私を埋めないで

白川明

私を埋めないで

 美香へ。


 この手紙があなたにきちんと届いているといいのだけど。

 こんなもの貰って、戸惑っているよね。でもあなた以外に頼める人がいなかったの。


 あなたに出会ったのは教養の憲法の授業だったね。あなたは教職で必須科目だったけど、私は特に意味もなく取ってた。教授の評価が厳しすぎると知ってたら、取らなかったな。でもそうしたら、美香とも出会っていなかっただろうね。あなたと私の接点はそれだけだったから。

 うちの大学は首都圏出身者がほとんどで、地方から出てきた私たちみたいなのは珍らしかったよね。高校の頃の話が全然話が合わないって、よく言ってたね。私も笑って同意してた。高校どころか、何もかも違う、本当にみんな温室育ちすぎ、ともあなたは言ってたね。

 あなたは北の方のすごい田舎で生まれ育ち、大学進学でやっと脱出できた、とよく話してくれたね。田舎のいやなところを煮詰めたみたいな場所で、因習村なんて呼んでた。このまま逃げ切ってやる、があなたの口癖だった。教育実習先も母校ではなく大学が紹介してくれた都内の学校にしていたね。いま、こうして先生になれて良かった。そういえば、あの彼と結婚するんだって? おめでとう、あなたは逃げ切れた。二度と故郷に帰っちゃ駄目だよ。


 ああ、ごめん、これは言い過ぎたかもしれない。あなたの話を聞いて、あなた自身を見ていると、少なくとも悪いご両親ではなかったように思うから。理解はあまりないけれど、あなたを愛してくれて、あなたもそれをわかっていたようだから。そうだね、切らなくていい縁なら、大事にしてね。

 ごめん、話が逸れた。

 言いたかったのは、あなたがとてもまともな人だということ。だからこそ、安心してあなたに頼める。

 ついさっき、あなたの口座にお金を振り込んだよ。この前飲んだときに口座振込にしてよかった。今回必要になる分はそこから使って。

 多すぎる? いいえ。お詫びと、あとは結婚祝いも兼ねているから、決して多くはないよ。出来たら、結婚祝いは何か選んで送りたかった。でも、無理そうだからお金だけで許して。彼にもよろしく。


 そろそろ本題に入らなきゃ、ね。

 お願いしたいのは、もう想像が付いているかもしれないけれど、私の骨を私が買った墓に入れて欲しいの。詳しい話はこの手紙に付けた書類に書いているから、そっちを読んで。

 私の親? 兄弟? ああ、私にはいないから。法的に私の遺体を引き取れる親戚は生存していない。面倒をごめんね。でも、どうしてもお願いしたくて。

 親戚はいなくても、私の死体を欲する奴らがいるかもしれないから。

 大丈夫。あなたにも、あなたの家族にも、彼にも危害は加えられないから。

 いや、意味がないからかな。

 こんなに長い手紙を書いているのは、あなたに全て伝えておきたいから。

 ただの自己満足に過ぎないのだけど。


 私が西の方の、田舎出身というのは覚えているかな。私が具体的な地名を一切言わなかったことは覚えている? 地元民しか知らないド田舎だから、絶対に知らないよ、って私は言った。あなたもそこまで興味がなかったようだから、食い下がらなかった。それに、私がどれだけ安堵したことか。

 私もあなたと同じように、大学進学と共にあそこから逃げてきたの。

 過疎化が進んだ山間の小さな村。そこか私の育った場所。ある一点を除けばありふれた、ごく普通の、つまらない、いずれ消えるところ。自然が豊かと人は言うけれど、住んでいる人間にとってはただ不便なだけ。人と人との距離が近い、と言えば聞こえが良いのだろうけれど、ただプライバシーがないだけ。

 多分、あなたにも覚えがある話でしょう。あなたには悪いけれど、あなたの話を私は内心微笑ましく感じながら聞いていた。

 それだけなら、大したことないでしょう、と。


 ごめん、感じ方は人それぞれだから、勝手に決め付けるのは良くないね。ここは忘れて。ああ、私冷静じゃないね。書き直す時間ないのに。

 あなたを傷付けてしまったら、ごめん。でも一応言い訳させて。あそこがどんなところで、私がなぜあなたにこんなお願いをしているのか、を。


 あそこは、死者が蘇る場所だから。

 

 ふざけるな、って? いいえ、ふざけてない。

 本当に死人が戻ってくるの。あの村は。


 蘇りの前に、私の高校までの唯一の友達の話をするね。


 私は、あの村で生まれたわけではないの。私が三歳頃まで私たち一家は都会に住んでいた。とは言っても、首都圏と比べたら、そこも田舎なんだけどね。父が会社を辞めて夢だった農業をするため、母の実家であるあの村に引っ越したの。

