第5話

 レティー……

 言い方は悪いが、生粋の保守派とも言える。

 現体制のバランスが崩れれば、レティーは一瞬で崩壊するからだ。

 両政府が黙認しているのは、系列を設けると争いになるからであり……現在の日本、そしてフレイリンの状況を鑑みると、系列が争いの火種になるようなことは無いだろう。

 両政府が仲良くなった、為……である。

 レティーがそれでも成り立っている理由は、ずっと、市民を守ってきたから……

 空島発足以降の、およそ二十年間、ずっと守ってきたからだ。

 そういう問題に対処する組織として、どこの庇護下に入っていないというのは、実質的に、政府から見捨てられているのと同じ。

 問題発覚後、なんだかんだ責任転嫁して、レティーのやっていたことを政府が引き継げばいい話。

 少しは観光客数も減るだろうが、日本との軋轢が解消し、空島の観光施設が世界的に通用した今、その程度の向かい風、となってしまう。頑張ればその程度に出来るから。

 いちばん大事な資源である、人間。これが守れないと見切られる。すると、俺達には罪が着せられる。重要なことを今の今まで隠してた……となり色々と面倒な処分になるのだ。少なくとも処分は受ける。

 ……レティーの謎に包まれている、地下の十二人。前は十二人であることさえ知らなかった。

 奇襲……というか、恐らく戦わずして、四人減り、少しでも頭角を見せると、そこからゴリゴリと削られる。

 ……無作為じゃない、作為的な、人間の敵……

 間違いなく、状況は苦しかった。




 ――空島、行政区。

 堂々と、ある国の大使館を利用できるのは、利害の一致に他ならないが、我々教団にとっては土地を領有することによる利益などどうでもよかった。

「フッ……」

 決めポーズを決めるのは、教団の五人の大幹部の一人。

 役職は、牧師。

「ここに集められたのは、今日、この日、作戦を実行するからであろう?」

 ……作戦。

 教団の、『レティーを殲滅する』と言う、この空島の目標に対し、最終的には必要と言われたのが金と拠点だった。

 拠点はこの大使館、金は館内の金庫にある。

 ……洗脳、そして黒の異形。二つの力で手に入れた地位は、今や、フレイリン政府を脅迫するにまで至る。

 大使館職員であり、教団団員である我は、幹部として待遇され、同期の幹部と共に大幹部陣と謁見することとなった。

「元から住んでた人も、観光客の中のサクラも、外交官ですらも、新たに幹部に加わってくれた。しかし、教祖殿自らが出てこられるとは……」

 牧師の言葉に、我々はどよめく。

 すぐ真後ろに気配を感じ、振り返った。

 仮面を付け、ロープを身に纏った、大柄な男が、立っている。

 ……これが……

 教祖……




 ……影人……

 低レベルの奴ならば、特に俺でも倒せるが……

 見知った顔を町中で見かけた。

「隣人か、そんな急いで、どうした?」

 ……朝早くからパトロールのシフトに入っている、浦和海凪が、当たり前の疑問を投げかける。

 パトロールのシフトは、チームに関係なく、優秀な人が選出される。

 こういうシフトがあるから、ホテルを長期で借りれる理由でもある。どの人員にも提供している為、戦力の無意味な集中も免れられるし……

「後にしてくれ」

「何?」

「女が待ってる」

「冗談にしては、現実味が無いよ」

 七海の指示だと、ここから……六区に入る。

 本拠地ではないが、少なくとも、まともに機能する拠点ではある……情報としてはそういうものだ。

 そして。そこは……空島総合電力管理会社。通称、空島の角。

 地上部分から斜め二十度くらいに塔が設立されており、その塔は、空島を大きくはみ出している。

 殆どが機密となっており、入口までしか入れないが……

 入口から、後ろを振り向いたら、空島の地下に刺さってる部分になる。

 その、立入禁止の看板と、地下への階段を超えて、そこに拠点がある……

 いい、速攻勝負。制服のフードを被り、ポケットからマスクを取り出し付ける。目元は隠しても仕方ない。

 正々堂々、真正面から――


 全力疾走で、ガラスのスライドドアの中に入って、左右確認、そして目的の看板を見つけ、人目も構わず抜け出す。

 地下に続く階段を三段飛ばしで降りて、踊り場で反転、もう一度反転すると、大きな扉が聳えていた。

 ピッキングなどしない、戸に手を掛けて――開いた――?

