第8話 合流

「やまちゃん、そんな軽率で大丈夫? 素性も本名も知らない大人でしょう」

「いやいや、大人って言っても大学生だよ。俺らとそんなに変わらないじゃん」

「やばい大学生に薬漬けにされたらどうするの」

「それはないよ、多分」


 俺は昨晩の出来事と、文学マーケットというイベントのことを紅に話していた。紅は眉を八の字にして不安げに俺を見ている。宮路さんとのイベントは黙って行くべきだったか。


「僕も一緒に行かせてもらおうかな」


 紅は眼鏡のブリッジを中指で持ち上げ、表情を引き締める。効果音に「キリッ」という音が聞こえてきそうな勢いだ。


「いやいや、小学生じゃあるまいし、俺一人で大丈夫だよ。」


 別に来られて困るわけではないが、同い年の紅にここまで世話を焼かれるのはおかしい気がして、俺は紅を制した。


「やまちゃんが変な薬とかお菓子に混ぜて飲まされないか心配だし、そもそも僕はこれでも読書少年なのだから、こういうイベントがあると知ったら興味をもたずにはいられないよ。お、東大や出版社のブースもあるんだ。これは見たい」


 紅は早速、スマホを取り出してイベントの詳細を調べている。見たいブースがあると言われてしまっては断る理由もない。仕方がない、早速、宮路さんに一人増えても良いか確認することにした。送信から五分も経たずに、宮路さんから「OKだよん」との返信があった。こうして来週の日曜、宮地さんと紅、俺の三人はパシフィコ横浜で行われる文学マーケットに出かけることになった。


 一つ、問題を思い出した。宮路さんに会うのに服がない。ダサいと思われてしまう。実際にダサいわけだが、何とか隠し通したい。父親の服は派手だし、またおかしな勘ぐりを入れらても迷惑だから、叔父さんから服を借りよう。

 

 九月十五日。暦のうえでは秋だというのに、依然猛暑が続いている。叔父には宮路さんのことは伏せて、パシフィコ横浜での文学イベントに参加することのみを伝え、当日の朝に服を借りに行った。五部袖の黒い開襟シャツと黒の緩めのサラッとしたパンツ。借り物なので裾は少し長い。ついでに黒いグルカサンダルも貸してくれた。こちらは足首にストラップがあるため、サイズが多少大きくても問題なく履くことが出来そうだ。これで俺もマクドナルドで見かける大学生のように見える。かもしれない。


「楽しんできてね。まあ、そんなに遠くないから大丈夫だろうけど、何かあったら叔父さんに連絡ちょうだいね」

「うん。ありがとう、叔父さん」


 叔父さんの家を出ると自転車を漕ぎ、上大岡駅へ急いだ。自転車を駐輪場に停め、京急百貨店へ向けて走る。紅とは冷房の効いている京急百貨店の一階で待ち合わせをしていた。


「ごめん、紅」

「大丈夫、早く着きすぎてさっきサーティーワンでアイス食べた」

「えぇ、ずりい」

「まあまあ、後で大学生先輩にみなとみらいの美味しいアイスでも奢ってもらいましょうよ」

「やめてあげて」


 冗談だとは解っていても、尊敬する宮路さんに図々しい奴だとは思われたくない。


「宮路さんって人とは駅待ち合わせ? 現地?」


  紅がアイスティーの入ったペットボトルのキャップを左手で捻りながら俺に訊く。


「現地集合。俺ら桜木町から行くけど、あの人はみなとみらいから来るらしいから」

「その人、俺らのこと見て〝田舎の中坊来た!〟って、入り口でスルーしちゃったりして」

「ええー。俺、ちょっと服装、頑張ったんだけど。芋っぽい?」

「ううん、全然。ていうか、冗談だよ」


 程なくして、俺と紅は横浜市営地下鉄を桜木町で降車し、パシフィコ横浜を目指した。Googleマップを操る紅の半歩後ろを歩く。俺は調べもしなかった。何だかんだ言って、紅がいなかったら会場まで辿り着かなかったのではないか。こういうところは悔しいが、父親に似ている気がしなくもない。


「わかった、あそこみたいだよ」


 紅が前方を指す。


「それっぽい人も増えてきたから、ついて行けば着きそうじゃね」

「そうだね。これは終了っと」


 紅がGoogleマップを閉じる。


「宮路さんの服装とか、聞いてる?」

「いや、聞いてないけど俺は多分見たら判るかも」

「ああ、自撮り上げてるんだっけ」


 本人にそんなつもりはないにしろ、紅が宮路さんの話題を出す時にいちいちどこかに見えない棘を隠しているようなニュアンスが感じ取れて、俺は少しばかり気持ちが重くなった。考え過ぎかもしれないけれど。


 会場前に到着すると、宮路さんはスマートフォンをいじりながら柱にもたれるようにして立っていた。長いおさげを両サイドに編み、重めの前髪は目にかかりかけている。黒地に派手な柄とも抽象画ともつかないプリントが施されたテロテロとしたシャツを着て、同じようなテロテロとした質感の黒のワイドパンツを履いている。足元は俺は名前を知らないけれどローファーを中心部で真っ二つに割ったような、たまに街で見かける靴を履いていた。全身黒っぽいのに派手だ。思っていた以上に身長も高い。


「うわあ、あの人大丈夫? 怖くない?」


 紅が不安そうに耳打ちする。


「いや、怖くないでしょ。ああ見えて優しいから。多分」


 俺と紅は恐る恐る宮路さんに近づき、声を掛けた。


「宮路さん、ですか?」

「あ、はい。宮路です。窮鼠くん?」

「窮鼠です。今日は、よろしくお願いします」


 三つ編みの派手ないでたちの青年はこちらを見ると目を細めて微笑んだ。よかった。見た目に反してやっぱり物腰の柔らかな人だ。


「はじめまして。やまちゃんの友人の秋山紅です」


 紅が会釈した。


「はじめまして。やまちゃんって、窮鼠くんの名前?」


 宮路さんが首を傾げる。


「あ、俺、大和って言うんです。下の名前」

「へぇ、かっこいいな。羨ましい」

「宮路さんはお名前聞いても大丈夫ですか?」

「ええー。恥ずかしいからやだよー。ボク、大和なんてカッコいい名前じゃないもん」


 宮路さんは萌え袖で口元を覆い、照れ笑いをする。長袖、暑くないのだろうか。


「もしかして、キラキラネームとか?」

 

 冗談めかして紅が突っ込む。何だ、初対面で失礼な奴だな。


「ううん、逆。シワシワネーム」

「シワシワネームって」


 紅が宮路さんのあざとスマイルに対抗でもするかのように爽やかスマイルを返す。


「聞いちゃったうえに一日保護者代行なのに名乗らないのも、失礼かぁ。他の人に教えないでよ?」

「約束します」

 

 俺は対してありもしない力こぶを無意味に作って宮路さんに見せる。


「玄一朗っていうの。苗字はヒミツ。あのサイトの人たちには、絶対、絶対に内緒ね」


 宮路さんは唇の前で人差し指を立てて見せた。なんて可愛らしいんだ。相変わらず声は低いけれど。それにしても、この可愛らしさと服装からの玄一朗は意外だ。


「それじゃ、行こっかぁ」

「はい!」


 宮路さんが先頭を歩き、それに続くかたちで俺と紅もチケット購入口へと歩き出した。

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