 私は、私と父は余所者だった。母がいたから、あからさまに村八分にはされなかったけれど、私は学校ではいじめられた。父はよく仕事の妨害をされた。村で共有している機械をわざと貸して貰えなかったり、作物を不当に安く買い叩かれたり、年に一度の祭から締め出されたり。機械については、父はきちんとお金を出していたのに。

 当たり前だけど、私はそんな村や村の連中が大嫌いだった。友達なんて出来るはずもなかった。

 でも私はどうでもよかった。幸い勉強は出来ていたし、両親の前職までの貯金があったから、遅くても大学進学でここから出ていけるとわかっていたから。

 そんな私に、ある転機が訪れたの。あれは中学一年のとき。学校に一人の転校生が来たの。さくらちゃん、という名前の、地味だけど真面目ないい子だった。

 当然、その子も除け者にされた。

 あの頃の私は、今と違って、まだ自分の未来に希望を持っていた。未来がより良いものになる、いつか昨日よりも、今日よりも良い日が来る、と信じていたの。

 愚かにも。

 私は友達が出来る未来に期待してしまった。さくらちゃんと友達になろうとした。


 そう、確かにあの日々は、過去よりも良い日が訪れた。

 ほんの少しの間だけ。


 さくらちゃんと私はすぐに友達になった。彼女も私もそういう存在に飢えていたから。何より彼女はいい子だった。


 彼女のことを書く前に、村のことをもう少し書くね。

 あの村では死んだ人間を必ず土葬する。死体をそのまま土に埋めるの。火葬せずにね。

 あの頃の私はそれについて、特に何も思わなかった。そういうものだと思っていたし、私には関係のないことだと思ったの。

 なぜこんな話をするかというと、さくらちゃんに関係あるから。

 さくらちゃんは土葬されなかった。

 いえ、埋めるものが何も残らなかった。


 中学一年の夏のこと。私とさくらちゃんは夏休みの間毎日お互いの家を行き来していた。宿題をしたり、ゲームをしたり、ただダラダラ喋ったり、と気ままに過ごした。私の人生の中で一番楽しい夏だった。

 夏休み最後の日までは。


 その前日、さくらちゃんに「明日は用事があるから、来れない」と言われた。私はただそうなんだ、とだけ思い、「わかった」と答えた。「何の用事?」と尋ねたことに深い意図はなかった。

 さくらちゃんは「おまつりに行くから」、と答えた。

 そのときの、私の気持ちが想像出来る?

 私は村には何の愛着もない。それでも、彼女に裏切られた、と思った。私は一度も行ったことのない祭りに彼女は行くことを許された。除け者にされるのには慣れていたはずなのに。

 そのとき、彼女に何と言ったかは覚えていない。意地悪なことを言ったように思う。別れ際の、彼女の気遣わしげな表情と、またね、という言葉がいまでも頭の中をぐるぐる回っている。


 翌日の祭の日、例年通り母は祭の手伝いに出掛け、父と私は二人で過ごした。私はやさぐれていた。父は大層困っていたような気がする。

 私が家を抜け出たのは、衝動的なものだった。母からは、祭の日の夜は決して家なら出てはいけないと言い含められていた。祭の邪魔になるからと。

 それをその日まで守っていたのは、どうでもいいと思っていたからだった。

 私は、祭を台無しにしてやる気で家を出た。

 子供一人紛れ込んだだけで、台無しになるはずない、とあなたは思ったでしょう? 今の私もそう思う。でもあの頃は自分が大層な存在だと思っていたの。そういう年頃でしょう?

 朝が早いために寝るのが早い父が、布団に入るのを確認してから、私はそっと家を出たの。

 祭は神社がある森の方でやっていることを知っていたから、そこに向かったの。森の近くには村の墓地もあった。当時は何も違和感がなかったけれど、墓のそばで祭をやるっておかしいよね? まあ、あの村は事実、異常だったのだけれども。


 当たり前だけど、まわりは真っ暗で、携帯のライトを頼りに私は夜の闇の中を進んだの。村の家々の明かりはほとんど消えていた。さくらちゃんの家の明かりも。後から気付いたけれど、明かりが付いていたのは私と同じ余所者の家だけだった。

 森の方は明るかった。大きな篝火があったから。賑やかなお囃子の音もした。

 私は広場を囲む森の中を通って、そこに近付いた。均された道があるのだけども、何となくそこを使うのは嫌だった。その感覚は正しかった。


 広場で見たものが何だったか、わかる?

