第三章「蠱女の島」

孤島に近づいた影/狩人



楼塔ろうとう流杯りゅうぱい③―



 さて。


 蠱女こじょに限らず巫女ふじょも滅びるという……。


 そんな真実を確認したのち。


 桃西社ももにしゃ鯨歯げいは刃域じんいき服穂ぶくほは。


 夢のなかに。


 落ちた。


 そこは宍中ししなか十我とがの家。


 真っ暗な一室で、混ざる寝息は。


 筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎ巫女ふじょ鯨歯げいは服穂ぶくほ


 蠱女こじょ十我とが宍中ししなかくるう之墓のはかむろつみ


 以上、六名のものである。


 彼女たち巫蠱ふこは全員で二十四人だから、現在その四分の一が十我とがの家にいることになる。


 しかし、ほかの四分の三のほうも別の場所で健在であり。


 ある者は眠り。


 ある者は起きていた。


 たとえば。


 宍中ししなかの地でめどぎたち六人が全員眠りについたころ。


 その宍中ししなかから離れた海の上を。


 とある蠱女こじょが。


 飛んでいた。


 彼女たちのなかで「飛べる」者といえば。


 蠱女こじょ……楼塔ろうとう流杯りゅうぱいである。


 流杯りゅうぱいは、飛ぶことも可能と思われている蠱女こじょなのだ。


 きのうの午前中、楼塔ろうとうの屋敷の玄関にて彼女は。


 めどぎ、そして鯨歯げいはと別れるに際して。


 宍中ししなか御天みあめの最後の件を伝えるべく。


 さしに飛ぶと言っていた。


 その直後、流杯りゅうぱいは。


 一緒に屋敷に住んでいる姉の楼塔ろうとうに書き置きを残し。


 飛び立った。


 しかしさしの地は。


 楼塔ろうとうからも宍中しししなかからも、まあまあ離れた場所にある。


 海のなかの、とある孤島。


 それが、彼女たち巫蠱ふこが守る地のひとつ……さしなのだ。


 適度に休みをはさみながら飛んでいた流杯りゅうぱいは。


 ほぼ二日かけて。


 目指していた島の影を、その目に捉える。


 周辺の海面には頭上の光が映し出され。


 波と共に、その輪郭を揺らしていた。


 空を仰ぐまでもなく。


 彼女は月と星を見た。


(遅い時間に到着しちゃったな。


 玄翁くろおさんへのあいさつは、あしたにまわすことにしよう)