 ザル警備……ではあるが……そこは……

 ……踊り場の、真っ白な明かりが差し込む。

 中は、薄暗い蛍光灯ばかり。

 例えるなら、そこは……

 ……牢屋……

 廊下に左右に並ぶ、牢。その中……

 捕らえられた、レティーの制服を来た皆が、次々とこっちを見る。

 その中の一人が、声を上げた。

「――浦和!? 来てくれたのか?」

 その声に反応して、俺が振り返った。

「お前、何で来た」

「――」

 その瞳孔に映る、廊下の先を見て、俺も懐から銃を取り出した。

 今回は、空撃ちと、火薬の反動で――

 そして海凪は、一瞬の溜めで――

 俺は逆向きに、海凪は正面から、俺の発砲を合図に、同時に地駿した。

 敵は一人、大きな警察が持っててもおかしくはない盾と、どこから流入したか分からない銃が二丁。一丁は予備だろう。

 海凪の武器は対して、今日は短刀。パトロールだから――こそ。

 地駿の最中、銃を仕舞い、俺もナイフを取る。持ってきておいてよかった――

 こっちのほうが合わせやすい――

 海凪の瞳孔に映る情報で位置関係を確認、振り返りの地駿で一歩、海凪とタイミングがズレる――

 一撃目、海凪が盾に短刀を突き立てた。地駿で斜め上に弾き出し、バク宙の様に盾の上に俺の上下反転の体が来る。

 対し、銃が向けられた。ナイフを持ってない方の手で、盾の上を触り、手での地駿で、今度は意図的に真下に軌道を変える。

 急な落下に対応できない盾持ちの顔面に、膝で一蹴り。

 勢いで真上に飛ぶ。大事なところは、――

 短刀の峰が、首――頸動脈を的確に穿つ。

 切るわけじゃない、しかし、衝撃で吹き飛んで気絶するくらいの威力はある。

 サッと着地すると同時、地駿を発動、海凪は既に、前に行き、角を折れてすぐの扉を開けている。

 中に入って、ブレーキした。

「――」

 視線を左右に交差、すぐにキーを見つけ、海凪が棚に向かって歩く。

 外の様子を伺う。まだ誰も来ていない――

「まだセーフ」

「りょーかい……」

 鍵をこっちに投げ捨てる。この鍵は……

「さっきの男のやつ、開けといて」

「おう」

 地駿は使わない。走って男のところまで戻った。

「……浦和は?」

 鍵を開けたらすぐ、そう言ってきた。

「曲がってすぐの扉の中」

「分かった」

 短いやり取りの後、男は、

「どこからの指示だ?」

「……どこから?」

「浦和は少なくともバンズのメンバーだ。お前さんはバンズじゃねえ」

「……指示じゃない。指示だったらこんなとこ来てない」

「……」

 ……何を思ったか、男は、浦和の居場所を聞いてきた癖に、急に入口の方に走り出そうとする。

「待て、会話くらい……」

「……浦和より彼女の方が大事だ、って伝えておいてくれ」

「つまり?」

「上で何かありそうなのは分かった」

 上に行って待機、か……

「そもそも影人に誘拐の性質はねえし、人為的なら尚の事、彼女守らねえと」

「彼女……?」

「社員さんだよ。また会ったら話くらいはさせてやる」

「名前は」

「バンズの部屋に来てくれたら言う」

 ……そのまま行ってしまった。

 テロなら起きてから対処する、と言うことだろうな……

「……」

 誘拐は明らかに人の業。人が少なすぎて、起こるであろうテロ対策部隊と救助部隊が用意できない……

 個人で動くしか無い。

「……もしもし?」

 入口の方に行って、通話を確認。

「聞こえてます」

「なら……」

「恐らく、この先に、教団の拠点と、回収された人がいます」

「浦和と連絡取っていいか? 通話に加える」

「構いません」

 その状態のまま、電話を掛けると、海凪はすぐに出た。

「説明はあとで、こっちの方の言う事を聞いてくれ。あの男は彼女の方が大事らしいから。番号も知らないし」


 全員開放した後は、海凪と奥の方まで走っていく。

 ヤバいことを起こすつもりなのは見え透いている。

 戦力差は明らか、行くより撤退したほうが良いだろうが、情報を流しても士気が下がって不利になるだけだ。

 兎にも角にも、何かろくでもない事が起きるのは間違いない……

 ……

 大扉を開けると、中には、牢屋。そして……

「……――」

 一目見て名付けるなら……

 神父。

 そしてその周囲に、三体の影人……

「――おや?」

 神父が、白ひげとシワだらけの顔が、年老いて白くなった髪が、こちらを向いた。

「まだ食べさせる洗脳が出来てないと言うのに――」

「――」

 会話可能……

 交渉だな。

「何をしてるんだ?」

「儂は、導いてあげとるだけじゃよ」

「どんなふうに?」

「……知らないのも無理はないじゃろうな。本当の、歴史を」

「――何だ、第二次世界大戦で日本は勝ったとでも言いたいのか?」

「そんなわけあるまい」

 服装は、まさに神父の格好。

 恰幅もいい為か、大きく見える……

「空島の三人の勇者パーティーの話は知っているだろう?」

「……」

「勇者パーティーとは、もともと四人だったのじゃよ。しかし、現在の状況を隠すためにも、一人の存在は抹消された。勇者、戦士、僧侶、そして……」

 ――

「賢者。その力を使い、黒き者を正しく導く、というのに」

 神父は、言った。

「お主等、レティー……じゃろ?」

「――」

「安心しろ、この先、レティーの行っている自治は、しなくてもよくなるものだ……」

 ……一体……

「黒き者は、今はまだであるが。いつか、悪者のみしか食まぬ様になる」

 ――影人を……いや、そもそも……

 三体の影人を見る。

 その影人に……口は、付いていなかった。

「チッ――」

「どうかしたかね?」

「その労に捕らえた人達には、何の意味がある」

「教祖様にしか分からぬ事よ」

「もういい」

 交渉不可……

「鍵は?」

「ネックレスが鍵になっておる」

 素直だな……

「渡してくれ。こいつらを出したい」

「教祖様に逆らうと?」

「黙れよ盲目信者――」

「――」


 残像を残して、ヒットアンドアウェイ、もう一度残像の位置に戻る。

 早い、というか、少なくとも武術を嗜んでる……

 一瞬、あの力を利用して牢屋をぶっ壊せないか考えたが、やめだ、牢屋は壊れないから牢なんだし、何よりも、その力をまともに受ければ足が使い物にならない。

 だが……

 神父は、突然、影人に手を伸ばした。

 影人と手が触れ合うと、その影人が形を変えて……


「フクラノエモウ」


 空島語――


「トジノマソユキ」


 とぷり、と。

 液体の音が聞こえる。


「ッ!」

 ダンッ――

 飛び退いた途端、その判断が間違っていないと実感する。

 無理、だ――

 ナイフで、目の前の振り抜いた拳に向けて突きをするが、キィン、と、拳に纏った黒の液体が、固体となって弾き出す。

 オートで固体化――つか、固えッ。

 次に振り抜かれる、さっき殴った方と逆の、左の拳。

 その拳を真に受けて――

 左足を軸に、力を真横に――

 左足を地につけて、コマの様に回る。

 一回転――力をそのまま、骨が折れても構わない――

 足に込めて、精一杯――

「――ッガッ゛」

「……っ」

 ぐらつかせた――代わりに、右足がへし折れた。

 コスト対効果が見合わなすぎだろ……

 だが、そのおかげで――

 海凪が、ネックレスをちぎり取った。

 しかし、瞬間、海凪の首に手が伸び、掴んだ。

 離脱が間に合わな――

 ……だが。

 信じられないものを目にした。

 暗黒の霧が、首から侵食していく。

 その蝕みに覚えがある。

 瘴気――

「……ッ! ッ! ――ゥ……ィ、ッッッ――!」

 短く、苦しげな呼吸。

 反動から起き上がり、止めようと――


「……………………ぁ」


 ――

 ――

 ……


 ……

 …………

「ッ」

 何秒、飛んだ――

 今、意識が丸ごと刈り取られた……

 まるで、レベル五の……強制気絶のよう……


「――」


 ……「――ッ!」あ……「な、にを――」しやが……「ッ!」落ち着け、お……「――ィァァ!!」くっ……っそ、耐えろ、耐えろ、耐えろ!

「……――ッ、くァ……ぁ、ァァ……」

「耐性が出来たか」

 ッ!

