主役でなくても

幸まる

いちごジャム

領主館の庭園の四阿あずまやで腰掛けて、領主子息のアルベリヒは溜め息をついた。


年末年始の長期休暇を終え、姉兄と共に寄宿学校へ戻っていたアルベリヒは、乗馬競技の練習中に落馬をして左腕を痛め、療養の為に先日から領主館生家に帰されていた。


春の訪れを祝う花祭りも過ぎて、庭園の花々は満開を通り越して花弁を落とし始めているものもある。

春は意外と短い。


アルベリヒの一番好きな、飛躍と変化の季節であるのに、今年の春はいつものような浮き立つような気持ちを味わえないでいる。




アルベリヒは領主の五人の子の真ん中。

長女のクラウディア、長男のエドワードに続く、第三子の次男で、十二歳だ。

母に似て美人で気立てが良く、卒なく何でもこなす姉。

体格が良く活動的で、面倒見の良い兄。

そんな二人を見習うべき手本として疑わず、特に同性の兄に追随するように生活してきた。

将来、この領を継いでいく兄の手足となれるようにと、暗黙のプレッシャーも感じていたように思う。


しかし、そのプレッシャーは自分だけでなく、兄にも大きくのしかかっていたのかもしれない。

親元を離れて寄宿学校という場に入ってから、兄はどこか変わってしまった。


兄を慕う友人や下級生が増える程、自分をより大きく、より良いものに見せようとするようになった。

いつからか取り巻きを従え、その振る舞いは日に日に尊大さを増した。


これはいけない。

何か違う。


そう感じながらも、アルベリヒは今までと変わらず兄に付き従っていたし、兄もそれを当然とした。


そしてある日、それは瓦解した。

両親が兄の振る舞いを知り、それを自ら正すようにと促したのだ。

出来なければ、いずれは「廃嫡」という結末も有り得る、という特大の釘を刺して……。



春の微温ぬるい空気が、ゆるゆるとアルベリヒの頬を撫でていく。

何があっても、前を歩いていると信じていた兄の姿が揺らいだ今、彼の心もまた、揺らいでいた。


これから自分はどうすれば良いのか。

突然一人で放り出されたような気分で、四阿あずまやの椅子に座ったアルベリヒは、再び溜め息をついた。




「お兄様、いちご、食べないのですか?」

「え……あ、えっ?」


突然声を掛けられて、アルベリヒは我に返った。

四阿あずまやには、自分の他に弟のアントニーと妹のエミーリエがテーブルについていて、一緒にお茶をしている最中だったのた。

すっかり自分の世界に入っていたらしく、アルベリヒ一人が茶菓子に手を付けていなかった。


今日の菓子は、大粒のいちごが上に乗った、小さなドーム状のケーキ。

いつまで経っても食べてもらえないいちごを見つめ、エミーリエは悲しそうな顔をする。


「キラキラのいちご、美味しいのに」

「はは。じゃあエミーリエにあげるよ」

「本当ですか!?」


譲ってもらったいちごを、エミーリエは嬉しそうにうっとりと眺めた。


艶出しのシロップが掛かった一粒のいちごは、どこから見ても可愛くて美しい。

華やかな色と香りは人を惹きつけ、口に含めばその甘さと風味で魅了する。

これを嫌いな人なんて、そういないだろうと、アルベリヒは思う。


しかし今は、その一粒が目指していた完璧な兄の姿と重なり、なんとも言えない気持ちになる。

そして、いちごのなくなった地味なケーキ土台こそが、まるで途方に暮れている自分のようにも映って、居た堪れずアルベリヒはフォークを突き刺した。



「僕はジャムの方が好きだな」

「え?」


殆ど会話したことのない弟の声がして、アルベリヒは顔を上げた。

どうやら彼はエミーリエに話し掛けていたようで、アルベリヒが反応したので少し驚いたような顔をした。


「あ、えっと、僕は上に乗っているいちごより、中に入っているジャムが好きなんです、兄様」

「ジャム?……確かに美味しいけど、脇役だろう? それに、飾りにも使えないようないちごで作るんだぞ」


アルベリヒも、アントニーやエミーリエのように、幼い頃には厨房を覗きに行ったものだ。

特に甘味を作るところを見るのは、甘党のアルベリヒには楽しいものだった。


その時に、ジャムを作るところも見せてもらったことがある。


飾りに使えない形の悪いもの、小さいもの、言ってみればがジャムになるのだと知って、驚くと共に、美しく並べられたいちご選ばれたものが眩しく感じたものだ。



しかし、アントニーはキョトンとして首を傾げた。


「僕は、“飾りになれないいちご”じゃなくて、“美味しいジャムになれる”いちごなんだと思います」

「美味しいジャムに……なれる?」

「はい。……あっ! そうだ!」


アントニーはナプキンを置き、さっと椅子から立ち上がって言った。


「兄様! 厨房へ行こう!」

「は?」




アントニーは、専属侍女のコリーに何やら小言を言われて、厨房の中ではなく、屋敷を回り込んで裏口近くへアルベリヒを連れて行った。

そこは業者が荷物を搬入したり、厨房で働く者の出入りに使われるような所で、領主一家が足を踏み入れるような場所ではない。

しかし、窓がいくつも並ぶこの場所は、外から厨房を覗き見るのには、うってつけの場所なのだった。


コリーに、夕食仕込み中の厨房の邪魔になるからと止められて、仕方なくこちらに回ったのではあったが、並んだ窓から覗く厨房は、その窓によって部門別の働きを見ることが出来て、ワクワクする。

