思う条件/分解作業




巫女ふじょ蠱女こじょ⑦―



 どこまでも。


 草が広がる宍中ししなかの地。


 そこに建つ、木造のあばら屋。


 あるいは宍中ししなか十我とがの家。


 宵の口は、とうに過ぎ。


 夜は更けゆく。


 草むらに潜む虫たちは。


 一切の音を出さず、沈黙しているかのようだ。


 家のなかも。


 静けさに、つつまれ。


 あかりが弱く浮かんでいる。


 そこに。


 蠱女こじょ宍中ししなか十我とがが横になる。


 それまで彼女は右のほおに右のこぶしを当てていたのだが。


 そのまま右のひじをゆかに下ろし。


 ほおづえをついた体勢で。


 寝る。


 布団を敷く気は、ないようで。


 毛布だけをかぶる。


「感謝するよ」


 十我とがは、毛布から顔だけを出して。


 まだ起きている、巫女ふじょ桃西社ももにしゃ鯨歯げいはに。


 礼を伝える。


 彼女たち巫蠱ふこの置かれた現状を整理するために、鯨歯げいはは。


 宍中ししなか御天みあめの終わりかけが明らかになってからの四日間のことを。


 筆頭巫女ひっとうふじょ赤泉院せきせんいんめどぎと歩いた、これまでを。


 さきほど、話した。


 十我とがの感謝は、それに対するものである。


 しかし鯨歯げいはは。


 眠ろうとしている十我とがに。


 少し待ってほしいと頼む。


 どうも、言い忘れていたことがあるらしい。


楼塔ろうとうの屋敷の庭で筆頭たちと露天風呂につかったあと。


 わたしは楼塔ろうとうの次女さんと道場で。


 ちょっと会話したんですけど。


 そのときあの人、気になることを漏らしたんです。


 確か『これで身身乎みみこを利用する思いも飛んだか』でしたっけ。


 うちの三女さんに関することで、なんか筆頭とあったんでしょうかね。


 これ、十我とがさんはどういう意味か分かります?」


「……察しはつくよ。


 それも含めて、あしためどぎと改めて話す。


 じゃあ、もう眠いから。


 鯨歯げいは服穂ぶくほも、おやすみ」


 そう言って十我とがは。


 まぶたを閉じた。


 眠ったようだが、彼女のほおづえは。


 そのあとも崩れなかった。


 しかし。

 

 一方の鯨歯げいはは動かない。


 ゆかに座った状態を続ける。


 現状を整理するための話し合いは終わり。


 もう眠っても、いいはずだが。


 なぜ静止しているのか。


 それは。


 巫女ふじょ仲間の。


 刃域じんいき服穂ぶくほに、凝視されていたからだ。


 服穂ぶくほも現状の確認のために。


 この夜。


 鯨歯げいはたちと一緒に、座したまま起きていたわけだが。


 そのあいだ服穂ぶくほは。


 ほとんど喋っていなかった。


 せいぜい、あいづちをうつ程度だった。


 そもそも現状を正確に把握したいと言ったのは、服穂ぶくほ


 彼女こそが、鯨歯げいはたちの夜更かしの要因であったとはいえ。


 さきほどの話し合いにおいては。


 鯨歯げいはが情報を出し。


 十我とががそれらをまとめていた。


 だからか、これまで服穂ぶくほは聞き役に徹していた。


 ただ。


 服穂ぶくほには、ひとつのくせがあった。


 なにかを凝視することだ。


 現在、その視線が。


 鯨歯げいはに向かっている。


 その凝視は、服穂ぶくほがまばたきする刹那にさえ。


 途切れることなく。


 かすかな、しかし確実な威圧を。


 相手に送り続ける。


 だから鯨歯げいはは問うたのだ。


 いまの状況に、不安定さを覚えてしまったから……。


「ぶくほ。


 なぜ巫女ふじょも滅びるんです」




桃西社ももにしゃ鯨歯げいは刃域じんいき服穂ぶくほ②―



 それから鯨歯げいはは。


 もう眠ってしまった者たちのほうに目を向ける。


 ほおづえをついたまま毛布にくるまっている十我とが


 布団の上で寝息を立てている、筆頭巫女ひっとうふじょめどぎと。


 手持ちの画板にしがみつく、蠱女こじょ之墓のはかむろつみと。


 いつ眠ったのかも分からない、宍中ししなかくるう


 鯨歯げいはの視線は、とくにくるうに。


 そそがれた。


 鯨歯げいはは、思い出す。


 この家にあがる前、くるうが断言したことを。


(全滅するのは……巫女ふじょもだよ)