「くッ――」

 ガンッ、と、誰かの入っている牢屋に打ち付けられる。

 悲鳴が短く鳴る。構う余裕はない、そのまま、膝から……折れた。

「……」

「終わりじゃな」

「……ぉ……ぇ……」

 ……血痰を吐く、血が、滲み出る……

 刺し傷は無いはず、しかし、瓦礫の切り傷から血が垂れ、敗北を、知る。

「……」

 それでも、まだ潰れていない目が、今しがた、ポイッと投げられた海凪を捉えた。

「……」


 ――

 小さく。

 酷く、小さく。

 譫言を囁く。

 ――


 抵抗のない海凪はコロコロと転がって、俺の真横の壁に打ち付けられる。

 手が、伸びた。

 血溜まりが広がる。何故、目を覚まさない。


 ――

 たまたま付いてきただけ。

 所詮は、隣人。

 でも、きっと。

 あいつなら……

 ――




 邪を飲む。




 ――






「……」

 式典。

 かの意味は、悪の対は悪。

 悪には、悪で対抗せよ、ということだ。


 俺は少なくとも、正義じゃない。

 鸞月の様に、高潔な正義を持てない。

 ならば。

 悪に対するのは、悪のみ。


覚醒せよオク・ロゥ・メッサカーサ


 受け入れた黒の力に、語りかける。

 ……最悪の手段。

 それは、悪の力も増幅できるから。


 自壊、が。

 侵食、が。

 そして……融合、が。


 体を変える。

 変わる。

 深く、深く……

 傷だらけの体に、更に鞭を打ち、呑み込まれる。

 違う。

 ……呑んだのは、俺だ。


「……」

「――く……」

「起きたか」

 海凪が起きる。蝕んでいる瘴気を、俺が吸い切ったからだろう。

「……鍵、開けてくれ――」

 踏み込みと遺言と、そして地駿。

 神父に、踏み込んだ。

「……ッ……」


 ――ガッガッゴッ――

 少なくとも三回、打撃音が響く。

 銃、ナイフ、手……その全てを使い、攻撃を逸らし、力を受け入れて、加速しながら戦う。

 そして向こうの、影人の能力が、使えなくなっているからか……

 力押しで、互角にまで持っていける――

 所々劣勢になりながらも、コンパクトに大技を振るえば、まだ喰らいつけている。

 ぶっ壊れた右足を更にぶっ壊して、踏み込み、アクセル、強打、そして攻撃を受けたら地駿で超速ドリフト。

 足が擦り切れてもおかしくないくらいの消耗を無視しながら、加速減速、ベク変と、変速的に動く。

 猛勢をいなすのも体力がいる、そして、恐らく……影人三体分の馬力を奪われた分、慣れない……動きが硬いッ。

 命を賭せ。

 絶対に、動かせ――

「――!」

 途端、神父が、小声で何やら呟くと、神父の周囲に――

 黒い、線が、迸る――

 線の内側が割れる。異空の暗黒が、闇色が、飲み込む寸前、

「ッ――」

「入らせはせん!」

 俺が弾き飛ぶ。

 次の瞬間、


 神父は忽然と、消えていた……


 ――ッ――


「……」

 爆ぜる。

 嗚呼……

「……ッ……は……ぁ」

 膝から地面に雪崩落ちて、骨が、筋肉が、肺が、内臓が、軋む。

 止まった途端に血が垂れて、口から、鼻から、そして、右足が皮から半壊し、制服に血が滲みる。

 凄惨な、光景だった。

 黒く……黒く……

 堕ち

 ……




 ……何で。

「……早く、逃げて」

 ――何で。

「鍵開けたから……」

 ……潰れた同僚を前に、鍵を開けることしかできない。

 それぞれの牢屋に入っていた四名の少女が出てきたあと、そのうちの一人が、あの同僚に駆け寄った。

「……」

 白髪の毛先に血痕がこびりついても、構わずに、男を見て、そして、目の大粒の涙を溜めて、精一杯、堪えた。

「……」

 しかし、聞こえた声に気づいたのか、突然、ポケットを漁って、電話を取り出す。

 それを見るまで、自分が通話を繋いでいることを失念していることに気付いた。

「……ナナミ」

「――?」

 涙声。だが……

 確かに今、副社長の名字が聞こえた。

「クロミヤを、治してよ……」

 携帯に表示されている名前を見ると、そこには、副社長……七海の名前があった。

「……」

 呆然と、それを眺めていると、唐突に名前を呼ばれる。

『浦和サン、黒宮サンは、息がありますか?!』

 焦った様子で、名前が呼ばれる。点呼に対し、顔が無意識に上がった。

 意識的に無意識を自覚して、ようやく、心の奥底に、絶望で見えなかった希望を見る。

 まだ、生きてるなら……

 絶望するのは、早い。

 ……っ。

 動かなければ……




 地上では、既に、大侵攻が始まろうとしていた。

 時間いっぱいまで見張っていた、神父だったが、最後で油断してしまったようだ。

 同じ大幹部であるのに、黒を纏った痕跡はあれど、現在進行系で纏っていないのが気になる。

 というわけで、同じ大幹部の仲間、司祭として、一言、聞いておきたかった。

「遣いは何処へやったのだ」

「……失礼する」

 神父が無視して失礼しようとするので、咎めようと思ったが……

 ……時間だ。

「……ネックレスはどうした」

「……」

 背中に声を掛けるが……

 無視して、どこかに行ってしまった……




 ……

 嫌な予感、では無い。

「……」

 虚ろな世界を、俯瞰する。

 黒く蝕まれる、世界……

「あ……」

 あああ……

 あつい。


 あつい、

 つめたい、

 さむい、

 くるしい。


 だと言うのに、だと言うのに……

 影が……


 俺を、徐々に侵食して……

 ……


 ――死……


 ――途端、白炎が、影を焼く。

 俺は……

 この火に、覚えがあった。


「……ッ……」

 激しい痛みと共に、鮮烈に意識が覚醒し、目が開く。

「……な」

 発音、そして、吐血。

 吐き切れず、コポコポと血と、吐き出そうとした息が混ざり、音を立てる。

 真後ろから頭部を掴まれた瞬間、一瞬、意識が飛んで、でも……すぐに、息苦しさが紛れる。顔が、下向きに向いた。

「……鸞……月?」

「はい」

「何で、ここ……に……」

「後でいいですよね、いいですね、そうですね。お説教と同時に言います」

「それは……嫌だな……」

 説教から逃げる為に、地獄にでも旅立とうとした俺の意識が、血塗れの顔に巻き付いた腕により、一瞬で捕らえられる。

 心を読まれたのか、と、思ってしまった。

 そうじゃない。

「心配しました」

「……」

「……勝手に」

「な……何だ?」

「勝手に、逝かないで下さい」

 俺の頬を、俺じゃない涙がつたる。

 ……俺は、肩を何とか動かして、ボキボキと音の出る腕の痛みを必死に誤魔化して、俺からは見えない、鸞月の頭を、髪を、少しだけ……撫でた。

 ……母親と、関わってこなかったから。

 他人との関わりが極端に薄いから。

 きっと、初めての、感情。

 ……一回、二回、三回。

 精神年齢にしては小さ過ぎる頭部を撫で梳いて。

「今……どんな……状況だ」

 ボロボロの、原型を取り止めない骨。その周りの、戦闘で痣が着いて、瓦礫で切った跡ばかりの腕。代わりに肘を丸ごと使って、頭部に置いた腕も、床に着いて使って、少しだけ、起き上がる。

