#3 「気合で甦れ」

 白と木目を基調とした洒落た部屋。こだわりのカーテン、絨毯、ソファ、テレビ台。シズクが熟考の末選び抜いた、落ち着く部屋。

 だが今は、凍り付くような沈黙に圧迫されている。


 部屋の中央に置かれたソファに座っているシズク。そして、その脇に膝をついている香澄。双方、テレビを見つめている。


 状況を整理しよう。


 テレビが沈黙した。

 リモコンには何も触っていないのに、テレビが黒い画面になった。

 そして何度かリモコンをぽちぽちと操作しても、うんともすんともいわない。

 そんな、生暖かい春の夜である。


 最初に口を開いたのは香澄だった。紫色の眼鏡をそっと押し上げる。

「……あのテレビって、シズクが前に住んでた家から持ってきたテレビだよね」

「うん」

「買ってから何年目?」

「大体……8年目ぐらい」

それを聞き、香澄の顔には一種の「納得」のような、「諦め」のような、じっとりした表情が浮かぶ。

「あー……」

「あーって何。何もないよ。8年なんて8歳だよ。働き盛りだよまだまだ生きていけるぞ頑張れテレビ」

早口でそう述べるシズク。だがやはり、テレビは黒いままである。


 「いやでもさ、これは絶対にさ」

「大丈夫だって」

シズクは震える声でそう言ってソファから起き上がると、テレビに近づいた。


 ぽち、ぽち。

 リモコンをテレビに近づけ、ほぼゼロ距離で何度か操作する。


 テレビは黒い。


 「……えっと」

「これさ、やばいんじゃ」

「違う。違うよ香澄。最悪の事態を想像したらあかん。だめ。そうすると悪い結果が引き寄せられるから。だめ」

「いや別に想像してもしなくてもテレビは壊れ」

「壊れたという言葉は今からNGワードとする!」

「NGワードって何」

「言うと壊れるから! 壊れたって言った回数だけテレビ壊れる確率上がるから!」

「どんな理屈?」

「いやほんとだめ。こういう時は大抵こう電源の入り切りだからホント。まずこれよ、電源の入り切り。万物これで直るんだから。沈んだ戦艦だって電源の入りきりで息吹き返すんだから」


 コードを抜く。

 コードをさし直す。


 沈黙。


 建物の間を通り抜けてきた生ぬるい春の風が、ガタガタと窓を揺らす。どこかからやってきた救急車のサイレンが、遠ざかっていく。


 香澄が紫の眼鏡を押し上げた。

 「……これ、やばいんじゃないかなあテレビ」

「諦めるな友よ!」

「これ思うにね、家電ってほら、買い換えの時がかぶるって言うじゃん」

「扇風機は買い換えじゃねぇし」

「買い換えじゃないにしてもさ、家電を検討してるときって、それまで普通に無事だった家電が次々壊れるって、うちの店の子たちの間でもよく聞く話だし」

「いや諦めるな。諦めるんじゃない。このテレビにはまだ魂が残ってる」

「どうするの」

「……気合」

「気合?」


 ガッ!


 シズクがテレビの両端を掴み、

「オラッ!」

気合を入れた。


 ぷつっ。


 画面が揺らぎ、高級そうなブラウスを着た女性アナウンサーが微笑んだ。

「――次のニュースです」


 シズクが目を輝かせ、振り返る。ぶんぶんと手を振る。

「ほらっ!」

「いや、ほらって言われても。その気合いとやら、どう考えても一過性だし」


 香澄は、「はーっ」と大きく息を吐き、ソファに背を預けると、タブレットをぽちぽちと操作した。ちょっと疲れた表情である。

「買い替えるならさ、イッキの方がいいんじゃない? 扇風機とテレビいっしょくたに」

そう言った途端。ヒィイイ、と、これまで聞いたことも無いような悲鳴がシズクから聞こえた。さながら黒板を爪で引っ掻いたような高音、ないしは化け猫の断末魔である。

「なに、どしたの」

香澄が目を向けた先では、何か見えないハシゴに上ろうとするような、或いは無数のハエと戦っているような、とにかく奇妙な踊りを踊るシズクの姿があった。

「せせせ扇風機とテレビを同時に買う……!? そんな、そんな出費は無理だよ香澄。今月のうちの出費は扇風機って決めてるワケでさぁ! 仮に、仮に買い替えるとして来月よ、テレビは」

「え、まとめてじゃダメなの?」

「クレカの決済額で気絶したくないの! アタシは! 大きい買い物重なった月は、クレカの決済額が夢に出てくるの! 決済額に追いかけられる夢を見るの! 家電を買う覚悟は、一か月チャージしないとなの!」

「そんな大げさな……あ、っていうかテレビも通販で買ったらポイント7倍じゃない? ほら、沢山ポイント貰えるんだから」

「で、でもぉっそれは魅力的だけどっ、クレカの引き落とし前日から食欲無くすからさぁっ」

「いやいや」


 その時。


「次のニュースです」

アナウンサーが少し唇を結び、厳かに告げた。


 「来月より、テレビやパソコンを始めとする家電製品が大幅な値上げとなる模様です」


 シズクの肩が震える。香澄はタブレットをサイドテーブルに置くと、そっとシズクの肩を抱いた。

「……シズク、これはもう買えってことじゃない? 大丈夫だよ扇風機とテレビ両方買っても、ちょっと大きな出費だなで済むよ。確かにお財布には痛手だけど、貯金も一応はあるし、ちゃんと引き落とされるって大丈夫」

「ちゃんと引き落とされるかは問題じゃなくって、『こんな出費を予想してなかった』っていう覚悟の問題なんだって」

「いやもう覚悟とか言われると私も分かんないよ。覚悟なら今から決めなよ」

「やだよホントこんな急な出費ムリ。それにさ、それにだよ」

シズクの笑みはひきつっていた。

、テレビ」

そう言われ、香澄は鳩が豆鉄砲をくらった顔にならざるを得ない。

「いや、直った?」

「今ほら、映ってるじゃん」

「でも根本的にはさ」

「いーや直ったし。さっき見たでしょ? 気合い入れればテレビは直るんだよ。だから来月まで持つってコレ。いや持たせる。アタシの気合でテレビは無事に直」


 続いて株価のニュースについて話そうとしたアナウンサーの顔に、ぶぶ、とノイズが走った。


 「いやほら、やばいって」

「大丈夫、気合い気合い」


 ぶぶ。画面が正常に戻る。

 ぶぶ。ちょっとノイズが走る。

 ぶぶ。画面が正常に戻る。


 ぶぶ。テレビの音声が聞こえづらくなった。


 ぶぶ、ぶ、ぶ。

 テレビ画面の映る面積が、半分になった。


 ぶぶ、ぶぶ……ぶ……。

 テレビ画面の映る面積が、4分の1になった。



<続く>

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