あなたは僕の幽霊さん

鴻上ヒロ

幽霊、あるいはインベーダー

 誰もいない夜の公園。居るとしたら、それはきっと幽霊なんだろう。自然の中に囲まれた広場には、何も無い。すぐそばに古墳があること以外は、田舎にならどこにだってある広いだけの公園だ。


「うーん……あかん、こうやない」


 真っ暗な公園のベンチでスマホのライトを点け、便箋を丸める。本当は背後に投げたいところだけど、ポイ捨てはダメだから、勢い任せにコンビニ袋に入れる。柄にもなく可愛らしい便箋をもう一枚取り出し、ペンを右手でくるくると回した。


「書き出しから迷うとは、僕はボキャ貧か!」

「何を書いているのかなあ?」


 声がしたと同時に、ピトッと首筋に冷たく柔らかい何かが当たる。思わず、「ヒッ」という甲高い声が自分の喉から飛び出た。


 振り返ると、栞里お姉さんが微笑みながら立っているのが見えた。彼女は手に持った缶コーヒーをゆらゆらと揺らし、「驚いた?」と僕を見ている。なんだ、お姉さんの手が当たったのか。コーヒーで冷やしていたらしい。


「……いつからそこに?」

「ん? 君が可愛い便箋にペンを走らせ始めたところから」

「最初からやんけ!」

「集中しとったねえ、何を書いてたのかなあ?」


 栞里お姉さんが僕の隣に腰を掛け、缶コーヒーを僕の膝に挟む。


「なんで膝なん」

「ん? だって両手塞がってるし」

「せやけども」


 僕はペンと便箋をコンビニ袋にねじ込んで、膝に挟まれた缶コーヒーのタブを開ける。これ、なんて言うんだっけ。プルタブじゃないというのは、聞いたことがあるけど。


「ステイオンタブだよ~」

「……エスパーか?」

「幽霊、あるいはインベーダー」

「また言っとる」


 栞里お姉さんは、いつもこうだ。僕を背後から脅かして、僕が何かを言えば「君を背後から脅かすのは幽霊の私の責務だから」と笑う。最近は、僕の心を見透かしたような言動をして、インベーダーをも自称するようになった。


「はあ」

「あれ、書かないの?」

「書かない」


 本人を目の前にして、書けるほど僕の面の皮は厚くはない。きっとこの人は、僕が何を書いているのか、もうわかっているんだろう。


 だけど、どのみち、書けない。


 この幽霊かインベーダーかわからない変人に、何をどう伝えればいいのか、皆目検討もつかないんだ。隣にいるだけで胸が締め付けられるように痛くて、だけどふわふわと浮遊感を得るようなこの感情をどう文章にすればいいのか。


「ふうん?」

「ふうんやないねん」


 はあ、とため息をついて空を見上げる。夜空には数え切れないほどの星がぼんやりと浮かんでいて、光を放って存在感を主張している。明滅するその光を見ていると、なんだか今の自分が情けなくなってきた。


 ふと、視界の端にゆらゆらと揺らめく光が映る。


「あ、UFO!」

「小学生か! 引っかかるわけ――」


 そう言いながらお姉さんが指した方を見ると、確かにそこにはUFOがあった。いや、幽霊かもしれない。いつもフラッとやってきて、僕を脅かして心を見透かす可愛くて憎たらしい幽霊、あるいはインベーダー。


 そんな彼女の頭上に、光る玉が三つ見えた。その上部には、なんだか円形の丸々とした光沢感のある何かが見える。栞里お姉さんが指したのは、自分自身だった。


 だけど、少し遠くにある街灯がUFOみたいだった。


 あ、そっか――。


「お姉さんに僕だけの幽霊さんでいてほしいんだ」


 こう書けば、よかったのか。


 しかし、結局、書けなかった。声に出てしまっていて、思わず自分の口を覆ってしまう。お姉さんの顔からも目をそらしたいのに、まじまじと見つめている自分がいて、目が離せない。彼女の不健康そうな真っ白な顔が、薄桃色に染まっている気がして、いつもより綺麗だった。


 しばらくお互い黙ったまま、どれだけの時間が経ったかわからない。お姉さんが突然、僕の手を取った。


「私はもうとっくに、君だけの幽霊だよ。あるいは――」

「インベーダー」

「大変よくできました」


 二人で手を繋ぎながら、また星空を見上げる。そこにはぼんやりと浮かぶ星星があって、僕たちを祝福するように明滅を繰り返していた。


「あ、UFO」

「いやもう流石に――」


 彼女が指した方を見ると、夜空にゆらゆらと揺れるように浮かび、不規則に移動する円形の光があった。


「UFOだあああ!」

「捕まえに行こう!」


 栞里お姉さんが僕の手を握ったまま、勢いよく立ち上がる。膝に置いていた缶コーヒーが倒れ、地面に吸い込まれていった。転けそうになる僕をよそに、彼女が駆け出す。


 間違いない、彼女は僕だけのかわいい幽霊さん、あるいはインベーダーだ。


 そして僕もまた、幽霊かインベーダーなのかもしれない。二人幽霊になって、誰もいない夜を独り占めしたくなって、お姉さんに手を引かれ無理やり爆走させられながら、僕は大声を挙げて笑った。

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あなたは僕の幽霊さん 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

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