ばあちゃんとお菓子と初恋と

下東 良雄

ばあちゃんとお菓子と初恋と

 輝く太陽、流れる白い雲と青い空。見渡す限り畑が広がり、その向こうには青々とした山々が見える。たまに地上で動いているものがあると思うと、白ければ農家の軽トラ。茶色だったらイノシシ。たまにシカ。稀にサル。クマは見たことない。そんな外を歩けば人間と遭遇するよりも野生動物と遭遇する可能性の方が高い「ド」がつく田舎に十歳の僕は住んでいる。

 今は、ばあちゃんとふたり暮らし。父ちゃんと母ちゃんは、収穫が終わったから都会へ出稼ぎに行ってしまった。会いたいけど、帰ってくるのはまだまだ先の話だ。そんな寂しがり屋の僕を優しい笑顔で育ててくれるばあちゃんには、本当にありがとうって感じ。



 今日は友だちが増えた。こんな田舎に転校生がやってきて、全校生徒8人の小学校が9人に! 僕の一個下の三年生の男の子。大都会の東京から引っ越してきたって言ってた。あまり身体が強くないらしく、空気のきれいなこっちに引っ越して来たんだって。

 そんな転校生の家に僕たちは招待された。多分最近出来たあの綺麗で大きな家だ。ばあちゃんに言ったら、余所行よそゆきの綺麗な洋服と靴を出してくれた。ありがとう! それと、人様の家を汚したり、壊したりしてはいけないよと注意された。うん、わかってるよ!

 じゃあ、いってきます! と転校生の家に行こうとしたところ、ばあちゃんに紙袋を渡された。


入れておいたから、みんなでお食べ」

「あ……うん……」


 僕はとりあえず笑顔で紙袋を受け取り、家を出た。

 今日もいい天気。綺麗な青空の下、畑と畑の間の田舎道をてくてくと歩く。

 でも、僕の心には雨雲が立ち込めていた。

 ばあちゃんが言っていたおやつって、多分いつも作ってくれるあのおやつだ。美味しいんだけど、何と言うか……見た目が良くないし……貧乏くさいんだよね……。まぁ、確かにウチはお金持ちじゃないし、はっきり言っちゃえば貧乏だ。こんなおやつを持っていったって、転校生だけじゃない、みんなからも変な目で見られるかもしれない。

 そんなことを考えながら、小さな川にかかった橋を渡る。底が見えるほどの透明な水がさらさらと川を流れていく。


(おやつ、川に捨てちゃおうか)


 無かったことにしてしまえばいいんじゃないか。

 うん、そうだよ。いいアイデアだ。そうしよう。

 僕は紙袋を捨てようとした。


『おやつ入れておいたから、みんなでお食べ』


 ばあちゃんの笑顔が頭に浮かんだ。

 ばあちゃんだって家のことや畑の世話で忙しい。

 そんな中、ばあちゃんはわざわざおやつを作ってくれたんだ。


 僕は、捨てようとした自分が恥ずかしくなった。

 でも、このおやつをどうすればいいのか。

 残暑の厳しい日差しを浴びて鈍くなった頭で悩みながら、僕は足取り重く転校生の家に向かって行った。



 転校生の家は、やっぱりあの綺麗で大きな家だった。


「いらっしゃい! さぁ、どうぞ」


 チャイムを鳴らして出てきたのは、転校生のお母さん。

 後ろでまとめてある少し茶色がかった長い髪、真っ白な肌、大きな目、それにとてもいい匂いがした。ウチの母ちゃんと全然違うし、この集落にこんな感じの女のひとはいないので、面食らった。そして、胸のドキドキが止まらなかった。


 そんなお母さんに案内されて、居間に通された。僕が最後だったようで、転校生もみんなも待ちくたびれているようだった。僕は、手にした紙袋のことには触れず、そのまま言われるままに空いている座布団に座った。


「よぉ、遅かったじゃん」


 隣に座っている幼馴染みの恭子きょうこだ。唯一の同い年の友だちなので、毎日のように一緒に遊んでいるベリーショートで活発な女の子。昨日も一緒に川遊びをした。


「恭子、隣空けておいてやったんだから感謝しろよ」


 六年生のたけしの言葉にみんながニヤつき、恭子は顔を赤らめた。


「うっせー! ぶっ飛ばすぞ、クソ剛!」

「あー、怖い、怖い」


 激昂する恭子を薄ら笑いで馬鹿にする剛。


「あらあら、随分賑やかね」


 転校生のお母さんが笑顔でやってきた。


「す、すみません……」

「ふふふっ、いいのよ。みんな仲良しでいいことだわ」


 恥ずかしそうにする恭子に笑いかけるお母さん。笑顔も綺麗だなぁ。

 そのお母さんが手にしたお盆には、とってもカラフルで、とっても美味しそうなケーキやデザートが並んでいた。その場にいた全員が目を輝かせる。


「ウチのママ、パティシエールをしていたから、スイーツ作りがすごく上手なんだ」

「パ、パテシール……?」


 転校生の言葉にハテナマークの剛。


「パティシエールって、女性のお菓子職人さんのことだよ。今は男も女も関係なく『パティシエ』って呼ぶことが多いみたい」

「へぇ〜、やっぱり東京ってすごいんだな……」


 転校生の説明と共に、テーブルに並べられる美しい色彩のスイーツの数々。


「今日はフルーツタルトと夏みかんのミニショートケーキ、いちごジャムのパンナコッタを作ってみたの」

「ママのスイーツは世界一なんだ!」

「さぁさ、召し上がれ」


 普段見慣れないスイーツにみんな満面の笑みを浮かべながら、美味しそうに食べている。


 でも、僕はなぜか手が伸びなかった。なんだか分からないけど、すごく悔しかった。目の前に並んだスイーツが、ばあちゃんのおやつを馬鹿にしているような気がしていた。


『ママのスイーツは世界一なんだ!』


 だったら、ばあちゃんのおやつは世界一のおやつだ!

