きみと一緒の空へ

さかたいった

襲われた村

 村は混乱の最中にあった。

 戦える者は槍や弓を持って前に殺到し、その身をもって壁を築く。

 悲鳴。逃げ惑う者。鼓舞する雄叫び。

 混乱の中心には、巨大な獣の姿があった。

 怒りに逆立つ体毛。人の頭ほどもある鋭い牙。獣は咆哮し、前脚で近くの住居の壁を薙ぎ払った。砂埃が舞い上がる。

 少年アウラは、闇の中に浮かび上がる二つの光を見た。それが獣の瞳の輝きだと気づくまでに時間がかかった。

 アウラは突進してきた獣の鼻先にぶつかり、後ろに倒れて頭を打った。

 服を掴まれ、無理やり持ち上げられる感覚があった。

 怒号が聞こえ、近くで何かが突き刺さる音が何度も響く。

 風が吹き荒れる。

 気づいた時には、アウラは村の遥か上空にいた。闇夜にまん丸の月が光っている。

 アウラは後頭部に熱い空気が吹きつけられるのを感じた。

 身をよじって後方を確認すると、そこに巨大な獣の姿があった。獣が服を咥え、アウラはそれでぶら下がっている状態だった。

 アウラは肝を冷やした。自分は今、村を襲った獣と一緒に空を飛んでいるのだ。自分は巣に持ち帰られようとしている餌も同然。しかしこの場では逃げようがない。獣を振り切ろうとすれば、待っているのはずっと下のほうにある硬い地面。アウラができることはどこかへ到着するまで獣に咥えられている服の素材が千切れないことを祈ることだけだった。

 その時突然、ガクッと高度が下がった。アウラは驚き、恐怖する。

 自分の体にかかる獣の呼吸が不規則になっているように感じた。

 月明かりの下、獣の体にいくつもの矢や槍が刺さっているのが見えた。翼を広げる獣の力が弱まっている。

 獣はついに力尽きた。気流から外れたアウラと獣は、急激に地上へ引き寄せられていく。

 そして森の中へと落ちていった。



 眩しい。

 突き刺さるような光を感じ、アウラは目を覚ました。

 木々の間から漏れる僅かな日差しがちょうどアウラの顔にかかっていた。

 アウラは体を起こす。湿った空気の森の中にいた。朝の気配がある。

 辺りを見回すと、近くに巨大な獣の姿があった。アウラはすかさず身構えたが、獣は目を閉じて眠っていた。もしかすると死んでいるのかもしれない。

 アウラは獣の姿を観察する。全体的に灰色の体毛。お腹のほうは少し白い。目の回りは黒かった。左右に伸びる髭は白く、顔の先端に黒い鼻がちょこんとついている。葉のように広がる耳は大きいが、アウラでも簡単に折り曲げられそうに薄い。背中には灰色の羽根がびっしりと生えている。四本の脚は巨体のわりに小さめで少し可愛らしい。長い尻尾は縞模様だ。

 この獣が、昨夜アウラたちの村を襲った。アウラは連れ去られ、今このどこなのかもわからない森の中にいる。

 獣は怪我をしている。体には槍や矢が突き刺さったままだ。村人たちの抵抗の証。獣はそこまでして何がしたいのだろう? アウラをさらったのは、喰うつもりだったのか? 獣の有り様を見ると、なんだか憐れに感じた。

 アウラは獣に近づき、体毛に触れてみた。チクっとするかと思ったが、思いの外ふわふわだ。

 獣が小さく身じろぎした。まだ生きているようだ。

 たとえ人に仇名す存在だとしても、この状態のまま放っておくのは忍びなかった。アウラは獣に刺さった矢の一本を握り、力を込めて引き抜いた。

 獣が体を震わせ、呻き声を上げた。

 よしよし、とアウラは獣の体を撫でる。もう少し辛抱してくれ。

 アウラは順々に矢と槍を引き抜いていく。

 全て抜き終えたが、獣はぐったりと力なく横たわっている。だいぶ弱っているようだ。アウラはなぜだかこの獣をどうにかしてあげたい気持ちに駆られた。自分がこの獣に喰われる可能性などまったく考えなかった。

