最終話 風

 駆は、ひとり風に吹かれていた。


 焼け野原となった東京には、よく風が抜けるようになった。

 かつて自宅マンションがあったその場所は、瓦礫が取り除かれ今は空き地になっている。


 そこに立ち、駆は吹き抜ける風を感じていた。

 辺りの建物は多くがなくなり、以前の賑わいは見る影もない。


 ただ、遮るものがなくなったため、近くの小川が視界に入った。

 水面には、水鳥の姿も見える。


 さらに奥に視線を移すと、かつて日向とよく遊んだ公園も見えた。

 被害を免れた広葉樹たちが、濃い緑の葉を茂らせている。

 幼い子どもたちがそこで、壊れた遊具でかくれんぼをしている。


 ふと、脳裏に幼い頃の日向の笑顔が浮かんでは、消えた。


 日向の隣で同じように微笑んでいた若き日の森園の顔も浮かんでは、消えた。


 あれから、森園は国際的な研究機関で改めて研究者としての道を歩み始めている。

 最近、送られてきた手紙には次のようなことが書かれていた。

 異星の技術を人にも扱えるようにし、人類の恒久平和のために活かす研究をしている、と。


 日向のような子を、二度生み出さないために。


 彼にとってその研究はある種のけじめであり、切実な懺悔なのかもしれない。


 また手紙にはなんと咲と暮らし始めたとも書いてあった。

 あの後、咲は組織を離れ、肩を寄せ合うように森園と暮らすことを選んだようだった。


 研究の成功と咲との新たな生活の幸せを、心から祈っています。駆はそう返事を書いた。


 頭上に感じる日差しは、もう夏を思わせるものに変わりつつあった。


 駆は深い青の空を見上げると、静かに心の中で語りかけた。

 

 今日から、学校が再開されるんだ。


 建物も、道路も、街も、まだまだボロボロだけど。


 ここにもほら、君が残してくれた自然や、生き物や、人々が息づいているよ。


 こうやって、自然は、街は、人は、少しずつ日常を取り戻していくんだと思う。


 でも、そこに君はいない。君だけが、いない。


 もうすぐ、君のいない初めての夏が来る。


 この三ヶ月。


 君の残してくれたこの世界で、どう生きるべきか、あるいは死ぬべきかについて。


 ずっと、考えた。ずっとずっと、考えた。


 いっそ死んだら、楽になれるかとも。


 きっと君が思う以上に、君を失った喪失感は大きかった。とてつもなく。


 正直、自分が死ぬより辛いんじゃないかって気さえした。


 朝目覚めると、君がいないと改めて気づいて絶望するんだ。その繰り返し。


 まるで魂の半分を持っていかれたような、そんな日々だった。


 君が最後に「大好きだった」なんて言ってくれたから、余計に苦しかったんだ。


 だって、本当は僕だって君が、日向が「大好きだった」から。


 だからこそ、苦しかった。切なかった。本当に辛かった。


 でもね。


 きっと君は、僕なんかよりずっとずっと辛かったんだろうなって思ったんだ。


 君は自らを犠牲にして、この国を、この世界を守った。


 君は世界の救世主で、歴史に名を残すヒロインになった。ジャンヌ・ダルクも顔負けの。


 だけど、君にとってそんな話はなんの救いにもならないと思う。自分が死んだ後の話なんて。


 真実は、理不尽で、意味不明で、到底受け入れ難い使命を、君は全うするよう求められた。


 泣き虫だった君が、虫も殺せなかった君が、人類史上最悪の敵を殲滅する使命を負わされた。


 人類を救う、世界を救う、という君以外の全世界の大義のために。


 でも、それでも、君は守ってくれた。自らの未来を捨てて。


 世界を、人類を、そして僕を。


 君のお父さんは、君は世界を救いたかったんじゃなくて、僕を救いたかったんだと言った。


 もしそうなんだとしたら、僕が自ら死を選ぶことは、その想いを、君が命を賭した願いを、踏みにじることになる。そう思うようになったんだ。


 だから、君のその想いの分まで、これからを生きる義務が僕にはあるんだって。


 なぜなら今、僕が生きている今日は、きっと君が切実に生きたかった今日だろうから。


 できるなら、僕は君が生きた人生はごく短かったけれど、本当に本当に意義深いものだったんだって証明したいんだ。僕の生涯をかけて、その生き様によって。


 まだ何ができるか、わからない。どこまでやれるかも、わからない。


 でも、まずはとにかく精一杯に「今」を生きようって思う。


 君が命に代えて残してくれた、この美しい世界で。


 そして、僕が人生を全うしたら、答え合わせをさせてほしい。


 君が暮らす、この空のさらに上の空で。


 ――その時、やさしい風がすっと駆の頬を撫でた。


 すぐ隣で彼女がそっと微笑んだ、そんな気がした。

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