 そして。


 鯨歯げいはを凝視していた服穂ぶくほは。


 くるうのその台詞をたったいま鯨歯げいはが想起していると。


 確信する。


「わたくしがくるうに吹き込んだのでは、ありませんよ」


 対して鯨歯げいはは食い下がる。


「だとしても。


 こういうのに一番詳しいのは、ぶくほでしょう。


 強大な蠱女こじょである御天みあめさまが終われば、その余波を受けて十我とがさんなど蠱女こじょ全体が危うくなるのは分かります。


 でもそれって。


 わたしたち巫蠱ふこのなかでも、思われる者……蠱女こじょの問題であって。


 思う者……巫女ふじょは、関係ないですよね。


 たとえば。


 わたしも、ぶくほも。


 だから巫女ふじょも全滅するというくるうさんの言い分が。


 わたしには、まだ理解できないんです」


 鯨歯げいはは、ここで。


 くるうに向けていた視線をそらし。


 改めて服穂ぶくほと目を合わせた。


「筆頭は、あすにでも追加の手紙を書くはずです」


「はい、それをわたくしが届けると言いましたね」


「ぶくほが手紙を届けに外出すれば、質問の機会をのがしてしまいます。


 だから、今夜のうちに聞いておこうかなと思うんです」


蠱女こじょだけでなく巫女ふじょも滅びる理由ですか」


 そして服穂ぶくほは、鯨歯げいはに対する凝視をやめ。


 両目を閉じる。


「……短めでよろしければ。


 わたくしも眠いのです」


 鯨歯げいはは心のなかで、思う。


(それならわたしを凝視せんで、すぐに眠ればよかったんやないの。


 もしかして、わたしがこの話題を振るのをぶくほは待っててくれたんかいな)




刃域じんいき服穂ぶくほ①―



 服穂ぶくほは目を閉じたまま、鯨歯げいはに説明する。


「結論を述べますと……。


 蠱女こじょが滅びれば、巫女ふじょも滅びるのは必定です。


 その流れを理解するにあたり。


 前提を確認しましょう。


 言うまでもなく。


 巫女ふじょとは思う者であり。


 蠱女こじょとは思われる者である。


 ……これが、わたくしたち巫蠱ふこの過不足ない説明です。


 では問いましょう。


 口に出す必要はないので、脳裏にて答えてください。


 巫女ふじょ蠱女こじょ……両者はいずれが先ですか。


 成立の順番に関する問いです。


 ここで、改めて『巫蠱ふこ』という漢字を見てみましょう。


 わたくしたちは……ふ・こ。


 その熟語は。


 巫女ふじょの『』を前に、蠱女こじょの『』を後ろに置いて出来ていますね。


 このことから。


 巫女ふじょのほうが、蠱女こじょよりも先んじて成立するかに。


 錯覚するでしょう。


 たとえば『蠱巫こふ』と逆転させて呼ぶことは、ありませんからね。


 しかし実際は。


 蠱女こじょのほうが、巫女ふじょよりも先に成立するのです。


 簡単な理屈です。


 巫女ふじょの『思う』という行為は。


 その思いの受け皿となる『思われる』という受動が蠱女こじょによって用意されない限り。


 どこにも、とどまれないのですから。


 それは。


 巫女ふじょの存続においても、蠱女こじょが不可欠であるという……。


 絶対の真実をも示しています。


 すなわち。


 蠱女こじょなき巫女ふじょは、ありえません」




刃域じんいき服穂ぶくほ②―



 御天みあめの最後。


 その余波を受けて蠱女こじょが滅びた場合、合わせて巫女ふじょもいなくなる……。


 そんな真実を聞いてなお、鯨歯げいはは。


 嗚咽のひとつも漏らさなかった。


 一方の服穂ぶくほは。


 まだ、まぶたをひらくことなく。


 説明に補足をおこなう。


蠱女こじょの『』の字を分解してみましょうか。


 三匹の虫が皿に載っています。


 それは、虫にあふれた皿なのです。


 この皿がなくなれば、虫たちはちりぢりになるでしょう。


 ここで言う『虫』とは、思いの具象です。


 小さな思いがまとまって、人の思いが生まれます。


 そのような多量の虫をつなぎとめる受け皿が、蠱女こじょならば。


 皿にそそがれた虫の凝集……それが巫女ふじょの正体。


 つまり。


 わたくしたち巫女ふじょは、蠱女こじょという皿に。


 寄生しているのです」




桃西社ももにしゃ鯨歯げいは刃域じんいき服穂ぶくほ③―



 説明を終え、服穂ぶくほは目をあける。


 すると。


 今度は服穂ぶくほ自身が、鯨歯げいはに凝視されていた。


 鯨歯げいはは少し首をひねる。


「なるほど?」


 服穂ぶくほの顔を見つつ、猫背になる。


「つまり思うから思われるのではなくて。


 思われる存在があるからこそ思うことができるんですね。


 だから思われる蠱女こじょが滅べば、思う巫女ふじょも滅びる……。


 くるうさんの『全滅するのは巫女ふじょも』という発言にも。


 ちゃんと理由があったんですね」


 そして鯨歯げいはは背筋を伸ばす。


「お話、ありがとうございました」


 対して服穂ぶくほは怪訝な表情で問う。


「いまの話を聞いて、不安にならないのですか」


「みんなの不安をわたしも持てたことが、嬉しいんです」


 その返答に服穂ぶくほが、ほほえむ。


「おやすみなさい」


 そう言って。


 部屋に残っていた、わずかな光を。


 彼女は消した。



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