 アウラはその場を離れて何かを探し求めた。

 森の中を少し進むと、妙な樹を見つけた。樹の幹がうっすらと青と緑の中間のような光を放っている。

 アウラはその樹に近づいていき、幹に手をかざした。自分のすべきことがなぜか理解できた。

フルークトゥス実れ

 アウラの言葉に反応して樹の光が凝縮していき、枝の先に複数の実が生った。青色の大きなリンゴのようなもの。アウラは軽い身ごなしで樹を登っていき、持てるだけ実をもぎ取った。そして獣のもとに戻る。

 アウラは木の実を一つ、倒れている獣の鼻先に置いた。

「ほら、お食べ」

 獣の体を擦りながら声をかける。

 獣が身じろぎし、薄く目を開けた。そして牙の生えた口を開ける。アウラはその口の中に木の実を一つ放り込んだ。獣は口だけを動かして咀嚼した。

「もう一つ食べる?」

 アウラが手に木の実を持ちながら尋ねると、獣は目を開けてアウラを見た。村を襲ってきた時は怖いと思ったが、獣は巨体に似合わずクリッと可愛い目をしていた。

 獣がアウラを見ながら前脚を動かして「寄越せ」というような仕草をした。

 アウラは獣に木の実を与えた。アウラが持ってきた木の実はすぐに全て食べ尽くされた。

 アウラは獣の観察を続ける。獣はまだその場から動かないが、首を動かしてその辺をキョロキョロするようになった。活力が出てきたように感じる。

「リベラ」

 それはアウラが勝手につけた獣の名前だ。アウラがその名を呼ぶと、獣はクリッとした目を向け不思議そうな顔をした。

「リベラ。お前はリベラだ」

 アウラが近づいても、リベラは反抗するような態度は見せない。

 アウラはリベラに対して情が湧いた。



 リベラが動き出せるまで回復すると、アウラはリベラに乗って一緒に冒険した。まるで昔からの馴染みのように、二人の息は合った。初めからこうなるために生まれてきたかのように。

 リベラは力強く地を駆ける。リベラに乗るアウラは爽快な気分だった。湖を見つけると、二人はじゃれ合いながら水浴びをした。

 森の中で、時折淡い光を放つ樹を見つける。アウラが言葉を唱えると、枝に実が生った。リベラはその実が大好物のようだった。というより、その実以外食べるのを見たことがない。

 そのうちアウラは考えるようになった。もしかすると獣は、この実を実らせることができる人間を連れてこようとしたのではないかと。村を無作為に襲ったわけではない。ただ生きるために人間に協力してほしかったのではないかと。

 村はこれまでにも何度も獣に襲われ、連れ去られた者たちがいる。その者たちは獣に喰われたのではなく、もしかするとこうして獣の食料を作り出したのかもしれない。

 思い違いがなければ、人と獣は共存できるものなのだろうか?



 ある時森を抜け、断崖の縁に出た。大地の裂け目を挟んだ向かい側へは、かなりの距離がある。

「飛べ、リベラ」

 リベラの頭の上に乗っているアウラは、向こう岸を示してそう指示した。

 しかしリベラは崖から顔を逸らして、その辺をふらふらと歩き出した。アウラの意図がわからないのではなく、どうも躊躇っているように思えた。

 この巨大な獣のリベラには翼があり、実際アウラを咥えて飛んでいたはずだ。飛べないはずはない。

 もしかすると、怪我をして空から落下した記憶が、飛ぶことに対して恐怖を抱かせているのかもしれない。

「リベラ、怖いのかい?」

 アウラはリベラの頭頂部を撫でながら声をかける。リベラはウーと唸った。

「大丈夫だ。一緒に飛ぼう」

 アウラはまだ子供で、小さな体だ。それに対してリベラはとてつもなく大きい。にもかかわらず、アウラはリベラのことをまるで自分より幼い弟のように感じた。

「リベラ。ウェントス飛べ

 アウラの口から無意識に滑り出たその言葉に、リベラが反応した。四つ脚をつけてじっと構え、それからダッと崖に向けて走り出した。空中へと脚を踏み出した瞬間、左右に大きく翼が開かれる。何度か落下しかけたが、リベラは懸命に羽ばたき、やがて瞬く間に上空へと飛翔した。

