#2 「黒い異変」

 世界が紺色に染まっていく夜。

 白と木目を基調にした均整のとれた洒落た部屋。部屋の主のこだわりがこれでもかと散りばめられた部屋に、

「ざ、ざざざ在庫僅少!?」


 ざわついた悲鳴が響いた。


 「うん、そうみたい」

風呂上がり、黒髪をひとまとめにした香澄は頷いた。居間のテーブルに広げていたネイルケアグッズをてきぱきと片付けている。


 シズクは、ングゥッ、と何かに絞められたような声をあげ、

「なんでだぁっ! この間まで『在庫あり』だったのに!」

「在庫状況って常に流動的なものだから……あとは」


 香澄は手元のタブレットをちょこちょこと操作してから、画面をシズクに見せた。

 そこには、


『超コスパ最高! このお値段で機能性も十分! この夏おすすめの扇風機比較してみた!』


 じゃじゃーんてけてーん、と効果音。ポップなテロップ、撮影スタッフとの小粋な掛け合い。

陽気で清潔感のある関西弁の男が、ランキング形式で扇風機を比較している。


 「商品紹介配信者の『マネキにいやん』が紹介した商品は、動画公開後にすぐ売れちゃうみたい」

「くっそぅうぅコイツに捕まる前に買おうと思ってたのに!」


 マンションゆえに具体的には暴れられないが、軽いヘドバンのような何かで心情を発散しているシズク。そんなシズクを、香澄は今度はメイクブラシの掃除をしながら静かに見ている。突然音楽にのって暴れだしたインコを見守る飼い主のような眼差しである。


 暴れるシズクにひととおり満足してから、香澄は言った。

「面白いもんね、マネキにいやん。私のお店でも商品買うか買わないかはまぁ置いといて、喋りが面白いからって動画見てる子いるし」

「あーもうこの多機能扇風機『ネオの風』はさぁっ、扇風機としてはエッてなるぐらい高いけど、めちゃくちゃよさそうなんだよなーっ! アタシが先に目をつけてたんだから紹介しないでほしかったワケ!」

「そんな無茶な」


 ある程度軽めのヘドバンで暴れると、シズクは「んぅうう」と「はぁああ」と交互に繰り返し、若草色のソファにぐったり倒れた。それを見守る香澄の目線は、予防接種から帰ってきて放心している犬を見守る飼い主の眼差しである。


 「うぅうどうしよう……7倍ポイントセール始まるの来週の月曜日からなのに……え、今日何曜日?」

「木曜日」

「金、土、日……三日間、在庫は、在庫は耐えきれるのか……!? んぐぅう」


 ずぶずぶずぶ。

 ソファに沈んでいってしまう気の毒なシズク。いつもはワックスでピンと立った金髪も、今日は心なしかへにょへにょしているように見える。


 それを見ている香澄の心はちくちく痛む。どれだけやかましくても、シズクには笑顔でいてほしいのである。


 香澄は、洗い終わって後は乾かすだけになったメイクブラシをケースに置くと、口を開いた。

「ただ実は……朗報も無いことは無い」

「朗報? どんなだよぅ」

すっかりソファと一体化してしまったシズクが、気力の無い声をあげる。

「この……扇風機の『ネオの風』なんだけど」


 香澄はタブレットの画面を切り替えた。


 「在庫の状況は、どうもによってバラつきがあるみたい。マネキ兄やんが紹介したホワイトカラーが人気みたいだけど、他の色はまだ余裕が」

「あっ、そっか! そうだよな!」

シズクの目に光が戻る。

「色によっては残ってるものもあるのか! 確かにクツとかカバンとか選ぶ時も、黒は無いけどネイビーは在庫あるとか、よくあるもんな! くぅ、仕方ないホワイトが良かったけどちょっとぐらいなら妥協しても」

「そう。だから」


 シズクに元気になってほしい。

 そんな思いで香澄はソファの脇に跪き、タブレットの商品紹介ページを提示した。


 そして言った。

「その扇風機ね、『ネオンレインボーパッションキャンディー色』なら在庫が沢山」

「絶対やだ!!」


 即座に拒絶するシズク。


 その時。

 ぷすん、と音を立てて。


「え?」


 テレビが消えた。

黒いのっぺらな画面だけが、取り残されたようにそこにある。


 「……あれ、今リモコン触った?」

シズクに尋ねられ、香澄は首を振った。

「全然触ってない」

「……え、なんで消えたの?」


 シズクはソファから起き上がると、ローテーブルに手を伸ばし、リモコンをぽちぽちと押してみた。


 テレビはうんともすんとも言わなかった。


 シズクが、ごくりと。

 緊張の味がする唾を飲み込む音だけが、静かな部屋に響いた。


 「え、まさか……テレビ……」



<続く>

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