静かな誕生日
よし ひろし
静かな誕生日
「ハッピーバースデートゥーユー……」
定番の歌を歌いながら、彼の顔を見る。
優しい微笑みを浮かべて見返すあなた。
「誕生日、おめでとう! さあ、ロウソクの火を消して」
え、なに? わたしが消すの?
愛するきみに消して欲しい?
「もう、そんなこと言って、本当はめんどくさいだけでしょ。しょうがない人ね」
ふぅ~
ケーキの上の三本のロウソクの火を一息で消す。
今日は彼の三十歳の誕生日。わたしの部屋で二人きりのパーティー。でも、
「二人だけでこうしてお祝いするのも今年で最後ね」
わたしは言いながら自分のお腹をさする。
「来年は三人ね。――そういえば、出産予定日、なんとわたしの誕生日と同じなのよ! ふふふ、まだまだ先の話だから、ずれる可能性高いけど、でも凄い偶然よね。本当にその日に生まれたら、すごく嬉しいわ! ね、あなたもそう思うでしょ?」
そう、あなたも喜んでくれるのね。
え、なに? 誕生パーティーの手間が一つ減っていい?
「なによそれ、もう、本当に横着者なんだから。でも、その分、二倍盛大にやってもらいますからね、お祝い」
それは大変そうだ?
「当然よ、父親になるんですから、今までのような怠け者ではダメですからね。――さあ、ケーキを切り分けましょう。四等分でいいかしら?」
ケーキの横に置いてある包丁に手を伸ばす。
その柄を握った瞬間――
「あれ、なに…?」
映像が瞬間的に浮かぶ。
真っ赤な血に染まった包丁――
その向こうに、お腹から血を流し、わたしの顔を呆然と見つめるあなた――
「なに、これ――?」
わたしは反射的に立ち上がり、テーブルの向こうに座る彼に視線を移す。
先ほどまで優し気に微笑んでいた顔が、青ざめ歪んでいた。
見開かれた瞳は力なく澱み、死んだ魚のよう…
「え、どうして――」
視線を下げると、服には真っ赤なシミが広がり、両腕は椅子の横にだらーんと垂れさがっている。
「あれ、なに、わたし、どうして……」
頭が混乱する。
今日は彼の誕生日。二人で祝うためにわたしの部屋に呼んで、そこでサプライズ。
『わたし、赤ちゃんができたの!』
そういった時の彼の驚いた顔。その後――
「あれ、どうしたんだっけ? 確か――」
甦る記憶――
結婚なんかしない?
ガキなんかめんどくさい、堕ろせ!
『そんなこと言わないで、ね、お願い――』
縋りつくわたしを彼は怒鳴りつけ、殴り倒す。
更に床に倒れたわたしのお腹を思いっきり蹴とばし――
『やめて! 赤ちゃんが!!』
彼に体当たり。
あなたはバランスを崩してテーブルに背中からぶつかる。その時ケーキを切るために用意していた包丁が床へと落ち――
(守るのよ、わたしの赤ちゃんを! このままでは、奪われてしまう、わたしと彼の愛の結晶が――)
そんな声が聞こえてきた。それは神様からの啓示。
神様がくれた包丁をわたしは拾い上げ、ふらつくあなたへその切っ先を――
ずぐりっ!
「あっ、ああ、あぁぁぁっ!」
世界が紅く染まる。
錆びた鉄のような匂いが鼻腔から入り込んでくる。
耳から入る苦し気なあの人のうめき声…
フラッシュバック――
入り乱れる感情。恐怖、怒り、悲しみ、後悔、絶望……、そして、愛――
「はぁはぁはぁ、ちがう、違うわ! わたし、そんなことしてない。だって、わたしはあの人を愛しているもの。そうよ、愛してるの誰よりも。だから守ろうとしたの、愛の結晶を。その証を。ああ、ほら、ね、あなたは、そこにいるじゃない。ね、あなた、わたし、何もしてないわよね?」
彼に呼びかける。
が、返ってきたのは沈黙……
「おかしい。どうしたの? さっきまで楽しくおしゃべりしてたじゃない。ね、何か言って。ねぇ!」
でも応えは返ってこない。
「違う、違うわ。こんなの現実じゃない。わたしは、わたしは――ははは、そう、これは夢よ。さあ、落ち着いて。目を覚ますのよ!」
椅子に座り直し、目を閉じて深く深く深呼吸をする。
すぅ、はぁ、すう~、はあぁ~……
気分が落ち着いていく。
早鐘のような鼓動が徐々に緩やかになり、荒かった呼吸も静まってくる。
それに伴って、先ほど見た映像が頭の中らかすうっと消えていく。
そうあれは幻――
わたしを惑わす悪夢――
わたしは何もしてないわ。そう、あなたと楽しく誕生パーティーをしていたの。そう、それだけよ。それだけ……
「……」
ゆっくりと目を開ける。
ああ、ほら、ちゃんといるじゃない、優しく微笑むあなたが。
わたしを見つめ返してくれているその瞳は愛に満ちているわ。
自分のお腹に手を当てる。そこには彼との愛の結晶。
手のひらに新しい命の鼓動が伝わってくる。それは、幸せのリズム。
そう、これが現実よ。
「ふふふふふ、さあ、誕生日のお祝い、続きをしましょう」
わたしは手にした包丁で、ケーキを切り分けた。
静かな誕生日 よし ひろし @dai_dai_kichi
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