「すごい! よくやったぞリベラ!」

 リベラは嬉しそうに鳴き声を上げた。

 二人は心ゆくまで自由に空を飛び回った。



 その夜、アウラはリベラの体に背中を預け、ウトウトしていた。

「リベラ」

 アウラはリベラの毛並みに手を這わせながら、声をかける。

「きみにも仲間がいるの?」

 リベラは不思議そうな顔をしながら小さく首を傾げた。人間に似た動作で面白い。

「そろそろぼくも帰らないといけないかもしれない」

 リベラは黙ってアウラの言葉に耳を傾けているようだった。

 アウラはリベラの体をポリポリと掻いているうちに眠ってしまった。



 次の日アウラが目を覚ますと、体がとても熱かった。額から汗が滴っている。

 全身に痛みがあり、苦しい。目を開けるのすら億劫なほどだった。

 何かの感染症だろうか? ろくに体も動かせない。

 意識が途切れ途切れになる。

 その合間合間で、アウラはリベラの存在を感じた。

 ウー、と唸っている。

 心配そうにアウラを覗き込んだり、鼻先でそっと触れてきたこともあった。

 アウラの目の前に色とりどりの木の実が置かれていたこともあった。

 リベラの困っている様子が可笑しかった。

 しかしアウラの状態はどんどん悪化した。

 悲しげなリベラの顔が目に入る。

「リベラ」

 名を呼ばれた獣は、ゆっくりと近づいてきた。

 アウラは懸命に手を伸ばし、リベラの頬に触れた。

 その手が力なくガクッと落ちた。



 次に目覚めた時、アウラは空を飛んでいた。リベラに服を咥えられている。

 アウラはなすがままだった。

 リベラの飛ぶ高度が下がっていく。

 遠くから声が聞こえてきた。怒声や悲鳴も聞こえる。

 リベラが地面に着地し、アウラを離した。アウラは横たわる。

 多くの足音が近づいてきて、口々にリベラを威嚇する。アウラは自分が村に戻ってきたのだとわかった。リベラがここまで運んでくれたのだ。

 ヒュン、と村人の持つ弓から矢が放たれ、リベラの体に突き刺さった。リベラは痛みに叫喚する。

 やめろ。

 アウラは制止したかったが、今の状態では声も届かない。

 リベラが怒りに震え、攻撃する気配をまとった。目つきも鋭くなる。

 村の大人たちも退かず、各々武器を構えて対する。

 どうしてわかり合えないのだろう? どうして敵対しなければならないのだろう?

 アウラは悲しくて仕方なかった。

 リベラと過ごした時間は楽しかった。

 もっと一緒にいたかった。

 大きな弟ができたかのようだった。

 また一緒に空を飛びたかった。

 病に苦しむアウラは、その願いを一つずつ捨てていった。捨てるしかなかった。

 今自分にできることは、弟を守ることだけだ。

 アウラは今持てる力の全てを込めて、微かに声を上げる。

「リベラ」

 リベラの瞳がアウラを向いた。

ウェントス飛べ

 リベラの体から覇気が消えた。目を大きく開いてアウラを見つめる。

 アウラの言葉の意味を理解したリベラは、ウーと悲しげに唸り声を上げた。

 名残惜しそうにアウラを見据え、それから反対側を向いた。

 リベラは翼を羽ばたかせ、飛んだ。

 別れの時だった。

 村人たちが駆け寄ってきて、アウラを抱き起こした。

 アウラの目尻から涙が流れた。



 アウラは村で看病され、少しずつ状態が良くなっていった。

 ようやく自分で歩けるようになっても、アウラはまだあの獣との出来事を話す気にはならなかった。

 アウラは何気なく村の端まで歩いた。

 そして地面に落ちているそれを見つけた。拾い上げて眺める。

 一枚の銀色の羽根。

 日光にかざすと、神秘的に光った。

 いつかまたあの空へ、二人で飛び立ちたかった。

 夢想した。

 自由に飛翔する二人の姿を。

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