 血塗れで、固まっていて……気持ち悪いったらありゃしないし、瓦礫や、微妙に打ち付けられたときに破れて、制服はほぼ使い物になりそうにない。

 一周回って、半分くらい異常な思考回路で、服を脱ぐために、力を込めた。

 途端、もう一度激痛が走った……気がしたが、バツン、と言う音の後、激痛が緩和する。

 右腕の先に力が入らないが、左腕で、制服のボタンを外しながら、へたり込んだ状態で、壁に背をつけて、あたりを見渡した。

 さて。

 どんな状況か、と問われれば、答えは……

「まだ、そんなに経ってないな……」

 ……ということは。

「……」

 心当たりの一つ。

 電話を見る。

「……ぁぁ……」

 軽く納得した。レティーの場合、通信遮断の場合と、掛けてるのに出ない、の二パターンの音声が用意されている。

 この施設内だから少なくとも、通信は遮断されてるよな……

 電気関連の施設だ。流石に、外部からの通信があってもよくない。

 そして、通知を開くと……

 ……

「四十六分前――」

 ……ぇ……

 冷や汗が、流れる。

「……」

 猶予は、無い。

 鸞月はご丁寧に、毎朝七時ジャストに起きる。

 現在時刻は六時五十分。任務開始からおよそ、一時間半……

 何分……寝てた。

 七海さんは、何か作業でもしているのか、喋らないままで、その可能性が、浮かぶ。

 これだけの時間があれば……

「……」

 もし。

 あの、神父の様な、影を取り入る者が何人もいるとして、そこに、尽きるまで影が行進する、ブラック・ゲートが、正確な位置に開いたら……

 後出しジャンケン程度じゃ、どうにもならない……

 タイマンで中堅以上の実力を持つ海凪に勝てるのだから、そして、強制気絶……レベル五の特技までを操れるのだから、負けるのは、想像に……固くない。

 完全に、朦朧とした意識が覚醒する。

 まだ、終わってない……

 見せても問題ないから、影人を吸収した。

 だから、少なくとも……

 俺がレティーに帰るくらいの時間には、既に、崩壊は始まっていてもおかしくはなくて……

 終われない、壁に肩ごと寄りかかり、起き上がって……

「ちょっと、黒宮さん……」

 その焦る鸞月の奥に、複数人を視認した。

「……浦和、それに……」

 そこにいた浦和が、声にならない声を上げる。

 そして、浦和の奥にいたのは……

 レティー地下の十三人の内の、四人。

 名前が出てこない、というか、教えてもらえてない。

 しかし、あれだけ好感度が低かった頃と比べると、皆、俺の無事を喜んでいるようだ。

 ……いや。

 どんな嫌いな奴でも、死ぬのは耐えられないだけかもしれない。

「皆、出たのか……他の牢屋の人は?」

「出した」

 短く答えた浦和。

 一緒に戦ったから、分かっているはずだ……

「もう行くか」

「ちょっと、動かないで下さい。怒りますよ」

「悪い」


 ――どこに飛んだ。

 ――どこに逃げた。

 答えを求め、スマホを見る。

「第三区、湖周辺のホテルの照明が、一部消えました」

 七海さんの言葉が、ようやく聞こえる。

 三区……


「ッ!」


 足に力を込めるだけで、体が半壊するレベルの、痛みが迸る。

 それでも、立ち上がれ。と、心を奮わせ、いざ尋常に――


 脱兎の如く、跳んだ。

 走れ、走れ。

 階段を三段飛ばし、五段飛ばしで上昇し、スマホを耳に当てながら……

「現場は」

「まだ誰もいません」

「状況は、訊いたか?」

「浦和サンから」

 血痰をそこで吐いて、もう一度言葉を継ぐ。

「上は、どういう判断をするんだ?」

 一番大事な部分は……

「……ゆっくり説明しますね」

 ……行くのには時間が掛かる。

 丁度いいだろう。


「まず、最初の襲撃の時点で、上層部は半壊してます。誘拐されました。それ以前に戦力を間引いていたので、結果……」

「隠すことにしたんだよな」

「ハイ。だから、ここまで悪化しました。テロの時点で、人為的なものになっていましたが……」

 そこは上手いこと、誤魔化したのだろう。何故なら……あくまでも、レティーは対影人がメイン。テロの部分は政府と協力すればいい。

「勿論、調べようとしました。ですが……」

 空島の外縁を走りながら、その言葉を耳にした。

「フレイリン政府が、機能停止してました」

「……?」

 機能停止?

「日本政府に救難を求めましたが、時は既に遅く、空島墜落の脅しを受け、現在は言いなりです」

「日本政府は……?」

「空港の厳重な管理で、入国が叶いません。日本以上の天然要塞ですから」

 もう、既に……

「犯人は」

「……教団。正式名称はわかりません。政府を意のままに操り、目的は不明。民間人を取り込む、空島の実質的な統括者、です」

 敵が、見えた。

 倒すために必要なことは、何だろうか。

「教団について、それ以上の情報は無いか?」

「ハイ。黒宮サンの持ち合わせている情報以上に出せる情報はありません」

「……今、戦況は……?」

「擬似的に人の出入りをなくす為に、緊急避難指示を出している所です」

「つか……オペは?」

 まず、司令官……オペレーターは、誰だ? 人工衛星の情報を共有、オフィスの社員が実質的にオペレーターを勤めるのは、ブラック・ゲート等の場合で認められている……筈だが……

「繰り上がりで、ワタシがやるしかありません。現場に派遣しようとしましたが……」

「何かあったか?」

「オフィスの外側に、丁度影人が発生。レベル、四です」

「……」

 これ……

「政治的にもぶっ潰そうとしてるのか」

 バレて困るのは、影人という情報。

 状況的に、レティーという一私企業でなく、公企業、もしくは軍隊……

 ――あ。

 フレイリン政府は既に……

「……」

 三区が、外縁から見えてくる。

 限界まで足を駆動させて、ボロボロの血塗れで、現地を目にし、少し……悔やむ。

 早いこと、レティーを辞めなかったこと。

 あそこで、覚醒、なんて根拠のないものを強要したこと。

 これから起こる地獄の、当事者にしてしまったことを。

 寸分違わず、後悔の感情に当て嵌められる。

 ……それでも、俺は……

 過ぎた潮時を、手繰り寄せる為に、向かうのだ。


「……着いた」

「衛星から見てます。タイムラグはほぼありませんが、日が登ってないので、影人は見えにくいです」

「……」

 無言の承諾をしながら、一旦、見渡す。

「地下に入ってるな……」

 レティーに地下があるように、大規模なテロとか暴動が起きれば、地下に行くのはよくある話である。空島の性質的に、地下を作らないと、いくら天然の要塞とはいえ、万一の盛り込まれた時に抵抗ができない。

