第9話 内緒
入口で宮路さんに教わるまま、入場料を払い、カタログだかパンフレットだか、薄い冊子をもらい、腕に紙のリストバンドを巻かれる。ロックフェスみたいで少しアガる。フェスなんて行ったことないけれど。
入場してすぐの場所に設置された長机で、大手の小説サイトが不織布で作られたトートバッグを配布している。よく考えてみれば、同人誌を買う可能性があるのに、俺は素手で持って帰るつもりだったのか。何も考えずに財布だけポケットに突っ込んで来た俺は、それを有り難く受け頂戴した。
宮路さんは買ったものを持ち帰る算段まで付けてのことなのか、A4サイズが余裕で入るようなだらんとしたテロテロの黒いバッグを左肩にかけている。それにしても、その、ショルダー長くない? 斜めに掛けないのがおしゃれっ子の意地なのか? 紅も大きめのリュックを背負っている。紅も初めから買う気満々だったのか。
「どこから見る?」
宮路さんが柔らかな笑顔で首を傾げる。笑うと少し尖った犬歯が覗く。
「えっと」
俺がまごついていると、紅が即答した。
「東応大! 東応大の俳句が気になります!」
「オッケー、ちょっと待ってね」
宮路さんがカタログのページを繰った。短歌・俳句のエリアを探し出来るようだ。俺も真似してぱパラパラとカタログを流すように目を通すが、完全に宮路さん頼りで、ろくに調べてはいない。
それにしても、イベント開始から二時間以上経っているらしいが、ものすごい熱気だ。至るところに人、人、人。客層も学生らしい人、親子連れ、カップル、グループ、一人、年配者まで様々だ。遠目に見える飲食エリアには、キッチンワゴンまで出展している。俺はすでにキッチンワゴンのケバブ丼に釘付けだった。
「東応は壁サーだね。向こう側歩けばすぐ見つかりそう」
宮路さんはキッチンワゴンとは反対方向にある〝短歌・俳句エリア〟を指した。クッ。ケバブ丼はお預けか。待っていろよ、ケバブ丼。後で必ずおまえを迎えに行く。
紅は東応大のブースで見本誌を手に取り、ブース内の女性から一冊一冊、お勧めポイントについて説明を受け頷いている。
「宮路さんは東応大見ないんすか?」
東応大のブースを見るでもなく携帯をいじっている宮路さんに声を掛ける。
「うん。ボク一度買ったことあるんだけど、積読になっちゃったから、もういいや」
携帯に視線を落としたまま、宮路さんは柔らかな口調で言った。東応大の売り子に聞こえてしまったのか、一瞬姫カットの女性に睨まれた気がする。もしかしてこの人、良い人風ではあるけれど、わりと無神経なのか? 訳もわからず周囲に嫌われてきた俺としては少し心配になる。こんな調子で、界隈にあまり敵を作らなければ良いけれど。
「ごめんごめん。迷った結果、二冊とも買っちゃった」
紅はA5サイズほどの冊子二冊の表紙を俺たちに見せてはしゃいでいる。イベントエンジョイスイッチが入ってしまったようで、出版社や芸人サークルのブースに行きたいと別行動になった。何だよ、俺が心配で付き添ったものだとばかり思っていたのに、本当に見たいブースがあっただけなのか。別に構わないけれど。そんなわけで、しばらくおれと宮路さんの二人行動になった。
「文杜出身の人でね、一人だけボクの知ってる人も出展してるの。窮鼠くん紹介してもいい?」
宮路さんがかがみ込んで僕の顔を覗いた。顔が近付いて思わずドキッとした。この人、メンズなのに美人すぎるだろ。毛穴どこよ。
「誰……ですか?」
恐る恐る訊いてみる。もしかしたら、名前くらいなら知っているかもしれない。
「内緒」
宮路さんはまた尖った犬歯を覗かせて微笑む。
「行こう」
宮路さんに半ば強引に手を引かれ、俺たちは詩のブースが固まったエリアに足を進めた。
しれもの文藝部 浦桐 創 @nam3_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。しれもの文藝部の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます