アタシね、扇風機を買おうと思うんだ
二八 鯉市(にはち りいち)
#1 「扇風機を買うという決意」
夕暮れ時。
白と木目調の洒落た部屋。
カーペット、若草色のソファ、観葉植物に囲われたテレビ台。それらの配置全てに、部屋の主のこだわりを感じる。
そんな部屋の中央、樫の木のテーブルを挟んで、二人の女性が向かい合ってくつろいでいた。
ちょうど、いつものピーマンたっぷりパスタを食べ終わった頃である。
ショートカットを金髪に染めサイドだけを刈り上げたスタイルの女性、
「あのな、香澄」
「ん」
珈琲マシンで淹れたブラックコーヒーを飲みながら、対面の
シズクは、一つ大きな息をついてから言った。
「あのサ、あたしたちが一緒に暮らし始めてもう半年だ。そろそろ、初めての夏を迎えるっしょ?」
「楽しみだね」
「だからさ」
シズクは、女優のように間を溜め、言った。
「扇風機を買おうと、思うんだ」
なるほど、と香澄は頷いた。
「いいと思う。今から注文したら明日か明後日には届くんじゃない? えっと扇風機、扇風機」
ささっとタブレットを取りに行く香澄を、シズクはガバッと立ち上がって止めた。
「あぁああ待って待って待って待って!」
「なに」
「あのさ、待って。早すぎる。扇風機を買うお金って、大金じゃん? アタシがこの『家電を買う覚悟』を決めるまでに何週間かかったと思う!?」
「いやだって、扇風機って大体1万円しないというか」
「アタシが狙ってる多機能扇風機『ネオの風』はオプション含めると1万円超えるんだよっ」
「だとしても別に無駄遣いじゃないんだから」
「大金じゃん!?」
シズクの目から、強い圧が見えないビームとなって香澄に向けられる。香澄はそれを、何かよくわからないが毛を逆立て興奮状態の飼い犬を見るような目で受け止める。
香澄は、「まぁ……」という表情で椅子に戻った。
「じゃあ、大金って事で」
「だからさ、今買うのは違うなって思うんだ」
「うーん……じゃあいつ買うの?」
「ポイント7倍の時!」
「それはいつ」
よくぞ聞いてくれた! とばかりに、シズクは両手を広げた。
「来週! 『マネキセンキン通販』の、感謝感激ポイント7倍ウィークが始まるんだ! サイト上のすべての商品が! 7倍!」
「……なるほど」
そこからシズクは、ポイント7倍がいかに年に数回しかないか、このお得なチャンスを絶対に逃せない、という事を熱弁しながらコーヒーメーカーに向かった。
なるほど確かに。この白と木目を基調とした統一された家具の数々も、センスのいい落ち着いた絨毯も、掃除が簡単なコーヒーメーカーも、同棲の引っ越しの際、シズクが見繕ってくれたものだ。
ポイント4倍とか、まとめて買うとお得とか、期間限定セールとか。そういう情報に普段からめざとい彼女が、多分通常よりも2割か3割ほどお得に買いそろえてくれた。
「……とはいえ、かなあ」
「なに?」
振り返ったシズクの目線を無視して、香澄は無言でテレビに目を向けた。
気象予報士が、来週の気温を解説している。テロップに大きく「夏日」と書いてある。
「もうそろそろ、夏日の日があるらしいけど」
「それはそうなんだけど! でもさ、ポイント7倍はでかいんだよ!」
「はあ……じゃあ、扇風機は買うとして、また来週に」
「あぁー楽しみだ! この『ネオの風』っていうのはな、まず風速の種類だけでも」
以下略。
***
翌朝。
「じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃい」
日差しにキラキラきらめくシズクの金髪はワックスでピンと立っている。黒いパーカー、ごつごつのスニーカーも、すべてシズクのいつも通りの姿だ。控えめのメイクを隠すため、大きな伊達眼鏡にマスクをつけている。
仕事に向かうシズクの姿がコンビニの角に消えるのを見届けてから、香澄は居間に戻った。美容師の香澄は、このように平日が休みになりがちである。
居間のテレビでは、朝のワイドショーが流れている。消そうと思ってリモコンを手に取った時、話題が切り替わった。
「破天荒歌手、シズク。新曲『アタシはまっすぐ迷わねぇ』が大ヒット! 過激な歌詞の裏で絶対に明かされないプライベートに迫る!」
テレビ画面には、
「おいお前、撮るんじゃねぇ」
と言ってテレビカメラを手で押しのける、“破天荒歌手シズク”の姿が映っていた。
「……」
香澄はそっとテレビを消して、自室に戻る。ワイドショーで取り上げられるようなシズクの姿に興味はなかった。
PCデスクの前に座り、立ち上がったままの通販サイトを見る。
そういえば昨日、多機能扇風機「ネオの風」とやらの熱い解説を聞いた時のままだった。
香澄個人の考えとしては「別に今買ったらええやん」ぐらいの心境だが。ポイント7倍のためにどうしても来週まで待ちたいと言われれば仕方ない。こういうことは、シズクを尊重したいのである。
香澄はマウスを動かし、扇風機をカートから削除しようとした。
「ん?」
よくよく見る。
「……どうしたものか」
躊躇い、悩み。そんな感情で香澄の目が淀む。
扇風機の紹介ページの「商品ステータス」に、変化があった。
緑色の「在庫あり」から、オレンジ色の「在庫僅少」へと。
<続く>
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