 地下があるのは当然ではある。高台が少ないのだから。

「見たところ、建物の外に、影人は見えないな。そっちは?」

 繰り上げで司令官になってしまった七海さんに尋ねる。繰り上げでも任されるのは、やはり……有能だからか。こんな状況なのに、俺との能力の違いを実感させる。

「……」

 何か役職に付いているとして。一つだけ、質問が湧いてきた。

「そういえば、何年レティーにいるんだ?」

「もう、三年以上はいますが……」

「前例は無かったか?」

 ……儀式は、人が起こすもの、ともある。人為的な事件は無かったのか、と訊いてはみたが……たぶん言葉が足りなかった。

「人が起こしてますが、人が捕まったことは、ありません」

 しかし正確に聞きたいことを読み取ったらしい。俺がマウント取れるの、背くらいしか無いな……

 いよいよ本格的に辞めてもいいと思い始めた。

 ……そうなってくると。

 気合が、入ってくる。

「突入は俺が決める。今から、心理面で覚悟を決めるが、いいか?」

「避難してますから、一分だけです」

「いや、すぐ終わる」

 ……

 正義。

 到底、俺じゃあ、正義になんてなれない。

 でも、あのエメラルドの言った通り……

 俺は、不要に近い存在なのではないだろうか。

 あいつは、鸞月は。俺がいなくとも、充分、正義の味方である。

 少し仲良くなったくらいで、心配してくれる。

 ……心配掛けるのは、馬鹿らしい。

 俺の中の天秤で、嫌われる、という項目が、無いことに気付く。俺が天秤に乗せていたのは、果たして何なんだろうか。

 だが、今、天秤の片側に乗せたものは、俺の命、平穏な人生そのもの。

 勿論、鸞月よりも、俺の命のほうが、俺を動かすのに値する。

 嫌われたくないから頑張る、というのは……

 今回だけで、充分だ。


「――俺、この戦いが終わったら、結婚するんだ」


「……意中の相手がいるんですか?」

「いないけど、けじめみたいなものだ。空島じゃあ、十五で成人。結婚できるしな」

「何故その言葉を……」

「言葉はどうでもいいが、とにかく、レティーを辞職出来るなら、それでいい」

 ……それじゃあ。

「突入する」


 ――ホテルの自動ドアのガラスから覗ける中は、影人が二、三体。外には出てないようだが、このホテルの内部でブラック・ゲートが出ているのは間違いない。

 平時なら一旦、全員倒したり、狙撃手が狙撃出来る様にしてから濁った玉を割るのだが、関係無い。

 今回は倒さない、レベル一、二程度の奴らを、尽くスルーして、上に行く。

 外階段がご丁寧にもあるので、駆け足で上がっていく。

 誰もいない湖。三区特有の、海岸沿いの陽気なイメージに、高貴なイメージを引っ付けたものが、誰一人にも邪魔されないで感じられる。

 避難指示には当然、デメリットがある。まず毎回使う意味が無い。停電とかでコスパはいくらでもよく出来る。

 それを加味しても今回のは指示を出すに値するが。

 お陰で、全ての影が影人だと断定できる。

 二階、三階を見て、四階。外も中も一段と薄暗い中で、五階……

「四階の方が多い。四階から探索するか?」

「待って下さい。ホテルの内部のデータを……」

「助かる」

 スマホを見て、送られてきた画面を見て……

「……」

「どうですか?」

「……ベランダから行くか」

 合理的にそう判断した。

 早速、外階段からベランダにジャンプ。煙草の吸殻とかがあった。早速喫煙者の部屋だ。

 次の部屋に飛んで、中を見る。

 そして、次、次……

 やがて、影人が一番多い部屋を特定する。

「たぶん、俺らの最後のブリーフィングだ。捜索、突入、そして玉を破壊し、撤退。レティーのメンバーに回収も任せたい。メンバーはあとどれくらい掛かる?」

「……掛かりますね。突入しましょう」

「了解」

 待つ程の余裕も無い。見たところ、レベルは一程度……

 産まれたて、人も食べていない。銃弾一発で沈む程度……

 ベランダの窓を、まだ壊れてない左足で蹴破り、すぐさま銃を……

 ……そこで。

 ……何か、おかしなことに気付く。

「襲ってこない……」

「ハイ?」

「いや、影人が襲ってこない。何だ……」

 ……銃とナイフを持ちながら、進んでいった……


 部屋をまたいでも、敵対の様子は無し。

 あっさりと流れに逆らって、人の声がよく聞こえるところにまで来た。

 中は、どこだろう……?

 見取り図で確かめ、そこが、屋内プールの真上、水道関係準備室であることを知る。

 聞き耳を立てると同時、スマホの録音機能を作動。スクリーンレコーダー……だったか。

「……」

 息を潜めて、うかがう。

「――だ――」

 ……

「濁り作用は、まだですか」

「もう少し出てからでいいじゃろ」

 ……片方は……

 神父……ッ。

 こんな所に……

「作用を出す時は、拠点に帰らせる」

「え、初耳です」

「そうじゃったか……」

 ……もしかして……

「ワープしたばかりじゃからな……」

「そこから出てきたのはびっくりしましたよ。本当に」

「入ったら拠点に戻るだけじゃ。じゃが、濁った後は出来ぬからな」

「……気になってたんですが、一瞬だけ、すぐに雲で隠されましたが、ちょっと前の作戦の時、グリフォンみたいな……神話の生物っぽいのがいたんです。あれは何なんですか?」