 僕は意を決した。


「す、すみません! こ、これっ……!」


 紙袋を転校生のお母さんに差し出す僕。


「ばあちゃんが……ばあちゃんがみんなにって……」


 多分僕の顔は真っ赤だと思う。


「まぁ、何かしら」


 紙袋の中に入っていた紙の包みをテーブルに置き、それを開くお母さん。

 そこには、見慣れたいつものおやつがたくさん入っていた。

 スイーツと違って茶色一色。ひび割れだらけのばあちゃんのおやつ。

 みんな、そんなおやつを物珍しそうに眺めていた。


 でも、誰も手を伸ばそうとはしない。


 美味しいのに。ばあちゃんのおやつ、すごく美味しいのに。

 ばあちゃん、ごめんね。せっかく作ってくれたのに……

 目から涙が滲み出てくる。


「きゃー! スゴく美味しそう♪」


 声を上げてくれたのは、転校生のお母さんだった。


「カルメ焼き、大好き! これお祖母様の手作り?」

「は、はい」

「これって作るの意外と難しくてコツが必要なの。お祖母様はカルメ焼きを作る名人ね!」


 これ『カルメ焼き』っていうんだ。知らなかった。

 ウキウキで手を伸ばすお母さん。


 サクッ


「これ作りたてね! サクサクで美味しい〜♪」


 その様子を見たみんなも手を伸ばし始める。


「あっ! これ美味しいじゃん! オレ好き!」

「私も初めて食べるけど、サクサクで美味しい!」


 やった! ばあちゃんのおやつ『カルメ焼き』がみんなに喜ばれてる! ばあちゃん、みんな美味しいって言ってるよ!


「ねぇ、ママ。このカルメ焼きを使ってスイーツって作れる?」


 転校生の言葉に驚く僕。


「よし! じゃあ、みんなちょっと待っててね!」


 居間からいそいそと出ていったお母さん。

 ものの数分で帰ってきた。三分も経ってないかも。

 みんなの前に並んだ牛乳の入ったグラス。

 お母さんはそのグラスにカルメ焼きを砕きながらたくさん乗せた。

 牛乳にゆっくりと溶け出すカルメ焼きが、グラスの中で美しいマーブル模様を描いていく。


「これ韓国のスイーツドリンクで『タルゴナラテ』っていうの。飲んでみて」


 みんながストローに口をつける。


「キャラメルみたいな味がする!」

「わぁ、甘くて美味しい」


 そんな様子を見て、ニコニコ顔のお母さん。


「これは美味しいカルメ焼きがないと作れないの。今日はみんなラッキーね! 私も美味しいカルメ焼きを食べられてラッキーだったわ♪」


 お母さんの言葉にみんなで大笑いした。



「お邪魔しました」


 楽しい時間は過ぎるのも早い。街灯の少ない田舎、明るいうちに帰らないと危ないからね。えっ、変質者? 痴漢? 違う違う、夜は野生動物が活動を始めるから危ないんだ。そんな話を転校生にしたら、目を見開いて驚いていた。


 最後に家を出る僕は、玄関で転校生のお母さんと向かい合う。


「今日はばあちゃんのおやつを褒めてくれて、本当にありがとう」

「ふふふっ、私カルメ焼き大好きなの」


 腰をかがめて僕の顔に自分の顔を近づけるお母さん。

 すごくいい匂いがする。


「作り方教えてほしいって、お祖母様に伝えておいてね」


 でも、僕の頭はお母さんのことでいっぱいだった。


「……すごく綺麗……」


 お母さんを見つめ、思わず本音をぽろっと漏らした僕。

 お母さんは姿勢を正し、顔を真っ赤にして照れている。


「ママを取らないでくれよ!」


 転校生は僕を見て苦笑いしていた。

 それを見て我に返り、僕も頬を赤らめながらも苦笑いで返した。


「そういう言葉は、玄関の向こうで待っている子に言ってあげてね。じゃあ、またいらっしゃい」

「じゃあね、今日は来てくれてありがとう!」


 僕はふたりに笑顔を返して、玄関を開けた。


「おそぉーい」


 恭子がひとり、待ってくれていた。


 ふたりで歩く夕方の薄暗い田舎道。

 暑さも峠を越え、涼し気な風が心地良い。


「ねぇ」

「ん?」

「……ああいう女の人が好きなの?」


 恭子の言葉に驚く僕。

 見透かされていたようだ。


「うーんと……まぁ、嫌いじゃないよ。すごく綺麗だと思うし」

「そっか……」


 何だか元気を無くしていく恭子。

 そして、突然僕の手を握った。


「ど、どうしたの、恭子」

「……手をつないだら、ダメ?」


 僕は何も答えず、恭子の手を握り返した。

 恭子の顔には、今まで見たことのないとても優しい微笑みが浮かんでいた。


 鼻孔に残る転校生のお母さんの匂いのせいなのか、恭子の柔らかくて暖かい手を握っているせいなのか、僕の胸の高鳴りを自分でも説明できない。

 ただ、お母さんの匂いが土の匂いに塗り潰されていくことに寂しさを感じる。そんな僕の気持ちを察してか、恭子は握っている僕の手と指を絡ませてきた。

 心に去来する初めての想い。これは何だろうか。誰に向けたものなのだろうか。今はまだ分からない。


 夜になりきらない空に浮かぶ三日月を視界に入れ、あちらこちらで始まった虫たちの賑やかな演奏を聴きながら、僕は恭子と手をつないだまま、ゆっくりと田舎道を歩いていった。



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