桃ノ太郎
@nanotta
桃ノ太郎
あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
優しいお爺さんとお婆さんでしたが子宝に恵まれず、飼い犬である豆柴の豆太郎を本当の子供のように可愛がっていました。豆太郎も、お爺さんとお婆さんにそれはもう本当によく懐いていました。
ある日のこと、いつものように木こりの仕事に精を出していますと、豆太郎も付いてきてそこら辺を嗅ぎまわっていました。
ふと、豆太郎がいつもとは違った様子でお爺さんをある木の下まで連れて行き、前足で土を掻きながら鳴きました。
「ワンワワン!」
何やらおかしいと思ったお爺さんが豆太郎の示すままに地面を掘ってみると、そこにはなんとたくさんの松露がありました。松露(しょうろ)とは、簡単に言うとトリュフのことです。
その後も豆太郎は次々と松露を見つけていきます。
「ばあさん、大変だ」
「あらまあ、今夜はご馳走にしましょう」
お婆さんは美味しい松露の炊き込みご飯をたっぷりつくり、村の皆にも分けてあげました。
「ぐぬぬ、なんと羨ましい」
話を聞いた性悪な村役人のお爺さん。偉いはずの自分より美味いものを食べていたなど、到底許せません。早速優しいお爺さんの下へやってきて、豆太郎を連れて行きました。
もともと人の良いお爺さんですし、立場のこともあり断ることも出来ません。もし逆らうなどしたら、役人の連れている護衛のもののふに切られてしまうかもしれません。
村役人のお爺さんは、嫌がる豆太郎の首に縄を付け、穴を掘るためのクワを持って山の方へ強引に引っ張っていきました。もののふも松露を入れるために大きなかごを背負って付いて行きます。
「さあ、早く鳴け」
そう言うと、豆太郎の尻を蹴りました。
「ギャン!」
豆太郎は痛くて思わず鳴き、地面を掻きむしります。
役人は豆太郎が松露を見つけたと勘違いして、しめしめと地面を掘り始めました。
しかし、掘っても掘っても、出てくるのは石ころや虫ばかり。しまいには蛇や虫の巣を掘り当ててしまいます。
「なんということをしてくれる!死ね!ゴミくずめが!」
怒り心頭の村役人はクワを豆太郎の頭に振り降ろします。可哀そうに、豆太郎は頭部を砕かれて死んでしまいます。最後に一瞬あげた、か細い「きゃん」という鳴き声がやけに響きます。
「な、何をしているんですか!」
お爺さんより現実的にものを考えるお婆さんは、お爺さんから話を聞いてすぐに豆太郎が心配になり探しに来たのです。
豆太郎の声を聞き、やっと見つけたと思った時には全てが手遅れでした。
「突然ワシに噛みついてきたのだ。引き剥がすのも難しかったから、殺す羽目になった。この犬の自業自得よの」
しらを切る役人でしたが、お婆さんは騙されません。
「嘘おっしゃい、豆太郎がそんなことするものですか!」
騒ぐお婆さんを護衛のもののふが捕まえて、地面に取り押さえます。それでもお婆さんは抗議します。
「優しい豆太郎は人に噛みついたことなど一度たりともありません。もし噛みついたとしても、悪いのは乱暴に扱う貴方の方でしょう!」
「ええい、うるさい!口答えするな!」
村役人は豆太郎を殺めた勢いのまま、クワを大きく振って、取り押さえられたお婆さんにまで手を掛けてしまいました。
「あの犬はすぐに逃げ出しおってな。どこに行ったかなど知らぬわ。大方、お前の婆さんとやらも犬を追ってどこかへ行ったのだろう。戻って来ぬというのなら、今頃は熊にでも食われているのやもしれんな。揃って大馬鹿者でおるわ」
嘘の報告を聞くお爺さんの悲しみは、どれほどだったでしょう。けれども真実を知らないお爺さんは、溢れる涙を止めることも出来ぬまま村役人の話を信じて「せめて亡骸だけでも」と山へ捜索に行きました。
豆太郎とお婆さんだったものは、幸いすぐに見つかりました。けれども様子がおかしいのです。両者とも、獣に殺されたにしては綺麗なまま。熊や狼が頭だけを砕いて満足するものでしょうか。
お爺さんは、全てを悟ります。
「憎い。あの役人が、憎い……」