「あー……そうじゃな。まず、二つのステップを踏んでおる」

「二つ?」

「一つは、歴史から抹消した人物、賢者の誘導。そしてもう一つは、我らが神様の誇る、じゃ。濁り作用は、これを潜った者を自動で説得するからのう」

 ……そこから、録画も開始する。

「儀式に必要な、導きの勾玉も、その二つの作用がある……っと、そろそろじゃな。今回は餌を投げ込むから、グリフォンとやらも、三体は来るかもしれぬな」

「そうですか。それじゃあ……」

「先に、これを使って帰っておれ」

「いいんですか?」

「おうともじゃ」

 迷いなく、中に飛び込む。

 ……


 つまり。

 濁った瞬間に打ち砕けば、すぐに、ブラック・ゲートは終息する……

 資源の消費、その面で考えた。


 俺に背を向けた状態で、空中に浮いた玉に、ポケットから取り出した、何だ……

 濁りの塊の様な、巨大な宝石が……

 触れる。

 途端に、暗黒の奔流が迸る――

 石同士が、黒く、溶け合うように……なったかと思えば、中に濁りを内包した、あの、濁った玉があった。

 静かに。

 静かに、立つ。

 銃を構える、そして、音もなく、撃つ。

 たったの数瞬で、濁った玉は破片となった。

 ……神父が、振り返る。

 そこには、驚愕、そして、何よりも……怨嗟が籠められていた。

「――」

 顔を顰める。その後ろで…徐々に収縮していく黒い裂け目。

 スマホはまだ仕舞わない。敵をの顔を、これでもかと映す。上半身、下半身……全身を、キッチリと。

 そして、そのスマホが捉えたのは。

「――ッ」

 黒い裂け目が、爪によって、抉じ開けられる瞬間だった。

 経験、したことがある――

 ……

「――グリフォン――」

 神父の呟き。しかし、神父は焦らず、ポケットの中に手をいれると――

 黒い裂け目が、新たに出来る。

 中に消え、グリフォンが完全に抉じ開け、姿を表したところで、入れ替わるようにして、消えた。

 問題は、逃げられたことじゃない。何よりも、その、グリフォンの顔。

 拉げた耳、捻じ曲がっている爪……

 ……撮影、そして、動画を止め、窓まで全力で走る。

 地駿を併用して、ベランダの柵に足を掛けて、飛んだ……

 外まで戻ってきた。

 なんとか着地して、スマホに向けて声を張り上げる。

「すまんッ」

「いえ、今は、逃げ――」

 瞬間、ホテルから、その巨躯が、諸々ぶっ壊し――

 地上に、放たれた。

「衛星から見えるかッ」

「ハイ!」

「……増援まで、あと何分だ……」

「……今確認しました。まだ、掛かります」

 日の登らない、薄暗い二区の上空にいる、グリフォン。

 銃弾を、閃光弾に入れ替える。空に向けて、放った。

 それを、間近で見て――

 グリフォンが、ホテルをぶち壊しながら、堕ちる。

「耐えておく」

「ハイ、お願いします」

 駆け出して、ホテルの壁を丸ごと破壊したグリフォンの背に、飛んだ。

 その首に蹴りを入れて、微妙にふんわり浮上しながら、背に着地。

 と同時に、靴のスイッチを入れる。

 ――空を、踏む。

 起き上がったグリフォンに、投げ飛ばされる。

 左足と腕を使ってなんとか、高度を保ち、もう一度同じ動作で、跳躍。

 羽搏き始めるグリフォンよりもまだ一段と高い位置から、今度は、重力による落下も利用して、空中で弾き飛ばす――

 顔面に、拳をクリーンヒット。

 湖に堕ちる。水飛沫が、高く、高く――

 水流を産んだグリフォンは、落とされるのに慣れたのか、早い復帰で、もう一度飛び上がった。

 空中で鉤爪と、追撃に向かった腕が交差する。

 自力が強い――相殺し切れないで、跳ね上がる、すぐさま軌道修正、空を踏んで、踏んで――

 羽の部分の、先端に捕まる。

 振り下ろそうとバッサバッサとする、グリフォン。真下への推進力が最大になった瞬間、地駿も応用――数メートル真下に落下した後、百八十度の反転、すぐに、その頭蓋に弾丸二発と、蹴り上げを叩き込む。