 白い着物を着た人間たちが大きな篝火を囲んでいた。

 その円の中心に、化け物がいたの。腐った体をした人間たちが。

 それがさくらちゃんだったものに群がっていたの。

 化け物たちは、次々と墓の下から這い出てきた。


 怖いとか気持ち悪いとか思う前に、現実だと思えなかった。映画でも見ている気分だった。

 多分、私はしばらく固まっていたんだと思う。我に返ったのは、後ろから誰かに肩を叩かれたとき。そのときは心臓が止まるかと思った。

 振り向くと、母がいた。他の村人同様に白い着物を着て。間違いなく母であるのに、見知らぬ人間のようだった。

 母は口元に指を当てて、にっこり微笑んだ。

 このことは誰にも言ってはいけないことだと、母の笑顔は語っていた。

 私は勿論このことは誰にも言わなかった。


 翌日、始業式の日、さくらちゃんは引っ越したと聞かされた。誰も疑問には思わなかった。私以外には明白なことだったから。

 さくらちゃんのことがあってから、私は気付いたの。毎年、誰かが消えている。

 退職して農業を始めた老夫婦、田舎暮らしに憧れて移住してきた配信者や、新幹線通勤してまで田舎の一軒家が欲しかった若い家族。

 私や父が対象にならなかったのは理由があるの。この村出身者の親族と、赴任してきた公務員は除外されているの。

 さくらちゃん一家はどちらにも当てはまらなかった。都会でいじめにあったさくらちゃんのために、心機一転して田舎に移住してきたの。


 このときにやっと私は何を犠牲にしてでもこの村から出ていかなければならないと固く決心したの。


 第一志望の大学に合格し、全ての準備が整ったとき、私は母を殺した。

 翌日、母の死体を居間で見つけた父はすまなそうな顔をして静かに私を見た。必要とあれば父も殺そうかと思ったけれど、何も言わず部屋を出ていった。

 父は自室で首を吊って死んだ。手間が省けてよかった。

 それからあとは少し面倒だったけれど、後始末をして私は故郷を出たわ。

 町内会長の家に前年の祭の様子を写した写真と映像のUSBデータを投函してからね。私に干渉すれば全てばらす、と添えて。公務員は日和って殺さない奴らだもの、その程度の脅しで十分だったの。


 そうして、晴れて私は東京の大学生になれた。自由の身よ。

 そのあとはあなたも知る通り。超一流ではないけれど、そこそこの企業に就職できて、何もかも順調だった。

 取引先で同郷の人間に会わなければ。


 ああ、その人はあの村の出身ではないの。同じ県内ではあるけれど。

 ただ、彼女は私の高校のクラスメートと大学で友人だった。

 彼女にとってはただ、話題作りのために出身の話をしたのだろう。そいつの正体も村のことも知らないはず。そんないやらしい雰囲気はしなかった。


 でも、見過ごすわけにはいかない。

 あの村と私を繋ぐものは全て消さなければ。


 だから、私は彼女を殺した。

 酷い? そうね、冷静になれば必要のない殺しだった。彼女は可哀想ね。

 でもあのときの私には殺す選択肢しかなかった。

 彼女とは個人的に親しくなって飲みに行くようになった。お互い独身だったのも幸いして、家に招けるほどの親しさになれた。

 そうして、私の家で彼女を殺した。

 遺体はバラバラにして、トイレに流したわ。大仕事だったけれど、終わったときの達成感はひとしおだった。


 え? この話から、私が焼身自殺をして、あなたにこの手紙を送る関連性が見えない?

 そうね、わかりづらいわね。


 彼女の遺体の始末が終わったとき、解放感とともに、ふっと我に返ったの。

 私は何をしてるんだろう、って。

 遅すぎる? そうね。本当にそう。


 私はさくらちゃんを化け物の生け贄にした村の奴らと何も変わりがない。それどころか、もっと最悪の生き物かもしれない。


 だから、私は私のけじめをつけることにしたの。


 でも、一つだけ、どうしても譲れないことがあるの。


 私は、あの村の墓地に埋められると、蘇ってしまう。

 そういう血、らしいの。


 それだけはいや。絶対にいや。


 だから美香、お願い、私をあの村に埋めさせないで。

 焼き尽くして骨にして、あの村から遠く離れたこの土地に葬って。

 

 せめて私は、これっきりで死にたいの。

 たとえ人の道を離れた化け物だとしても。


 美香、ごめんね。

 お願い。


 あなたたちの幸せを祈っている。

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