お疲れ様です。溝野重賀です。
お盆時期な今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私は時間を作ってなんとか執筆してます。
タイトルの話の前に、「日和見主義だった俺が揉めすぎる演劇部で全国大会を目指したら青春すぎた」について
更新遅くて申し訳ございません!!!!
言い訳はないです。書けない私が悪いです。申し訳ございません。
週一更新をギリギリ保っていますが、本当は週二回、いや三日に一回は更新して物語を進めたい!!
7章に入ってから3ヶ月半で25話。未だ引退式が出来ない。どゆこと?
言い訳はないです。私が作品と向き合えていないからです。精進しますので、今後もお付き合い願えれば幸いです。
さて、タイトルの話。
『必死』という言葉は文字通り必ず死ぬと書きます。
一所懸命に、全身全霊で、全力を出すときに使う言葉ですね。
語源を辿ると仏教用語だったりするのですが、そこは割愛。
必死に、死ぬ気で、死に物狂いで、なんて言葉がありますが人間そう簡単には全力を尽くすことは出来ないものだと私は思っております。
分かっていても、頑張らないといけない時でも、人は緩んだり怠けたりする生き物です。
じゃあ、どうすれば必死になれるのか?
たぶん、死んだらなれます。
失ってから初めて気づくとか負けた悔しさとか挫折とかそんな話とは違うんですよ。
そうですね…………まず、ここで言う死とは何かを話しましょうか。
簡潔に言うと、避けられないこと、必然、運命、そして終点。そんなところでしょうか。
なんか宗教チックな哲学チックな言い方になっちゃいましたね。
もっと砕いた言い方だと、自分の限界、とでも例えましょうか。
具体的な話をしましょう。
私は一日3000文字書けたら良い方です。そして、そこが今の私の限界です。
読書は時間的にも集中力的にも、一日で文庫本一冊読めたら良い方です。
さて、必死になれるのはその限界を知ってからです。
知っているから書ける量を分かっているから、私はその中を必死になります。
3000文字という限界、デッドラインに分かっているから必死になれるのです。
だから私は、がむしゃらな、遮二無二な努力を『必死』とは思いません。
もちろんそういう努力が必要な時もあるでしょう。でもそれは必死とは違います。
自分を知って、限界を知って、環境を知って、死んだことのある人だけが、必死だとか死ぬ気だとか死に物狂いだとかになれるんです。
さっき私は、失ってから初めて気づくとか負けた悔しさとか挫折とかそんな話とは違うんですよ。という一文を書きました。
そういう、失ったり負けたりとか何かとの比較で得られる相対的なことではなくて、自分と向き合って知るという絶対的なことでしか人は必死になれないと思っています。
昔、誰かが残した言葉を借りるなら「武士道とは死ぬことと見つけたり」ってやつかもしれませんね。
なんか活動報告っていうよりエッセイっぽくなりましたが、まぁ、こういうのがあってもいいでしょう。
ということで今日はこの辺で。
失礼します。