 硬い骨をミシミシさせるまでもない、ぶっ飛ばす――

 横殴りみたいな感じで、空島の範囲外に押し出す。

 今度こそ、と思ったが、立て直しと、飛翔は早い。

 高度を下げず、もう一度、迫りに行く。しかし今度は――

「……ッ」

 スマホから大音量で、指示が飛ぶ。

「受けるか逃げて下さい!」

 後ろを、振り向く。

 過呼吸が一瞬止まる、それほどまでに……

 異様が、存在していた。


 蝙蝠の羽、に、蝙蝠で無い図体。

 恐ろしい顔を……その名を表す、生物を……

 俺は、知っていた。

 翼竜。

 ――ワイバーン――


「――ッ」


 真っ黒な、翼竜に、黒い炎が口から漏れ出る、

 まるで、


 俺を、その炎のブレスで焼き切るかのように、


「――」


 すんでのところで、全身の炭化を避けた。

 防火性の制服のお陰で、完全には防げなかったものの、被害は甚大。

 外炎に焼かれ、右足が更に使い物にならなくなる。制服のお陰で形は保っているものの……一歩も動かなくなる。

 骨の粉砕と火葬を済ませた右足、そのせいか、靴の機構も、ストップする――

 駄目……だった。


「――ッ」

 睨めつける。この、ワイバーンを。

 翼に、突き刺さるように。

 空島の空に、俺は、軽々と、飛んだ――


 ……


 朝日が昇る。

 日の出は今日を報せ、一日、という始まりを告げる。

 空島。宇宙に一番近い場所。

 天井の無い青空、その果の宇宙を、地球の遥か、特等席で。

 今、朝日を背に、この今日という一日に、唯……無を、感じた。

 見計らったかの様な旭、舞い散る血液、そして、黒の衣装。

 不意に完成した、錦色。

 空にいるのに、鯉や金魚の様に、水中にいると錯覚する。

 ……嗚呼。

 悪は、死ぬ。俺は、正義、なんて大層なモノに成った気は無い。

 この天と言う網に捕われ、軈ては逝ぬ。


「……」


 ……飛ぶ、飛ぶ。

 ノイズの様に、意識が、飛ぶのだ。

 その度、生きようと藻掻く。もう一度、舞う。

 無意識の狭間、本能に忠実に、浮遊感を止めようと、何千、何万、幾星霜の回想を、途切れても、途切れても、再生する。

 血痰を吐けなくても、迸る血が飛び散っても、肉体が崩壊しても、記憶が、一瞬、消えたとしても。

 まだ、まだ、もう一度、醜く、憐れに、手を、伸ばして掴めずに……

 もう一度、伸ばして。みっともなく、空を切り、瞬間、ブツリ、と音がして、手が、鯉幟の様に、風と重力に従ってだらしなく、空に垂れる。

 諦められない。

 千切れそうな左腕を、一生、と比喩できる位の時間を掛け、もう一度、雨垂れが石を穿つ迄、もう一度、明日の朝日を拝むくらいの時間を掛け、懸命に、伸ばす。


 ――背中から、世界に墜ちる。

 この地球に、大空から。

 木の葉が落ちるより速く。


 ――届け、と。

 虚空に問うて、誰にも見られることは無い。

 そんな虚空が、点滅する。

 駄目、だった。

 無駄、だった。


 伸ばした手はまた、空を切るのだ。


 そう、思った――


 まだ残っている聴力。それが、ガッチリと手を握る、パチン、と言う音を認識する。

 今しがた耳朶を打った音が、現世に、意識を呼び醒ます。

 起きな、ければ。

 黒く沈んだ視界に、もう一度、青空が映った。




 ――

 突如として起きた、襲撃。影人でなく、人間の手によるものだった。

 連れ去られた先で、歯痒い思いを怺えて、ようやく、救出された。

 相手は、知らない女と、少し前、誰もが認めなかった、男だった。

 ……黒宮である。

 特保隊第七位である、橘めあり。その肩書のある自分が、同じく、第四位、第八位、第十二位と共に連れ去られてしまった。

 その救助に、来てくれた。一度、否定したのに。

 あの時。第八位、常磐の案である、決闘で遠ざけるという作戦に一枚噛んで負けた上、ここまでの無様を晒してしまった。

 だと言うのに。

 黒宮を差し向けた、七海……副社長である彼女は、許してくれた。

 そして、黒宮が気絶してる間、話を聞いた。

 途中で来た、銀鎚……こと、鸞月燿の、話を。

 七海副社長は、初めて聞いたらしく、仲直りの為にも、治療する、という話を進めていたのだ。

  鸞月からも、仲良くしたいから、お願いです、と言われた。もしお互い話して、互いに合わなかったら、無理に仲良くする必要はない。とも、言った。

 ……自分の間違いを、知った。

 途中で、黒宮の目が覚めてしまったが、何もできず、ただもう一度他の戦場に向かう姿を見つめるしか無かった。

 ……途中から、指揮がバトンタッチした。

 鸞月に指揮の裁量が与えられ、黒宮の援護に向かうことになった。

 本人は申し訳無さそうにしていたけれど、皆の能力は把握しているから、すぐに指示を出して……

 ……やり直しに、向かった。


「……すみません、何も出来ず……」

 会社から出て、鸞月が言った。慌てて、わたしも言葉を出す。

「何も出来なかったのは、わたしたち。だから、謝らないで……」

「……はい。では、そろそろ……作戦を始めます」

 ……そして。

 作戦の詳細を話してくれた。


 ……時間は経って、朝日が昇り始めようとした頃。ようやく到着したわたしたちは、信じられないものを見た。

 神話に出てきそうな生物が、いる。

 武器も無かった。でも、わたしが飛び出すのには、この特異があれば、充分だった。

 湖の水を拝借して、形を作る。わたしだけは、水の上でも歩くことができ、その水を操って……

 小さな龍が、作られた。

 しかし、瞬間……

 上空で戦っていた黒宮が、不意に攻撃を受け、宙に舞う。

 それを見た時には、その龍に跨って、発進させていた――

 既に、高度がぐんぐんと下がる黒宮を追う。

 空高くから、落ちて――空島の下、一部が壊れ、滝の落ちているところより更に下まで、下降して、伸ばしていた手を繋ぎ、水の硬さを操って、龍の上に、着水させた。

 このままでは、沈んでしまう。濡れた体を引き上げて、自分の背中に乗せた……




「……ッ――が」

 かはっ、と。

 血が、口から止まらない。

 一瞬、引っ張られる感覚がした後、着水した様な衝撃が走り、そして……

「……」

 口から血を垂らしながら、嘔吐。ついで、痙攣。

 美しい青い髪を、汚してしまった――

 当の本人を、朧気な意識の中、見つめる。

「――ッ、たち……おぇ、ぅ……」

 新たに爪で付いた切り傷を抑えることも出来ず、ただ顔を苦悶に歪める。

 腹をざっくりとやられていた……止血もできない。

 失血、完全な、失血……

 背中に身を預け、耄碌し、消滅寸前の意識を、目の前の特異な景色が繋ぎ止める。

 ガラガラの、声が出た。

「……たち、ばな……めあり……」

「――」

 息が、続かない。それでも、潰れた肺にもう一度空気を送り込み、精一杯咽て。それでも、喋る。

「なん、で……ここ……に」

「……謝りたかったから、です」

 静かに、でも、確実に、後悔と反省を滲ませて、言う。

「……仲良くしようとしてくれたのに、無駄にしました。最初から、仲良くしようとしませんでした。自分の感情で、人を何も知らずに否定しました」

「……べつ、に……、……きに、してない……が」

「……気にして無くても、申し訳ないのです。だから……何か、しないとって」

「――」

 脳内に浮かんだ、人影なら。

 あいつなら、どう言うか、考えた。

「じゃ……あ……そう、だな。なかよく……なる……どりょく、は、しよう。それ、で。こん……かいは……て、うち……だ、な」

「……それは、不公平です。罪悪感が……」

「……い、や。ちがう、な。おれの……まえ、で。とくい、みせたん……だろ? それ、だけ、かくご、ある……なら……もう……いい」

 途切れ途切れでも、そう、伝える。

 だが……もう、駄目そうだ。

「……す……まん。たち、ばな……いっしゅん……おちる」