 このさしを管轄しているのが、さし玄翁くろおという蠱女こじょなのである。


 流杯りゅうぱい玄翁くろおの妹のひとりさし射辰いたつに師事しているのだが。


 それとは別に玄翁くろお自身のことも、人として尊敬していた。




さし①―



 どことも陸地を接することなく海に浮かぶ孤島、さし


 歩くだけでは決して到達できない地である。


 そこを目指そうとすれば。


 飛ぶことのできる流杯りゅうぱい以上の適任はないと思われる。


 だが普通、人は空を飛ぶことができない。


 よって通常、さしの地にいくには船を使う必要がある。


 一度近づいてしまえば、簡単に見つけられるだろう。


 その島はまるで。


 一個のちょっとした山を切り取って。


 海に投げ落としたかのようなかたちをしている。


 砂浜はどこにもみえず、いびつな岩が海岸線を引いている。


 平地は、ほぼなく。


 ひとたび上陸すれば、斜面をのぼることになる。


 ほどよく木々が生えている、そんな山道を進むのだ。


 後巫雨陣ごふうじんの地とは異なり。


 植物たちは極端に太ったり湿ったりしていない。


 山頂に近づくにつれ。


 周りの海からの潮風が、山のにおいにすりかわる。


 もちろん島のなかにも生態系があり。


 流れる川には魚などが泳ぎ。


 木の枝には鳥がとまり。


 落ちた葉っぱをめくれば虫が逃げ出す。


 とはいえ、さしに一番多い生き物は。


 いのしし。


 通常のいのししよりも。


 屈強でしなやかな筋肉を持ち、皮が分厚く、賢い。


 そんなさしの地……あるいは島であるが。


 船を使う場合でも、不用意に上陸しようとするのはやめたほうがいい。


 撃ち落とされるから。


 島には狩人がいる。


 近づけば、矢が飛んでくる。


 上空から接近した流杯りゅうぱいが落とされなかったのは、彼女と狩人が仲間だったからにすぎない。




楼塔ろうとう流杯りゅうぱい④―



 流杯りゅうぱいは飛ぶ速度を抑え、少しずつ下降する。


 さしの海岸線を引いている、いびつな岩のひとつに着陸する。


 そして山道に入る。


 ある程度のぼって、潮のかおりが薄くなってきたところで。


 木々に隠れた小川を見つける。


 彼女はしゃがんで、その上澄みの水を両手ですくう。


 水をたたえた手の平をそのまま顔に持っていき。


 ぱしゃりと、はたく。


 それから右の中指の腹に余ったしずくを、軽くなめる。


「うん、ある」


 流杯りゅうぱい御天みあめの最後が間近であることを知って怖がっていた。


 鯨歯げいはと接して多少は気が楽になっていたものの。


 完全には恐怖を払拭できていない。


 だから流杯りゅうぱいはこうして。


 生き物として本能的に水を求める自身を確かめることにより。


 自分が生きていること、そして生きようとしていることを。


 信じたかったのである。


 彼女の吐息は山の空気に吸われていく。


 そよ風が耳を揺らす。


 生き物たちの夜鳴きが互いに混ざり合い。


 鼓膜を静かに震わせる。


 だが。


 気のせいだろうか。


 ときどき、なにかが吠えているような音も聞こえてくる……。




楼塔ろうとう流杯りゅうぱい⑤―



 流杯りゅうぱいは小川のそばで寝ることにした。


 この地を管轄する玄翁くろおに顔を見せるのは、夜明けが訪れてからである。


 流杯りゅうぱい玄翁くろおは同じ巫蠱ふこ……それも蠱女こじょ同士であるので。


 ことわりもなく土地に入り、そのなかで眠っても、とがめられることはない。


 しかし、どこか寝付けない流杯りゅうぱいであった。


 環境が悪いのではない。


 柔らかな葉っぱに身をうずめ。


 小川のせせらぎに耳を傾ける。


 その環境は流杯りゅうぱいにとって、この上ない贅沢であった。


 自然に対する彼女の憧れは、人一倍強かった。


 おそらくその憧れも、流杯りゅうぱいの「飛ぶ」行為につながっていると思われるが。


 ともかく。


 流杯りゅうぱいは身を起こし。


 眠れない時間の過ごし方を考える。


 しばらくは天上の星を数えていたが。


 次第に飽きてしまい。


 そばの小川に目を向ける。


 すると、その川べりに遊んでいるカニを見つけた。


 それは小さく、指の腹ほどの全長しかない。


 流杯りゅうぱいは、とくに理由もなく。


 優しくカニをつんつんする。


 はさみではなく、甲羅の部分を。


 ただし。


 月光が差し込み。


 暗闇に目も慣れているとはいえ。


 流杯りゅうぱいは夜目が利くほうではない。


 カニのかたちも色も、ぼんやりしている。


 だから自分の指がその甲羅に当たるたび。


 不確定な存在が、確定した存在になっていくような。


 そんな感覚を覚えるのだった。


 ……と。


 そのとき、突然。


 片方の耳に入り込んでくる、音があった。


 首を傾けるひまもなく。


 それはカニ……の手前の地面に突き刺さった。


 流杯りゅうぱいは、刺さったものを確かめる。


 ふれずとも、分かった。


 矢だ。


 一本の矢が山の斜面の上のほうから射られたのだ。


 その瞬間において流杯りゅうぱいは。


 左耳を下流側に、右耳を川の上流側に向けるように上体をひねっていたので。


 矢の音が右耳に真っ先に侵入した。


 しかし矢の速度が尋常でなかったため、音は左耳に到達する前にかき消えた。


 だから彼女の片方の耳にのみ、その音が響いたと考えられる。


 こんな芸当ができるのは。


 流杯りゅうぱいが知る限り、ひとりしかいない。


「師匠!」


 音のしたほうに、彼女は体を向けるのだった。




さし射辰いたつ①―



 そこにいるのが、流杯りゅうぱいの師。


 島に近づく者を射落とす狩人。


 さし射辰いたつ


 彼女の姿に月の光が落ちる。


 だが月明かりは、あたりの木の影に切り取られていた。


 よって光にむらがある。


 弓を構えた狩人を、まだらに照らし出している。


 流杯りゅうぱいから見て。


 向かってやや右斜め下を狙う体勢をとる。


 矢は、つがえられていない。


 ここで。


 射辰いたつの前を。


 数匹のいのししが、とおりすぎた。


 いのししたちは、そばの小川に足を濡らしたあと。


 地面に散らばっている葉っぱの上を歩いた。


 その際、濡れた足に。


 葉っぱが数枚くっついた。


 その光景が終わるまで射辰いたつは動かず。


 最後のいのししが自分の前から去るのを目で追ってから。


 構えをといた。




楼塔ろうとう流杯りゅうぱいさし射辰いたつ①―



「夜更けに来るとは珍しい」


 流杯りゅうぱいのもとに落ちてきたその声は。


 まぎれもなくさし射辰いたつのものだった。


 距離があるのに、よくとおる。


 そして射辰いたつは、流杯りゅうぱいの名を呼んだ。


流杯りゅうぱい師」


 射辰いたつ流杯りゅうぱいに対して、その名の最後に「師」を付ける。


 確かに射辰いたつ流杯りゅうぱいの、料理などの師匠であるが。


 射辰いたつ自身も流杯りゅうぱいを別の面で尊敬し、師と仰いでいるため。


 互いが互いに師事する関係になっているのだ。


 ともあれ。


「師匠」


 流杯りゅうぱいが、射辰いたつを呼び返す。


 射辰いたつは弓を背負い、流杯りゅうぱいに近づく。


 弓ひと張りが、おりてくる。


 対する流杯りゅうぱいは。


 手持ちの「筒」を一本ずつ、両手に持った。

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巫蠱(ふこ)―巫女と蠱女― 小憶良肝油(おおくらかんゆ) @Kannyu_Ookura

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