真新しい靴がステップ

錦魚葉椿

第1話

 2019年、世界の、あるいはこの時空の転換点となるその年のことを今はまだ正確に定義できていない。

 某共産的大国が次元の狭間を破壊したのだ。

 服のポケットが中表になってひっくり返ったまま戻らなくなったように、空間は引きちぎられ、混沌とし、混じり合った。

 瘴気と未知のウイルスが世界の半分以上の人間の命をこの世から放逐し、人類は悲嘆と絶望に覆われた。



 あれから5年。

 今日は高校の入学式。

 戦後すぐに植えられたらしい敷地内のソメイヨシノは満開。

 風は花びらを吹き上げ、まるで祝福の紙吹雪のようにぞくぞくと集まってくる新入生の頭上に降り注いでいる。

「ニホンって住みやすい地域ですよね」

「特にこの港町は住みやすいですよね」

 三人は微笑みあいながら真新しい制服に身を包んだ我が子に目を細める。

 きれいに整列させられた保護者用のパイプ椅子に一人は座っていて、もう一人は座面に立っていて、最後の一人はパイプ椅子にはちょっと座れないサイズの皆さんの為のスペースにどっしりと座り込んでいる。

 人間と妖精と小ぶりなドラゴン。

 ここは異世界ではない。


 沢山の人が命を落とした。代わりに世界に溢れたのが、想像上の生物と言われていたあれやこれやの皆さんである。

 150年ほど前、真っ先に鎖国を解かれたこの街は、もともと多様性を受け入れている土地柄。隣人が中国人でもベトナム人でもスペイン人でもペルシャ人でもナイジェリア人でもゴブリンさんでもケンタウルスさんでも座敷童さんでもごみの分別さえちゃんとしてくれたら気にしない。

 この街では今、異世界料理店が開店ラッシュだ。

 日本は次元のカタストロフに対し、最も柔軟な対応を示した国となった。

 八百万の神の国だから。


 政府は新しい居住者の皆さんを何とかして納税者にすべく、急遽検討を行った。

 その結果編み出されたのが、「子女教育の義務の徹底」である。

 すべての居住者は高校を卒業することが義務化された。

 寿命がとんでもなく長い種族の皆さんもいらっしゃるので、人間は15歳、それ以外は子供とは言えないが大人になる前の準備期間の年齢層。この期間に人間と人外の皆さんはともに社会を支える共通認識を確認することとなっている。

「はい、有翼系の皆さんも式の間は地面に着地して、可能な限り羽は畳んでおいてください。後ろの方にご迷惑になりますので」

 きちんと羽をひっこめた天使さんは首だけになってしまいパイプ椅子にちょこっと乗っかっている。見にくそうなので隣の人間の人が肩に乗せてあげています。

 全身ミドリ色の数学の先生が異世界への留学制度を説明した後、人間の先生が生活指導に関する注意を続ける。

「スマートホンは学校敷地内使用禁止です。電源を落とすかマナーモードにすることを徹底してください」

 土木工事のほとんどを土魔法の魔法使いが担うようになり、レアメタルを錬金術師が生産するようになったこの時代に、特筆すべき特殊能力のない人間のための文明の利器を人間が規制する意味が分からないが、先生たちも試行錯誤中なのだろう。

 人外同士、人と人外に言語は通じるのに、なぜか人間同士の言語の壁は残った。残念ながら日本人はやはり英語を学習しないといけないらしい。

 会話に不自由のない人外の皆さんも何とか文字を習得すべく努力しているものの、音声が自動翻訳されてしまうために文字と音声がリンクしない言語を覚えることは大変困難のようだ。 変化を受け入れる部分と変化を受け入れられない境界はひどく曖昧で謎めいている。

 理解はできない。受容するしかない。


「スカートは膝頭の丈に統一してください」

 ケンタウルスのお嬢さんはひざ丈がとても斬新だ。

 座敷童のお嬢さんは慣れないスカートの裾を恥ずかしそうに押さえている。

 見まわしたら今年は魚人系・人魚系の人は入学していないようだ。

 今年の生徒は海に近い学校に進学したようだと胸をなでおろす。海水をここまで運ぶのと、教室を加湿するのが大変だったそうだ。

「華美な髪形、化粧、ピアスは禁止です。みなさん順番に地毛登録してください」

 染髪は禁止されている。本来の色から変えていないか調査するために登録しておくらしい。人間にとっても全く意味の分からないその慣習ではあるが、人外の皆さんは理解を示して一人ずつ写真を取られていく。


 新入生代表と名前を呼ばれた少女は幾許かの静寂を挟んで、空気を叩くような、はっきりとした声で返事をし、軽やかな足取りで階段を駆け上がった。

 彼女はとても堂々とした様子でにっこりと微笑む。

「 ───── 桜舞い散る暖かな春の訪れとともに、新しい制服に袖を通し、私達新入生は入学式を迎えることができました」


「皆さんご存じのように、この5年で世界は大きく変わりました。『地球は丸く、太陽と月がひとつずつだった』頃に戻ることはないでしょう。そして私たちはひとつとして同じところがないぐらいかけ離れています。でも、私たちは同じように新しい靴を履いています」

 彼女の手から白い巻紙がぱらりぱらりと広げられて、流れ落ちていくようだ。

 輝くように白い、真新しい運動靴が並んでいる。彼らの共通点は寧ろ、それだけかもしれなかった。

「誰も排除されることなく、全員が社会に参画する機会をもつ世界、社会的包摂ソーシャルインクルージョンを目指してこの靴で新しい一歩を踏み出していきます」

 体育館の床は喜びで踏み鳴らされ、魔法使いたちが風魔法で吹き込ませた花びらと、妖精たちの輝く鱗粉と、天使がまき散らした羽が新入生の頭上に降り注ぐ。

 何も出すことができない人間からは割れんばかりの拍手が続き、終わらなかった。


 未来はなんだか明るいような気がする。

───── なんの根拠もないが、そんなことを感じた温かい春の日。

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