 ……………………


「ぁ……」

 体の痛みのせいで、数十秒で起きる。改めて周囲を見回すと、どこにいるのかが、分かった。

「みず、うみ……」

「そうです。今から、搬送です」

「……いや……まて。てきは……」

「……」

 視線が、上に向かう。俺もなんとか、首を、上に傾げた。

 ワイバーンも、グリフォンも。空中を飛び回る鸞月が、ハンマーを振り回しながら、戦っている。

 特異の白炎が二体を囲っていた……

 ……あの、調子だったら……

 大丈夫か。

「……」

「……救助は、すぐに来ます」

「……そ、か」

 ……チカ、チカ……

 点滅が、止まらない。起きても、体は痛い。血は、垂れ続けている。

 ……そこで、耳に、救急車の音。

 何だったか、ドップラー効果だったか……

 ……とにかく。

 隊員に麻酔を打たれた所までは、記憶にあった……


 ――

「……ぅ……」

 呻く。今度は、声がガラガラじゃない……

 だが……

 全身の痛みは、少し前の、テロの時より幾分も酷い。

 動けない……

 何日寝ていたのか、体が全く、動きそうに無かった。

 結局、もう一度睡魔がやってきて、落ちていった……


 さて。

 体感、八時間以上は寝た。

 で、だ。

 チューブまみれ、人工呼吸器、そして、とんでもない数の注射痕。

 あんだけのことがあったのにも関わらずに、俺よりも重度の施設で治療して貰ったらしい海凪が、写真を見せてくれた。

 結局パトロールでどこかに行ってしまったが……

 その後に、医者にチューブやらを全部外されて、ベッドに寝っ転がっているとお見舞いに誰かが来た。

 その顔を、しっかりと認識する。

「七海さん。足は大丈夫なのか?」

「ハイ。それよりも……」

 七海さんが後ろを向くと、三人……入ってきた。

「あれ、知り合いだったのか?」

「イエ。任務の時の縁で」

「そうか」

 七海さんの後ろに、パール、サファイア、そして、鸞月が控えていた。

 まるで保護者と子供である。見た目的にサファイアは大人側だが、子供みたいな扱いだな。

 ……でも……

「……会うのは三回目か?」

 そう、パールとはまさかの会うのが三回目なのである。

 いや、橘めありはもう何回か会ってるが、一緒に過ごした時間で言えば、三時間にも満たない。学校の授業三回分より、も密度が低いのだ。

「名前、まだ聞いてなかったな。なんて呼んで欲しいかだけ、教えて貰ってもいいか?」

 取り敢えず呼称に困るので、訊いておく。

 まず、パールの方が、口を開いた。

「神薙真白。真白でいい」

 白い睫毛が、ゆっくり持ち上がって、大きな目で、俺の方を見る。今日は眼鏡をして無いらしい。

「橘めあり……橘でお願いです」

 こっちの方は、橘……でいいのか。

「皆、今日はどうしたんだ? 地下のメンバーはあんまり外に出ないはずだと思うが」

「裏口使えば簡単だよー」

 と、パール――真白が答える。そのまま、

「お見舞いに来た」

「わざわざか?」

「ん、わざわざ」

 わざわざなのか。

「……そういえば」

「何だ?」

「敬語じゃない」

「敬語のほうが良かったか?」

「いや、距離感じないから、こっち」

 ならいいか。

 ベッドに座って、俺の顔をしばらくじーっと見つめながらも、そこで会話は途切れてしまった。

 さて、じゃあ……

 取り敢えず、椅子に座って、気まずそうにしてる橘に、話し掛ける。

「何かありましたか?」

 だが……

「黒宮さん、敬語はやめてあげて下さい」

「……おう」

 鸞月に釘を刺された。

 俺としては正味、水の特異を使われれば勝てないので、敬語のほうがよくね、と内心思ってはいるのだが……

 深い青の髪が揺れて、鼻孔を、軽い匂いが過ぎる。

 少し、近付いてきた。

「……スマホ、ありますか」

「……え……ああ。どこだ……?」

 と、鸞月が、スマホを取り出す。

 暗証番号を普通に解除して、こっちを見た。

「あれだ」

「……」

「……?」

「その……………………連絡先」

「……別にいいぞ」

 鸞月が、俺の連絡先を表示させ……そして、交換を終えた様だ。

「俺の連絡先、必要なのか?」

「……必要ではない、ですが、また、お食事に誘って貰えたら……と」

「お酒、飲みたいのか?」

「……かぐちゃんが止めてくるので」

「かぐちゃん? ……ああ、赫灼か。外で飲んだこと、あんまりないのか?」

「あの時が、初めてです」

「そうか……なら、また行こう」

 すると、話を聞いた真白も、「唐揚げ食べれる?」と乗っかってくる。

 唐揚げ……は……

 俺の顔が見ただけじゃ、無いか……?

 いや、まあいいか。


 雑談に咲かせた花の花弁が全て落ち、昼頃、ご飯を食べに皆でどこかに行った。

 結局、割と雑談は盛り上がった。

 それは一旦いいとして……

 わざわざここで一緒に食べる為におにぎりを買ってきたらしい鸞月と、作戦会議だ。

「……仲良し計画だったか? は、俺の見立てだと、六分の一だな」

「はい。橘さんと、神薙さんは、達成できたと思います」

「……うーん……」

 こりゃあ、骨が折れるな……

「取り敢えず、またのセッティングを待つしか無いな」

「そうですね……」

 取り敢えず過半数は越してればその計画については安心するだろうが、まだ、六分の一程度しかない。

 進捗は良い方とは言えないな……

「……それは、考えておきます。それで、黒宮さん。聞きたいことが」

「何だ?」

「七海さんって、どんな人ですか……?」

「そこ?! そうだな……」

 意外なチョイスだし、質問の意図は分からないが……

「有能、だな。同い年くらいなのに、仕事できて……たぶん、何か役職持ってるんじゃないか?」

「……知らないんですね」

「何を?」

「なんでもないです」

 何でもなくなさそうだが……いや、気にするだけ無駄だな。

「……腹減ったな」

「そろそろ食べ物来ると思いますけど……」

「鸞月の手料理の方が美味いんだが」

「……」

「……いい笑顔」

 顔文字で表せる(決して絵文字ではない)くらいのいい笑顔だ。

「本当は俺が料理を作るべきなんだが……」

「全部冷凍食品かカップ麺にしそうですからね」

 何とも、情けない限りではあるが……

 ともあれ。

「気、遣ってくれて、ありがとな」

「どういたしまして」

 計画のためでもあるが、本人の為でもある。

 あの二人とは……ゼロから、関係性を始めなくちゃいけない。

「……頑張らんと……」


 被害報告と、あの後の事を一通り聞いて、時間になったら帰っていった。

 今度こそ、一人である。

 教団は、尻尾を掴めそうだったのはいいものの、逃げられてしまい、捜索中……

 ワイバーンは、途中でワープ。グリフォンは、しっかりと討伐されたらしい。

 目撃者は無し。ホテルが幾つか倒壊したものの、復旧は既に始まっている……

 俺が寝てた二週間弱の間には大きな事件は残っていないらしい。

 ビルの前にいたレベル四の影人も討伐し、被害者は……俺等を除いて、一般では無し。上々の結果に終わった。

 寝てる二週間弱の間に、体は回復していた。潰れた内臓とかは割と治っていて、右足も……動ける。

 ……これで、一件、落着。

 窓の外を眺めながら、少し、耽る。


 教団。

 政府を脅し、レティーを襲撃し、何かをしようとしている組織。

 だが、もう、命を賭けるのは、勘弁ではある。

 ……まずは、時期的に、帰国から……か。

 帰ってきたくないが、退職届の受理には時間もいる。

 余裕を持って出すから、それは、帰国を終えてからでいいだろう。

 明日には、退院。そう聞いていた。


 ……今日は、もう寝るか。

 布団に入って、すぐに、眠気が来る。

 そのまま、深く……

 眠りに落ちた……

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