豆太郎とお婆さんの亡骸を抱きしめる腕に、自然と力が篭ります。目は血走り、噛みしめる顎に力が入り過ぎて歯が欠けてしまいます。
今までの自分はなんと愚かだったのか。何故あの役人に豆太郎を貸してしまったのか。悔やんでも悔やみきれません。
復讐を誓うお爺さんですが、そう簡単にはいきません。役人には護衛のもののふが付いているので、足腰の弱ったお爺さんではどうにもなりません。
色々な想いを抱いていても、生きるために日々の生活は中々変えられません。
木を切って売り、日銭を稼ぐ日々。
せめて綺麗な場所に埋めてやりたいと思った豆太郎とお婆さんの遺灰も、あの役人が治めるこの地はとても相応しいとは思えず、壺に入れたままです。
お婆さんに任せていた家事も、今やお爺さんが一人でこなさなければいけません。
冷たくなってきた川の水に顔をしかめながらも洗濯をしていると何やら、どんぶらこ、どんぶらこと桃が流れてきました。
「はて、上流に桃の木など生えておったかのう」
不思議がるお爺さんですが、美味しそうな綺麗な桃の実を見過ごすのはもったいないと慌てて拾いに川へ入りました。
川は浅いのですが、慌てて入ったせいで足を滑らせてしまいます。なんとか桃は掴んだのですが、すってんころりん。手足に生生しい傷が付いてしまいました。
年に厳しい痛みもさることながら、うっかり飲んで器官に入ってしまった水、そしてこのことを笑い話として話す相手もいないことがお爺さんの胸を苦しめます。
冷たい水に濡れ重く垂れ下がる使い古した衣服が、お爺さんの心をいっそう引き摺り下ろします。
「う、うぅ……」
苦しくて、悲しくて、虚しくて。誰に見られることもない山の中で、静かに泣き続けました。
家に帰ったお爺さんは、大小の骨壺の前に桃を置いて今日のことを報告します。けれどもやっぱり、心は晴れません。
いっそのこと、自分もさっさとお婆さんの下へ行ってしまおうか。などと怖い考えが頭をよぎります。
しばらくして、お供えを終えた桃を一人寂しくお爺さんは口に運びます。
――すると、どうでしょう。
みるみるお爺さんの体が若い頃へ戻っていくではありませんか。川で付いた傷も消え、欠けた歯も直り、足腰の痛みも消えてなくなります。
「な、なんということだ」
若返ったお爺さんは、既にお爺さんではありません。木こりとして鍛えられた筋肉はそのままに、立派な若者の体になりました。
枯れた木のようなしわしわだった手足は、今や倒した大木をそのまま運べそうなほど生気が漲っています。
桃の実には邪気を払う効果があるという言い伝えを、元お爺さんは思い出します。
「そうか、これがワシの…オレの、使命か」
――あの邪悪なる役人を。悪鬼を倒すことこそが。
若返ったお爺さんは、当たり前かもしれませんが周囲の村人から「お前は誰だ」と言われてしまいました。慌てて元お爺さんは「オ、オレは親戚の太郎だ。爺さんも亡くなってしまったと聞いてやって来たんだ」と答えました。
嘘など初めてついたものですから、動揺を隠せません。しかし村人たちは、確かに太郎はお爺さんの若かった頃にそっくりだなと思って、納得して安心しました。こうしてお爺さんは、今後は太郎として生きていくことになりました。
太郎は早くあの役人を成敗してやりたい気持ちでいっぱいでしたが、急いては事をし損じると思い、まずは鍛えることにしました。
今や単純な力比べなら負ける気はしないのですが、戦い方というものを知らないので役人を守るもののふに勝てるとは言い切れませんでした。
元気になった体で素早く木こりの仕事を終わらせ、山向こうの稽古場へ通います。
そんなある日、家に帰ると部屋が荒らされていることに気が付きました。
よく働く太郎は人気があります。若いのに頭も良いと評判で、次の役人は太郎になってもらいたいと村で噂になっていたものですから、これを良く思わなかった役人が嫌がらせをしたのです。
お婆さんと、豆太郎、死んだことになっている自分の偽の骨壺も割られて、ぐちゃぐちゃになっていました。
「婆さん…!豆太郎…!」
