?」


 視界の端に銭湯のオーナーが映り、ふと目をやると、彼はずんずんと浴室に向かって歩いてくるところだった。もう一度カラカラと音がして、引き戸が開く。


「お疲れ様です」


「ああ、及川さん、お疲れ様。……湊、今日は父さんの分も和菓子買ってきてくれって言ったのに、何でないんだよ」


 オーナーはどうやら息子の湊くんに文句を言いたくて来たようだ。柏餅についての文句って、よほど和菓子が好きなのだろう。わざわざ靴下を脱いで浴室に入ってくるくらい。


「あー、父さんの分はいいかなって」


「おまえなぁ……。いくら好かれたいからって及川さんの分だけって、ひどいじゃないか」


「父さん、それ、今ここで言うことないんじゃないか? というかバイトをねぎらうならおやつもっと増やせばいいのに、なかなかしないから俺の財布から……」


「違うだろ、おまえがいいヤツぶって好感度上げたいだけだろ。で? もう告……」


「にゃーっ! るいこー、あわあわしてー!」


 親子バトルをぼうっと眺めていたら、ゴンゾウさんに怒られてしまった。慌てて「すっ、すみません」と言い、猫用ボディソープを泡立てる。


 私が懸命にゴンゾウさんを洗っている間に、湊くんとオーナーは脱衣所へ行ってしまった。バトルの内容はちょっとわからなかったけど、今は仕事に集中しないといけない。


「ねえ、るいこ」


 すると床についている私の膝に、今度はベアトリクスさんが白い前足の肉球を押し付けてきた。至福の時だ。濡れているけれど。


「何ですか、ベアトリクスさん」


「まだ告られてないの?」


「こく……? 何のことですか? あ、やよいちゃんのこと?」


「違うわよ。みな……」


「及川さん! 柏餅入れてあるので! あとで食べてくださいね!」


「え、あ、うん。ありがとう、湊くん」


 湊くんが唐突に引き戸を開け、ベアトリクスさんの言葉を遮るように大声で叫んだ。彼がそんなに大きな声を出すのは珍しいため、驚いてしまう。最近話すことが多くなったけど、いつも穏やかに冷静に話しているから。


「もうっ、湊はぁ……。あたしが湊にお説教しておくから、安心してね、るいこ」


「えっ、何でですか? よくわからないけどお説教はかわいそうなので、やめてあげてください」


「……るいこは優しいわね。ま、いいわ」


 ベアトリクスさんはそう言うと、浴槽の方へ行ってしまった。彼女が「お説教しておくから」と言うということは、湊くんも猫さんと話せるようになったのかもしれない。今度会ったら聞いてみよう。


「るいこー、お湯かけてー」


「はい、じゃあかけますねー」


「るいこ、こっちもー」


「はぁい、わかりましたー」


「るいこぉ、お湯出してぇー」


「あー、はい、ちょっと待ってくださいね」


 何でだか、いつもより少し浮かれている自分がいる。何でだろう、もうすぐ大型連休だからかな、柏餅が楽しみだからかな、などと取り止めなく考えながら、私は今日も猫さんたちを洗って、湯をかける。湊くんが買ってきてくれたという柏餅は、きっとそんな私の疲れた体を癒やしてくれるだろう。


「さ、モカさん、お湯いきますよー。……はい、気持ちいいですか?」


「にゃぁー!」


 そうして多少浮かれてはいたけど、普段どおり仕事を終えた私が開けたロッカーには、一枚のメモが入っていた。


『るいこさんへ GWにどこかに遊びに行きませんか? 湊』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫の集まる銭湯は今日も大賑わい 祐里 @yukie_miumiu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