27.堺の都

「よう、聞いたかい? あの話」

「なんだい」


 鬼虫を退治した後、半日東へと歩き続けた桃姫と雉猿狗が次の宿場町に辿り着いて蕎麦屋で食事を取っていると、地元の商人らしき男が二人、隣のちゃぶ台を囲んで会話を始めた。


「隣町の宿屋の話だよ。今朝、女将さんが殺されてたって……首を斬られてな」

「本当か……?」


 商人のその言葉を耳にした桃姫は、ぴたりとざる蕎麦をすする手を止め、雉猿狗は水を飲む手を止めた。


「本当だよ。でも、物取りじゃあない。何も盗まれてはいなかったんだ……でもな……」

「なんだい、もったいぶりやがって」

「女将さんの生首が台所の大鍋の中に入ってたんだってよ……! まるで煮込んで喰おうとしてたみたいによ……!」

「な、なんだいそりゃあ! まるで鬼畜生の所業じゃねぇか……」


 男たちは眉根を寄せてちゃぶ台に身を乗り出しながら話し合うと、雉猿狗が桃姫に声を掛けた。


「……桃姫様、行きましょうか」

「……うん」


 桃姫は答えると、食べかけのざる蕎麦を置いて席を立つ。

 雉猿狗はお代の五十銭をちゃぶ台の上に置いて桃姫と連れたって店ののれんをくぐろうとしたとき、男たちの会話の内容が届いた。


「そんで、役人が台帳を確認したらな、女客を二人泊めた形跡が残されたんだってよ」

「へえ……」

「更にはだな。近所の茶屋の女店主いわく、怪しい子連れの女を見かけたと……何でも、髪の色が……」


 男の言葉に神経を尖らせて体を強張らせた雉猿狗。桃姫はそんな雉猿狗の様子を見て取って手を掴むと、強く引っ張って播磨蕎麦と書かれた店ののれんから外に出た。


「……雉猿狗、どうしよう」


 大通りに出た桃姫は雉猿狗に声を掛ける。この宿場町は前の宿場町よりも遥かに大きく栄えており、人通りが多い。

 夜にも関わらず提灯が明るく店先を照らし出していた。雉猿狗はそんな大通りを見ながら考えた結果、蕎麦屋の前の店を見て答えを出す。


「まずは、私たちの目立つ髪を隠しましょう……」


 雉猿狗の言葉を受けて桃姫が視線の先を見ると、手ぬぐいや木綿布を扱っている卸問屋があった。


「そして、播磨を一日も早く出るのです……一日でも早く堺に辿り着きましょう」

「……うん」


 雉猿狗の言葉に桃姫は頷いて返し、布の卸問屋へと入っていく。

 この播磨の蕎麦屋で一件のあと、髪を手ぬぐいで隠した桃姫と雉猿狗は東へと一気に旅路を進めた。

 宿屋には極力止まらずに、神社の境内などで寝泊まりする。そして、十日後、遂に播磨を出て摂津へと入り、目的地である港湾都市堺に辿り着いたのであった。


「わぁ……人が、たくさん……こんなに人がいるの、見たことない」


 白い手ぬぐいで髪と目元を隠した桃姫が活気ある堺の町を見て声を上げる。


「堺は、摂津と河内と和泉、この三つの所領の境界にあるので、堺と呼ばれているいるそうです……この景色を見れば、現在の日ノ本で一番栄えている都と誰しもが認めるはずです」


 雉猿狗はここに辿り着くまでに見てきたどの町よりも綺麗に良く整備された町並みと溢れんばかりの人波を見る。

 そして、大きな港をひっきりなしに行き交う数え切れんばかりの大小の漁船と商船、その青い海の雄大な光景を見た。


「これだけ人が多くて、賑やかな場所なら、鬼は迂闊には襲ってこれません。それにあちらを見てください、桃姫様」

「……ん?」


 雉猿狗が指差す先を見た桃姫、そこには商人と武装した侍とがたむろして談笑している様子があった。


「あれは、会合衆と呼ばれる方々です。堺の有力商人が独自に自治組織を持って堺の平和と秩序を守っているのです」

「へぇ……それって……安全、ってこと?」

「はい。それに私たちのような流れ者でも、これだけ人が多ければ目立たずに紛れ込むことが出来ます」


 雉猿狗はそう言うと、自分の銀髪を隠していた手ぬぐいを解いて、サラッと長い銀髪を海風になびかせた。


「ち、雉猿狗っ……! だめだよ! 人がいるのに……!」

「ははは。桃姫様、もう髪を隠す必要はありませんよ」


 雉猿狗の行動に驚き、辺りを警戒しながら声を出した桃姫に対して、雉猿狗は笑いながら気持ちよさそうに目を閉じ、爽やかな海風と穏やかな太陽光を浴びて答えた。


「本当に……?」

「はい。髪を隠していた理由は、堺に到着するまでの間、余計な厄介事に巻き込まれたくなかったからです」


 雉猿狗は天に向かって伸びをしながら言った後、濃翠色の瞳を開いて桃姫を見た。


「そもそも私たちは、何もやましいことはしていなのです。堺では堂々と暮らしていいんですよ、桃姫様」


 雉猿狗の言葉を聞いた桃姫は、濃桃色の瞳を爛々と輝かせた。


「……うんっ!」

「ははは。良いお返事です」


 桃姫の元気の良い言葉を聞いて笑った雉猿狗。桃姫は頭に巻いていた手ぬぐいを解いて、桃色の長い髪の毛をふわっと海風になびかせた。次の瞬間、ぶわっと強く吹いた一陣の海風が桃姫が手に持っていた手ぬぐいを奪い取って中空に持ち上げて運んでいく。