ギリリと歯を食いしばり、腕を振るわせる太郎。それでもなんとか気持ちを落ち着かせ、遺灰を集めて一つの壺に入れました。
憎しみを再燃させ、必死に鍛錬に励んだ太郎はあっという間に技術を身に着け、稽古場でもお墨付きをもらいました。強い力も相まって、太郎はもう誰にも負ける気がしません。
いよいよ想いを晴らす時です。
正々堂々とする理由もないので、太郎は夜の暗闇に紛れて襲うことにしました。腰には雑なつくりの、数打ちの小太刀と短刀が一本ずつ下げられています。
月や星は雲に陰っていて、襲うには絶好の日和です。もしかすると、もののふと戦うことなく復讐を終わらせることが出来るかもしれません。
役人の屋敷に忍び込むと、灯りがちらほら付けられているのですが護衛の姿は見当たりません。不思議に思いながらも都合が良いと、こっそりと太郎は歩みを進めます。家人をいくつか見つけますが、不必要に人を殺めようは思いませんので無視して役人を探します。
ついに、役人を見つけました。お爺さんとそう変わらない年だったにも関わらず、綺麗な肌の裸になった若い女の横で寝ています。
幸せそうに暖かな布団にくるまる様の、なんと憎たらしいことでしょう。
太郎は一息もせずに役人の顎下を細い短刀で貫きました。器用に頭蓋骨を避け、直接脳みそへ刃を届かせる形です。固い部分をうまく避けたこともあり、ほとんど音も立てずに済みました。隣で眠る若い女でさえ、起きる気配はありません。
こんなところで感傷に浸る愚かしさを太郎はよく分かっています。役人を見つけてから事を成すのも瞬く間なら、現場から離れるのもまた瞬く間に終わりました。
最初から使い捨てのつもりだった短刀はそのまま残し、部屋を出て庭へ飛び出し、軽い身のこなしで塀を越え外へ出ました。それでも太郎は気を抜きません。
暗闇の中木々の間を駆け、しばらくしたところにあるポカンと空いた空地で、ようやく太郎は立ち止まり息をつきました。
「やった……やってやったぞ……」
満足とはいきませんが、達成感はありました。これで多少は婆さんと豆太郎も浮かばれる、そう思いました。
「くっくっく、おめでとうと言った方が良いかな?」
突然、木々の奥から声が響きました。身構える太郎ですが、奇襲されることはなく相手はゆっくりと姿を現しました。役人の護衛であった、もののふです。
「な、何の用だ」
太郎は驚愕と困惑がない交ぜになった状態で、精一杯しらを切ります。
「用ですか。それは貴方次第ですね」
なんともののふは、役人が殺されるのを見ていたと言うではありませんか。見ていたうえで守ることも止めることもせず、太郎を追って来たのです。
意味が分からないと混乱する太郎をよそに、もののふは語ります。人が死ぬ様は良いものだと。これからも太郎が人を殺してくれるのならば、もののふは太郎が犯人だと突き出すつもりはないと。
太郎は、このもののふこそが真なる邪悪、悪鬼であると思いました。もしかすると役人は、このもののふを雇い始めてから性根が邪になったのかもしれません。小太刀を抜き、もののふに向かって構えます。
「交渉決裂ですね」
言い終わりを待つこともせずに、太郎は切り掛かります。一足で二間もの距離(約3.6メートル)を詰め、心の蔵を突き刺そうとします。
必殺に思えた太郎の一撃は、辛くも防がれてしまいます。
決して大柄ではないにしろ、怪力を誇る太郎の一撃をもってしても怯むことのないもののふ。戦いは無心で行うべきだとしている太郎も顔をしかめます。
「……どうやら、油断して良い相手ではなさそうです」
なんということでしょう。ビキビキと音を立てながら、もののふの体が変化を始めました。
頭には牛のような立派な角が生え、皮膚は赤黒く、体は一間半もの巨体になりました。もののふは、正真正銘の鬼だったのです。
変化している最中にも太郎は攻撃を仕掛けていたのですが、分厚く大きい、馬をも一太刀で切れそうな刀を軽々と扱う鬼を簡単には倒せません。
しばし無言での剣戟の振るい合いが行われます。
