帰路にて憂う 演劇の空
溝野重賀
オモイだけの演劇では塵すら消える
ふと、小劇場やアングラ演劇について考える。
こないだ、とある劇団の第16回公演を観てきた。
東京の小劇場、客席数は100〜150ほどでほぼ満席。
友人が出演していたため観に行った。
けど内容や私の感想などはどうでもいい。
本題はこうだ。
今、16回公演できる劇団はどれだけあるのだろう。
今、そこに至れない劇団はどれほどあるのだろう。
最近、小劇場の閉館や劇団の解散をよく耳にする。
きっと自分の情報収集能力がなかっただけでよくあること
コロナ禍のネタとしてニュースが取り上げているだけ
コロナ禍を期に在り方を考える劇団が増えただけ
そんな風に言うのは簡単だが、深く納得するにはイマイチだった。
そんな劇団の解散やら無期限活動停止やらを聞いている中、観てきた芝居。
当日パンフレットで私の目が真っ先に気になったのは、第十六回の文字。
16回……1年に1〜2公演だとしても8〜16年やっている劇団だ。
そう考えると、16回は重みのある言葉ではないだろうか。
それと同時思い出すのは、劇団作れなかった友人や劇団を旗揚げしたが上手く動いていない友人のことだ。
なぜって?
よくある話
時間であり、
空間であり、
金であり、
人であり、
体力であり、
精神であり、
何かがある時に何かがなく、
全てがあっても統べることなく、
やらないという結果が残る。
ペシミズムにも笑われる悲劇さ。
語るのは私じゃないほうがいいだろうから、せめてもの備忘録をここに。
帰路にて憂う 演劇の空 溝野重賀 @mizono
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