辺りには色々な食べ物の匂いが漂っていて、自然に鼻がスンスンと動いた。



「兄様、ほら、あれを見て」


アントニーが手招きしたのは、製菓担当台が見える位置の窓だった。


ちょうど焼き上がった菓子をオーブンから出したところだったようで、背の高い料理人が焼き上がりを確認して満足気に微笑み、網の上に天板を置いた。

横から覗いた下女が大きく息を吸い込んで、嬉しそうに目を細める。

それだけで、どんなに良い香りか想像がつく。


天板の上には、艷やかな濃紅色が目を引くタルトが並んでいる。

それは、アルベリヒの好物のひとつ。

いちごのジャムタルトだ。


タルト台にジャムをたっぷり敷き詰めて焼かれたそれは、焼成中にジャムの水分が程よく飛ばされ、凝縮したいちごの旨味が味わえる。

サクサクとしたタルトと、煮詰まってねっちりとしたジャムが絡み、食感も楽しい焼き菓子だった。



「ケーキを美味しくしたり、焼き菓子にもなったり、やっぱりジャムってすごいです」


目をキラキラとさせて窓から中を覗き、高揚した声でアントニーが言った。


「……でも、主役じゃないぞ?」


思わず漏らした一言に、アントニーはポカンとした顔で兄を見上げた。


「僕は朝のパンにジャムがないとイヤです。パンだけでも美味しいけど、ジャムがあるともっと美味しくなるんだもの。ジャムがない朝食はがっかりします。主役じゃなくても、絶対ジャムが欲しいです」


アルベリヒは言葉に詰まった。

ジャムだけでは食事にならないのだから、やっぱりジャムは主役じゃない。


だけど……。


少なくとも、主役じゃないということと、要らないものであるということは、同義ではないのだ。





厨房の中の人々が、窓際のアルベリヒとアントニーに気付いて、パラパラと頭を下げ始めたので、居心地が悪くなって窓際から離れた。


アルベリヒは歩きながら、ふと疑問に思ったことを口にした。


「そういえば、今ジャムタルトを焼いていると、どうして分かったんだ?」

「僕がデザートに出して欲しいとお願いしたんです。兄様の好きな菓子なんでしょう?」

「……そうだけど、どうして」

「元気が出るかと思って」


アルベリヒは立ち止まり、目を丸くしてアントニーを見下ろした。


「そんな気遣いを、どうして僕に?」

「前に兄様が優しくしてくれて、僕は嬉しかったから!」


それは予想もしていなかった答えだった。

末妹エミーリエのことは、兄のエドワードが可愛がるから一緒に相手にしていたが、正直言って、アントニーとはほとんど関わったことがない。


しかしアントニーは真剣な顔で首を振った。


「アルベリヒ兄様は僕を笑わなかったし、駄目なことはちゃんと教えてくれたもの」




それは去年の夏季休暇の時だ。


アントニーは雨上がりに庭園でカタツムリを見つけた。

いつまでも逃がさず、侍女達に止められても、長い時間ずっと遊んでいた。


アントニーはこだわりが強く、こうしたいと思ったらなかなかその考えから離れられない。

まだコリーが専属侍女として側にいなかった頃で、周りの者はアントニーのことを影で「手に負えない」と言っていた。

アントニー自身もそれを知ってはいたが、変えたくないものは変えたくない。

このカタツムリも、もっと見ていたいのだから仕方がないのだ。


「死んでしまうから、離しておやり」


そんなアントニーに声をかけたのは、アルベリヒだった。


「面白いからずっと見ていたいんだろう? でも、ずっとお前が持っていたら死んでしまう。面白がって殺してはいけないよ」

「でも、でも……もっと見たいんだもの」

「……それなら、庭師小屋の近くに小さな畑があるから、そこへ行ってみたらどうだ? 別のカタツムリがいるかもしれないし、他にも虫がたくさんいる」

「虫? バッタもいるかな?」

「どうかな。でも、もしいて捕まえても、後でちゃんと逃がさなきゃ駄目だよ」

「…………はい」





……そんなことで?

話を聞いて、アルベリヒは困惑した。

あの日はたまたま庭園を散歩していたら、四阿あずまやでずっと動かない弟に侍女が困っていて、それで声を掛けただけだったのだ。


呆然とするアルベリヒの前で、アントニーは恥ずかしそうに笑って言った。


「僕も、兄様みたいなお兄さんになりたい」


“兄様みたいになりたい“

それは、ずっと自分がエドワードに対して思っていたことだ。


自分にとっての兄のように、自分もまた、努力次第でアントニーにとって憧れの兄になれるのだ。

アルベリヒは、初めてそこに思い至った。




アルベリヒが黙ってしまったので、アントニーは側に控えるコリーを見上げる。

コリーは軽く肩をすくめた。


「………ありがとう、アントニー。今夜のデザートが楽しみだよ」


ようやく言って、アルベリヒは自由になる右手で弟の頭を撫でた。

弟は嬉しそうに笑って「はい!」と元気に答えた。




主役級にはなれなくても、僕は、僕なりの、“兄”になろう。

僕なりの“弟”でいよう。


この腕が治って寄宿学校へ戻ったら、また兄と共に過ごそう。

そしてまた”何か違う“と感じたら、今度こそ自分の言葉で伝えるのだ。

今も貴方は僕の憧れで、どうかそれを誇れるままの兄でいて欲しいと。


……今度こそ、きっと。



差し出されたアントニーの手を握って、アルベリヒは歩き出す。


いちごタルトの甘い香りが、そっと二人を撫でて行った。




《 終 》


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主役でなくても 幸まる @karamitu

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