#4(最終話) 「愛しい日々」

 白と木目を基調とした洒落た部屋。

 そんな部屋の一角の、使い勝手のよさそうなキッチンで、パスタをぐつぐつと茹でる音が聞こえている。


 風呂掃除を終えたシズクが、「ふはー」とため息をつきながら居間に戻ってきた。いつもピンと立っている金髪は、湿気でぐしゃぐしゃである。

 そんなシズクを肩越しに見た香澄は、やがて意を決したように一息つくと、言った。


 「シズク」

「何」

「テレビ、とうとうつかなくなったね」

「……」


 先日まで、シズクが「気合い」と称して喝を入れると、テレビは比較的ついていた。


 だが、近頃はもう、音声と映像が揃う事さえ稀になり始めていた。春のお花見日和のニュース映像はノイズが混じるうえに変な色合いになってしまったせいで、クオリティーの低い怪奇映画のようになっている。


 誰がどう見ても、テレビは末期症状であった。


 香澄はフライパンの中の大量のピーマンを炒めながら、言った。

「明日になったら、通販サイトでポイント7倍キャンペーン始まるんだよね」

「うん」

答えるシズクの声には、だがいつもの覇気がない。香澄はとにかく続けた。

「ね。その時に、扇風機もテレビも一緒に買ったらどうかな。そろそろ半袖出そうかなって時期なんだし、テレビと同じぐらい扇風機も要るよね」

「……」

シズクが、しょんぼりとソファに倒れる。

「出費、えぐいぃ」

「そうだね」

「無理だよアタシにとって家電を買う覚悟ってのはさ、こう事前にさ、前からさ、心の準備をさ」

「シズク」

「なに」


 お皿出して、と促すと、シズクはしょぼしょぼと食器棚に向かった。


 「でもね、シズク」

「待て、どんな理由言われてもアタシは」

「シズクのさ、『アタシはまっすぐ迷わねぇ』のテレビでの生放送初披露、今週だよね」

「は、はぁっ!?」

意図していなかった脇腹を刺されたようで、シズクは思わず香澄の方を見た。とはいえ、急いでそっぽを向く。


 香澄はパスタにバジルをふりかけながら言った。

 「生放送、私リアルタイムで大画面で見逃したくないよ。だから、テレビは欲しいんだ」

「……なんでそんな毎回、ちゃんといそいそ見るんだよ」

「毎回ちゃんといそいそ見たいからだよ。だって、好きだもの」

香澄はさらりとそう言ってのけた。それからそっと言い添える。

「それに、ポイント7倍にテレビも含まれるんだから。それでもらえたポイントで何買うか、あとで考えよう?」


 香澄が、湯気の立つパスタの皿を持ってテーブルに寄る。


 「ね?」

 大好きな人を、愛しく見守る目。


 やがてシズクは小さく頷いた。


 「うぅっ……くぅうっ……出費えぐいけど、クレカの請求額見て気絶しないように、頑張る。家電に出費する覚悟、決めるぞ。厳しいけどっ……アタシがんばるよっ……!」

「うんうん。ほら、食べよ」

「ん」


 ちょっと焦がしたピーマンとオリーブオイルの、とろりとした香り。結局これが定番においしいよねということで、週に1回は食べている。飽きない。

 向かい合って座り、フォークを持つ。

 いつもの一口目を食べながら、香澄は人心地つく。

――でもまあ、決着がついてしまえば。

 なんだかまあ、これでいい気がする。

 これからもこんな風に、ちょっとした変化の出来事と、いつものパスタを往復する。そういう愛おしい日々を繰り返していきたいな、とそう思う。


 食後。

 シズクが風呂場でシャワーを浴びている音が聞こえる。香澄はソファで横になりながら、タブレットを引き寄せた。

「お。……なになに? マネキ兄やんの新しい動画……えっ、テレビの機能性と映りと値段比較特集?」

いいじゃない、いいじゃない。香澄は頷きながら、動画を開いた。

「結構テレビも色々種類あるんだな。でもまあそんなに多くは求めないかなあ、いや、でも……」

ぴぽん。通知が鳴る。

「ん?」


 届いたアラートが告げる。

『お客様が以前チェックされていた、扇風機『ネオの風 カラー:ホワイト』が再入荷致しました。商品詳細ページはこちら』


 「おっ」

いいじゃない、いいじゃない。香澄は眼鏡を押し上げ頷いた。ドミノ倒しに家電が崩れることもあれば、とんとん拍子に渡りに船ってこともあるんだなあ。


 香澄はなんとなく、テレビの大まかな金額と『ネオの風』の大まかな金額を計算してみた。

「ポイント7倍、ってことは……あ、そうか。確かに結構お得なのか……」

『結構お得』なんて、シズクの前で言ったらとんでもない早口で『このチャンスがいかにお得か』の理論が返ってきそうではある。


 とはいえ。

「あーなるほど。確かにこんだけポイント貯まったら、何に使うか皮算用しちゃうね」

と、香澄の指は軽い。

 羽のように軽い指は、次々と商品ページをサーフィンしていく。

「電動歯ブラシ……ノイズキャンセリングイヤホン……いや家電じゃなくても、ちょっといいパスタの試食セット……いいかも」


 自然、タブレットを操作しながらこぼれる香澄の鼻歌は、『アタシはまっすぐ迷わねぇ』であった。


 廊下に続く扉がガチャリと開いた。香澄は、「あ、シズク」と、ソファの上で半身をひねって振り返る。

「あのね、マネキ兄やんがテレビの特集してるのと、それからシズクが言ってた扇風機の白がね、在庫復活してる。ね、7倍って結構ポイント貯まるんだね。何に使おうか迷っ」

「香澄」

「うん?」


 濡れた金髪にタオルを被ったままのシズクが、言った。

「なんかさ……ドライヤーが……なんか、あの……気のせいかも、だけど」

ひくっ、と。シズクと香澄、両方の頬が震える。


「なんかさ……いや、今朝なんとも無かったはずだよな? でもさ、なんか今使ってたら……風がぬるいような、気がするんだよ……いや、全然、気のせい、だと、思う、けど」




<終>

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アタシね、扇風機を買おうと思うんだ 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo

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