「あっ……」


 桃姫が青空を舞い飛ぶ白い手ぬぐいを見ながら声を漏らすと、雉猿狗が桃姫の頭に優しく手を置いて、口を開いた。


「──桃姫様、この町で暮らしましょう」


 雉猿狗は言うと、桃姫の頭を撫でる。桃姫も口を開き雉猿狗に答えた。


「うん──この町で強くなろう」


 桃姫は力強く頷くと、二人で堺の町並みを見ながら鬼退治の為に強くなるという決意をより一層固めるのであった。

 ──同時刻、鬼ヶ島、鬼ノ城。

 血を吸ったような不吉な色をした赤土が拡がる裏庭の畑にて、前鬼と後鬼が大きな鍬を振るって穴を掘っていた。


「──そのぐらいでよい」


 役小角が前鬼と後鬼に告げると、二体の大鬼は穴を掘るのを止め、大鍬を担いだまま役小角の後ろにドスドスと下がった。

 役小角が一歩前に出て穴を覗き込むと、穿たれた赤土の穴からもぞもぞと大小の鬼醒虫が蠢いて顔を覗かせていた。


「……行者様、お待たせいたしました」


 役小角は背後から掛けられた妖艶な声音に対して振り返った。黒く巨大な鬼ノ城を背景にしてしなやかに歩いてきたのは鬼蝶であった。

 その両腕には何やら白い布で巻かれた物体を抱いており、いつの間にか付けていた赤い髪飾りを役小角はちらりと見た。


「いや、待ってはおらんよ」


 役小角は好々爺然とした笑みを浮かべながら答えた。


「……それは良かった……最後のおめかしを施していたので、随分と時間がかかってしまったかと」


 鬼蝶はそう言って、前鬼と後鬼の横を通り過ぎると、前鬼と後鬼が鬼蝶が抱え持っている物体に向けて前傾姿勢になって大きく鼻を鳴らして口からよだれを滴らせる。


「これ、やめろ! ……まったく、下品な鬼どもだな」


 役小角がそんな前鬼と後鬼をしかりつけると、二体の大鬼は姿勢を正した。


「申し訳ございません、これはあなた方のおやつではないのですよ」


 苦笑した鬼蝶がそう言って大鬼の前を通り過ぎると、役小角の隣、穴の前まで移動した。


「それでは……行者様」

「……うむ」


 鬼蝶は役小角に確認を取ると、両腕に抱え持った白い布で巻かれた物体を穴の中に降ろした。

 次の瞬間、ブワアアアアッと鬼醒虫の群れが一斉に白い布目掛けて襲いかかり、無数の赤いイモムシが生えた赤い布へと変貌していく。


「…………」


 鬼蝶はその陰惨な光景を見ながら目を細めて"鬼"という文字を赤く光らせた。


「このおつるという娘……おぬしの手駒として育てるつもりだったのだろう?」


 役小角が言うと、鬼蝶はため息を漏らしながら答えた。


「はい……ですが、見当違いだったようで、残念にございます」

「……ほう。まぁ、新しい手駒を見つけるがよい」

「はい。そうさせて頂きます」


 鬼蝶が役小角に対して答えると、役小角は黄金の錫杖を突いて金輪をチリンと鳴らした。


「埋めろ」


 役小角が呟くようなしゃがれ声で言うと、前鬼と後鬼が鍬を握りしめながら穴までやってくる。

 そして、無数の鬼醒虫に喰われるおつるの亡骸を赤土を降り落として埋めていった。


「……のう、鬼蝶殿や」


 その様子を黙ってみていた鬼蝶に対して、役小角がおもむろに声を掛けた。


「──堺には、どのような色が似合うと思うかのう……?」

「……堺、にございますか」

「うむ。信長公が愛し育てた商人の都。あの青い空、青い海、活きの良い人々で埋め尽くされた堺に似合う色は何かのう……?」


 鬼蝶が答えあぐねていると、おもむろに役小角が顔を上に持ち上げて口を開いた。


「例えば、鬼ヶ島から見たこの太陽の色合いはどうだ……?」


 目を細めながら太陽を見る役小角の隣で、鬼蝶も赤い"鬼"の字を浮かべた黄色い目をカッと大きく見開き、太陽を見上げながら残酷な笑みを浮かべた。


「ああ……それはさぞかし、美しい色合いなのでしょうね」


 鬼ヶ島の不気味な赤紫色の虚空には、血の色をした真っ赤な太陽が昇っていた。

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桃姫様 MOMOHIME-SAMA 羅心 @rashin_momohime

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