太郎は鬼の強さに困りましたが、鬼の方も太郎の強さに驚きます。渾身の力を込めたからこその一撃の強さだと思っていたのに、それがずっと続くのです。
決して余裕があるようだとは思えない鬼の表情の変化に太郎は勝機を見出し、刀を振り続けます。それでも鬼は切れません。
袈裟斬りからの左逆袈裟、相手の刀を弾いてからの流れるような刺突。しかし、まだまだ鬼は刺せません。
流れる汗、切れる息。若返ってから、これほど疲労を感じるのは初めてです。一日中、仕事に稽古に自主鍛錬と動き続けても、太郎はへっちゃらだったのです。一瞬たりとも気の抜けない、命の取り合いの厳しさを知ります。
それでも駆ける太郎。右側面を取りながら左一文字斬り、と見せかけてから鬼の刀を弾くために振り上げます。
鬼は陽動に引っかかりつつも、刀ごと体をわざと押し出されるようにし宙に浮くことで力を逃がし、体勢を崩さないまま綺麗に着地します。
「貴様……本当に人の子か?」
「人か。知ったことではないな」
化け物に付いて行ける太郎もまた、化け物と言えるかもしれません。太郎自身も考えたことがあります。不思議な桃を食い、若返った自分は本当に人のままなのかと。それでも、太郎は目的を達成するためには構わないと思いここまで来ました。
まだ戦える。必ず鬼を仕留める。そう意気込む太郎でしたが、自身の握る小太刀にひびが入っていることに気が付きます。安物の刀に限界が来てしまったのです。むしろ、この激しい戦いによく付いて来た方でしょう。
これ以上打ち合うわけにはいかない。そしてこちらの状況がバレるわけにもいかない。そう考えた太郎は、これで終わらせると心に決め力を入れます。
右、左、やはり右。足の速さで振り回そうとしますが、鬼もそう易々と何度も引っ掛かってくれるわけではありません。
左右に揺さぶり続けるつもりかと鬼に思わせたところ。急に止まって、正面から刀を振り上げ思い切り真向斬りを仕掛けます。
確かに虚を付いた形ではありましたが、あまり良い手とは言えません。逆に、悪手だからこそ鬼も予想していないだけだったのです。
鬼がこの一撃を防いでしまったら、ガラ空きになった胴に鬼の刃が届いてしまいます。
ガキィンと、これまでの打ち合いとは大きく違った音が響きます。鬼が攻撃を防ぎ、とうとう太郎の小太刀が折れたのです。
鬼がしめたと、ほくそ笑みます。しかし一転、次の瞬間には太郎の思惑に気付き驚愕します。
上段より振り降ろされた刀は、本来高い位置で受け止めてしまえば次の一手はすぐに繰り出せません。そのまま上から押さえつけるにしても、重量差がそれを許しません。動かしやすい下の位置にある受け側の刀の方がよほど早いはずです。
それでも実際に今、より動かしやすい位置にあるのは太郎の刀です。折れたことで、刀は鬼に当たらないままですが振り下ろされました。既に腰を沈める太郎の正眼位置にあり、太郎の刀を抑えようと上へ力を込めていた鬼の刀は追い付けません。
一切の立ち直しの機会を太郎は与えません。ただ前へ。とにかく速く前へ。大気を割き、突き出す折れた刃。やっと、鬼を刺せました。
「うおおおおぉぉぉ!!!!」
絶対にこれで終わらせると、刃を押し込み捩じり、首元まで押し上げ、そこからさらに真横へ振り切ります。鬼の構造が人と同じとは限りませんが、大切な臓器をズタズタにしたはずです。
太郎はこれでも止まりません。化け物ならば、まだ腕を動かせるかもしれない、脚を動かせるかもしれないと、次々と凶刃を走らせます。
気付いた頃には、四肢を全て断ち切られズタボロの胴体だけとなった鬼が、血溜まりに沈んでいました。
「うっ、ぐ、ごふ、これでは、どちらが鬼か、分からんな……」
この状態でなお言葉を発せるとは、流石の鬼というところでしょうか。
「き、貴様は……何の、化生なのだ……?」
事切れる寸前、最後のその問いは、太郎を完全に人ではないと決めつけているようでした。
太郎は鬼に、答えます。
「桃。桃の、太郎だ」
桃ノ太郎 @nanotta
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