忘れられた図書館
香山 悠
本編
祖父が亡くなった。三月の終わり。
突然の出来事に、
祖父が亡くなった現実をうまく消化できないまま、あっという間に時間は過ぎた。泣く暇もなかった。
数日後、遺品整理を手伝うために、祖父母宅を訪ねた。
祖父から自分宛てに遺品があると、祖母から聞かされた。スチール製の平べったい箱のようだ。
蓋を開けると、黄ばんだ紙と鍵らしきものが入っていた。地図だ。地形を見るに、ここら一帯が描かれている。地図には、赤い丸印と、そこに至るまでの道のりが赤い線で示されていた。手紙のようなものは入っていない。印の意味や、謎の鍵について、一切説明する気はないらしい。
出流は、印の場所に徒歩で向かってみることにした。
「ばあちゃん、行ってくる」
「ほんなら、これ持っていき。おやつ代わり」
祖母から、飴の入った小袋を渡された。ポケットにしまう。
祖父と出流は趣味が合い、よく話した。二人とも、謎解きが好きだった。祖父が数独やクロスワードパズルを解く横で、出流は幼いころからいっしょに解こうと絡んだ。
狭い路地を抜けて、地図の進路に沿ってぐねぐねと曲がりながら歩いていく。いつの間にか、地面がコンクリートから石畳に変わっていた。
急に視界が開けて、青空が大きく見える場所に来た。石畳の先は、目の前の古い洋館につながっている。
正面の扉をノックしたが、返事はない。押しても引いても、開かない。なるほどと思い、出流は鞄のポケットから鍵を取り出した。鍵は、カチリとはまった。
扉を開けると、外観からは想像もつかないほど中は小綺麗としていた。そこら中に、中身の詰まった本棚が置かれている。壁も本でいっぱいだ。
出流が圧倒されていると、横から突然声がした。
「ようこそいらっしゃいました」
紳士然とした初老の男性が、カウンター越しにこちらを見ている。まさか人がいるとは思ってもみなかったので、出流は飛び上がりそうになった。
「ここは、忘れられた物語や出来事を、本の形でまとめている図書館でございます。本来は、ただの人間が立ち寄れるような場所ではございませんが、どうやらあなた様は、鍵をお持ちのようでございますね」
紳士は、興味深そうに出流が持つ鍵を見つめていた。出流は慌てて、ズボンのポケットに鍵をしまう。
「どうぞ、心ゆくまでご覧ください」
微笑んだ紳士に促され、図書館の奥へと進んだ。出流の頭は疑問でいっぱいだったが、あえて、紳士には訊ねなかった。
これはもしかすると、祖父から自分への最後の挑戦なのかもしれない。紳士は、祖父の友人だろうか。
出流は、試しに本棚から一冊取ってみた。どうやら、戦国時代のある武将の伝記らしい。名前は聞いたことがない。興味が湧いて、冒頭数ページを読んでみることにした――。
「ずいぶんと、読み耽っておられますね」
紳士に肩を叩かれて、出流は顔を上げた。
「声をおかけしただけでは、反応されませんでしたので。……ところで、なぜ今になって、こちらにいらっしゃったのでしょうか」
唐突に訊ねられた出流は、まだ本の内容に引っ張られている頭をゆっくりと働かせた。
なぜって、地図を見つけたからで……地図と鍵……そうだ、じいちゃんからの遺品で……じいちゃん……。
「忘れたいことは、ございませんか? こちらの図書館で、お預かりできますよ」
紳士の声が、するりと出流の頭に入り込む。
「じいちゃんが、死んだんだ……」
今にも寝てしまいそうな、まどろんだ声で答えた。
「それでは、鍵を頂戴いたします」
出流はポケットを探って、中のものをつかんだ。紳士に向かって、左手を差し出す。
手のひらには、飴の小袋が乗っていた。
きょとんとした顔の紳士と、手のひらの飴を見た出流は、徐々に頭がはっきりしてきた。慌てて、手を引っ込める。
「鍵をお渡しいただければ、おじい様のことも、綺麗さっぱりお忘れできますよ」
出流に向かって紳士が手を伸ばして来たが、出流は素早くその手を避けて、全速力で扉へと向かった。
勢いそのままに扉を押し開け、外へと飛び出す。太陽の位置は、洋館に入る前から少しも変わっていなかった。
振り返らずに、石畳の道を走り、狭い路地を抜け、なおも走る。
出流は、泣いていた。なぜかはわからない。ぼろぼろと涙を流しながら、無我夢中で家まで走り続けた。
家に着くと、玄関で祖母が待っていた。泣き止まない出流の顔をハンカチで拭いながら、出流に訊ねる。
「どうやった? じいちゃん、おったか?」
訳知り顔の祖母に向かって、出流は笑いながら答えた。
「飴、ありがとな」
忘れられた図書館 香山 悠 @kayama_yu
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