第19話 『終幕』

 誰もいなくなった会場で、矢神とシロとミライはそれぞれのピアノの前に腰を下ろした。


 矢神の持ち込んだピアノはレイジとの戦いを経てもう限界を迎えつつあるが、あと一曲くらいならなんとかなるだろう。シロは会場にあった予備のピアノに座り、ミライはレイジの使っていたボロボロのピアノに腰掛ける。


「ルールはフリースタイルピアニズム。会場の崩落の関係上、たぶん使える楽曲はそれぞれ一曲だけ。一対一体一の三人対戦で、私たちの決着をつける。これで良いよね?」


 もはや会場には審判すらいない。だから、この戦いは正規の戦いではなく、三人の自己満足の戦いでしかない。だけど、それをやるのが矢神とシロとミライだ。


「構わない。早いところ決着を付けよう」

「シロ、負けないよ……!」


 二人の言葉を聞くと、ミライは頷き、それから鍵盤上に指を添えた。

 打鍵──。


 矢神礼

「ザッツ・エンターテインメント」


 鬱塞シロ

「イスラメイ」


 勇気ミライ

「勇気、そして未来」


 矢神の選曲は映画音楽。三大ミュージカル映画として名高い「バンド・ワゴン」のテーマソングであり、エンターテイメントとは何かを歌った名曲であり、この曲の中ではこの世の全てはエンターテイメントであるとされている。矢神の信念を言い表すにはこれ以上の選曲はないだろう。


 そしてシロの選曲、イスラメイはもはや説明無用。矢神との対戦で使われた楽曲であり、様々な困難を乗り越えたシロを象徴する楽曲だ。


 ミライの選曲は彼女自身のアイドルとしての持ち曲であり、彼女が初めてオリコンヒットチャートで一位を取った際の楽曲だ。彼女の音楽業界を全て自らの手中に収め、自らが一番になるという強い意志を込めてこの楽曲は歌われている。第一回戦での敗北から敗者復活戦を経て、彼女は自らの信念を通すことに決めた。


 三人の音楽はもつれあい、互いの信念をかけてしのぎを削る。しかし、その根幹にあるものはいずれも同じ。音楽を愛し、音楽を楽しみ、音楽をこれからも奏でていきたい。ただそれだけのことなのだ。しかし、ただそれだけのことが、この世界で最も尊いものなのだと、この三人は信じている。


 崩落していく会場の中、矢神のピアノの弦が切れていき、ミライのピアノは脚柱が折れ、シロのピアノは鍵盤が灼熱する。それでも三人は限界の中で演奏を続けた。


 楽しければそれでいい。お互いに自分の楽しさをぶつけあって……。窓ガラスが割れて飛散し、音の暴風の中を楽譜が舞い、会場の柱が折れ天井が崩落し電子系統がスパークする。それでも音楽は鳴り止まない。

 矢神の曲が爆ぜシロの曲が高らかに歌い、ミライの曲が嵐を巻き起こす。


 もはや決着などどうでも良いと思えるほどの熱い戦いが、会場の中を支配していた。



 †



 伊藤とアリア、柏木の三人は他の観客たちとともに一足早く会場の外へと避難していた。

 既に半壊している会場が、いつ崩落して全壊するか分からない。そんな状況の中で、あのステージ上で、未だ三人は演奏を続けている。そのことを伊藤もアリアも柏木も、誰も何も言えずに眺めていた。


 あの三人はピアノの狂人だ。矢神は十年に渡ってレイジへの復讐に溺れた。シロはピアノの演奏で全てを失い、それでもまだピアノを愛している。ミライはそんな二人とともに崩落していく会場の中で誰が真の一番かを決めようと喰らいついてくる。


「矢神たちは……まだ中にいるのか……」


 担架で運ばれてきたレイジが伊藤に呟く。

 酸素マスクを付けられ苦しげに問う彼に、伊藤は呟いた。


「ああ、あの馬鹿はまだあの中で戦ってる。お前との戦いは準決勝だったからな……」

「死を目前にしても鍵盤から手を離せない……矢神櫂の子だな……」

「そういうお前もそのザマだ。もし体が動いていたら、まだあそこに残って観戦してただろ」

「そうかもしれないな……。あるいは参戦していたかもしれない。開瞳弦示はどうした?」

「開瞳のおっさんは記者会見があるって言ってもう行っちまったよ。最後まで見届けたいとは言っていたが、矢神が命懸けで取りに行ったデータを公表せずに死ぬわけにもいかないってな」

「アイツは狂ってるが約束は守る男だ。矢神との演奏で、矢神と奴との契約の一端を聞いた。弟子の為なら何でもやる……と言っていたが、確かに、筋は通っているようだ」


 そう言ってレイジは咳き込む。


「開瞳師匠は音楽界に留まらず世界的に有名ですから。あれだけの著名人の暴露となれば、組織も当分は身動きが出来ないでしょうね」

「よく分からないけど……開瞳先生なら何とかしてくれる……」


 柏木とアリアの言葉を聞き、伊藤は頷く。


「まあ、開瞳は開瞳でエグい奴なんだけどな……」


 そう言っていると、会場が轟音を上げて崩落した。周囲の観客たちはそれを見てざわつき、伊藤たちは息を飲む。


「矢神……」


 ここで死んだら親父の二の舞だ。それだけは絶対に認めない。伊藤はそう思い、ぎゅっと拳を握りしめる。


(生きて帰ってこい、矢神……)


 そして、轟音と煙の中……三人の人影が見えた。


 シロと矢神が両側からミライを支え、歩いてくる。

 それを見て伊藤や柏木、ミライや観衆たちは歓声を上げた。

 全身痣だらけで血を流しながら歩く矢神と、気を失ったミライ。ボサボサの髪のシロ。その三人が戻ってくると、伊藤は矢神の背を叩いた。


「全く、無茶しやがってよ!」

「矢神くん……良かった……無事、そうで……!」

「いや思いっきり血とか流れてますけどね……でも、ひとまずは安心しましたよ」


 三人の声に矢神は微笑み、その場に座り込んだ。


「ありがとう。それにしても……さすがに疲れた」

「シロもへとへと~……」


 矢神は伊藤の応急処置を受けながら、地面に倒れているレイジのほうを見て言った。


「レイジ、僕が優勝した」

「見れば分かる」


 レイジは笑い、矢神に拳を突き付けた。


「やり切ったな」


 矢神はそれにふっと笑い、拳に拳をぶつけた。


「ああ」

「あ! それシロもやる!!」


 矢神はシロとも同じように拳をぶつけ合わせ、それから同じようにねだってきたアリアと伊藤とも拳をぶつけ、ついでに柏木ともぶつけた。


 戦いは、全て終わった。この大会はスポンサーの不祥事と最終戦の審判の不在によって、公式戦としての結果は恐らく残らないことだろう。しかし、矢神たちの目的は、ひとまずは果たされた。


 矢神はレイジとは別の救急車に収容され、伊藤とシロが付き添いとしてそれに一緒に乗り込んだ。


「で、矢神。お前はもう納得出来たのか?」


 伊藤の問いに矢神は首を傾げる。


「復讐の話だ。十年間かけた成果は出たのか? お前は納得するために戦ってきたんだろう?」

「ああ……。やるだけやった。納得はしたよ。僕の完全勝利だ」


 それを聞き、伊藤は肩を竦める。


「まあ、お前がそれでいいならいいんだけどな。それにしても、これからどうるするつもりだ……?」


 伊藤の問いに、矢神は考え込む。


「そういえば何も考えてなかった……」

「おいおい……」


 矢神はこの十年、レイジへの復讐のことだけに全てを費やしてきた。だから、それから先のことなんて何一つ考えていない。


「でも、ひとつだけ決まってることはある」

「お、なんだよ。言ってみろよ」


 矢神はシロと顔を合わせ、ニッと笑った。


「シロが言っていた。僕たちの幸せは……」

「勝つこと! これからも私たちは勝ち続けないとね~っ!」


 シロと矢神がそう言って笑うのを見て、伊藤は苦笑を浮かべる。


「そのためには一旦体を休めることだな。一段落したら、また適当な大会に申し込みでもして、荒らしてこいよ!」

「ああ、強い奴がいる大会がいいな」

「シロも! シロも強い人と戦いたい!」


 三人は他愛のない話をしながら、徐々に日常へと戻っていく。かつて日常とはもっともかけ離れていた三人が、平穏の中へと……。

 しかし、その平穏は長くは続かない。

 なぜなら、彼らは『ピアニスト』だからだ。





 フリースタイルピアニズム。

 それは音楽の混沌の落とし子。

 幾多の演奏家たちを魅了し、惹きつける、音楽の世界大戦。

 彼らの戦いの終わるときは、人類の絶滅するその瞬間ときのことだ。

 『戦え』

 運命カルマを打鍵し、宿命サガを奏でろ。

 己が存在理由を観客奴らの鼓膜に刻み込め!

 五線譜のその先へ!

 オクターブ上へと!

 フリースタイルピアニズム……彼らの戦いは終わらない!

 しかし、ここを一旦の幕引きとしておこう!


                                   

 ──Fineフィーネ!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フリースタイル・ピアニズム『白の復讐』 @Euclid0111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