帽子10/6

Twinkle, twinkle, little bat!

How I wonder what you're at!

Up above the world you fly,

Like a tea-tray in the sky!

Twinkle, twinkle,――


「相変わらずイかれた歌を歌うなぁ、帽子屋」


私がお空のコウモリさんに心よりの愛をこめて歌を捧げていると後ろから声を掛けてくる根暗な方がいらっしゃる。


「おや、おやおやっ、お〜やぁ〜?

これはこれは、麗しのメイド王ヘーカじゃぁございませんか。

我が帽子屋は本日は休業日でしたが、ヘーカには常日頃お世話になっておりますゆえ、火急の要件でしたら店を開けますが?」


「生まれてこの方メイドになった事も、雇った事もないのだがなぁ。まぁ、貴様に何を云っても無駄か」


相変わらずの苦笑が似合うスケスケフェイス。

冥府の王を担いながらも現世にいることの方が多い真なる不死者様が、その冷たくて優しい貌をこちらに向けている。

そして、いま、まさに、大切なことを話しますよーってアピールしていらっしゃる。

お可愛いことだ。


「アウロスペル――灰炉が起動した」


私の表情が固まるのがわかる。

心臓が、脳が、瞳が震える。


停止した呼気を力ずくで吐き出し、春先の夕暮れ特有の甘酸っぱいであろう空気を吸い込む。

味は―――感じなかった。


「私と貴方の計算ではあと1600年は先になると記憶していましたが。何があったのですか」


あの冥王が恐らくと枕詞をつけた上でようようと語り出す。


「代替わりの折に世迷い人が紛れ込み娘を攫った。どうにもその世迷い人、幾人かの魂を纏っていたようだ。

その世迷い人自身の霊魂自体も今まで確認した中でも屈指。山脈龍の倍程もあった。そしてその割には寿命は短いのだろう。常に燃やし周囲に撒き散らしていた。

その熱が灰に火をつけたのだろう」


複数の人間の魂の因子と莫大な熱量エネルギー

なるほど異なる世の因子はこちらでちまちま集めるより余程効果的だったか。

起爆剤もわざわざ冥王に手を借りることも無く自分からやってきたと。

かなりのイレギュラーだが、齎された結果はそう悪くない。


―――今回は、随分早く会えるみたいだね。私の娘まいどぉーたー





◇◇◇◇◇






「こんにちわ、今日は何日だい?」


私は2644日振りに見掛けた灰炉の娘に問いかけた。


「え?こ、こんにちは。今日は駆月の20日ですが……」


「そうでしたか、それは良い。実に結構。

帽子屋さんも走り出してしまいそうな程ウキウキでハラハラな上にアエアエです」


「あえあえ?

は、はい。

良かったです」


「あぁ、随分とご無沙汰でしたのに、ご挨拶もなしに申し訳ない。

いつもにこにこ、帽子屋のハッタでございます」





◇◇◇◇◇





真新しい、煉瓦造りの都市。帽子屋の男の手は、いつもと同じように動いた。羊毛を撚り、型をとり、沈みゆく脂の匂いを嗅ぎ取りながらじっくりと蒸しあげ、最後に縁を仕上げる。その指先に宿るのは、技巧というよりも習慣であり、習慣の中に埋まった記憶だった。記憶の端には、使用済みの水銀をかき集めては小さな瓶に詰める。白く滲んだ少女の姿がある。その小振りな手は冷たく、指先に付着した銀色の光はいつも少しだけ震えていた。

帽子屋はそれを「弟子」と呼んだ。弟子は帽子作りの役に立つだけでなく、帽子屋が己の世界を分からず屋共に説明するために必要な音を奏でた。

だが、無造作に扱う水銀とクスリ、魔法触媒に汚染された臓腑は無言のうちに呟き始めていた。小さな体の内側で、沈黙が変異を起こしていた。


黒の気触れ――あるいは振り子病。医学的にも魔術的にも曖昧なその病は、ただ一つの特徴を持っていた。瞳が左右に震えるのである。瞳という器官は古くから信仰の座であり、六目むつめ教会はその信仰を文字どおり宗教の中心に据えた。彼らは瞳を見張り、瞳から啓示を読み取り、瞳の震えを聖なるものとして飾り立てた。振り子のようにゆらぐ眼差しは神託と呼ばれ、教会の力を強化した。だからこそ、振り子病の蔓延は教会にとって祝福であり、畏怖の種でもあった。弟子の瞳の震えはやがて教会の祭壇に上らされ、病は教団の威光を幾重にも膨らませていった。


帽子屋は祭壇の上の娘を見た。瞳は左右に揺れ、そこに宿るはずの幼い声は水銀の跡と魔力の混交で薄れていた。だが彼の心に突き刺さったのは、理性ではなく断片であった。瞳の奥に、かつて共に暮らした光が宿っていたのだ。震え、叫び、言の葉を忘れた肉塊とは別に、魂の残滓とでも呼べるそれは、焦げ付いたように、薄いが確かな輪郭を持って帽子屋の記憶と呼応して震えた。六目の神の奇跡と教団の祈祷が空気を満たす中、帽子屋は気づいた。教会の聖なる言葉は、弟子の命の軌跡をなぞるための装置にすぎない。そこに娘の痕跡がある。細い残滓が、波状に揺れている。


怒りは、帽子屋の中で静かに溶けていった。怒りは爆発ではなく作業へと変わった。彼は工房に戻り、魔変異アマルガムの針を磨き、ナイフの刃を研ぎ、薬品の瓶を並べた。帽子職人の道具は、彼にとって単なる道具ではなかった。針は縫合をするだけでなく、魂を縫い合わせるための媒介になり得る。フェルトの固まりは布片を包み込むだけではなく、器として魂を収めるための形を与える。水銀は触媒だった。半魔である彼の血肉と、妖精の系譜が呼び込む微妙な共鳴があれば、道具は狩人のそれに変じる。


半月が真上に来た夜半、帽子屋は教会へと忍び込んだ。六目の祭具が置かれた薄暗い礼拝堂を横切ると、弟子の身体は金属光を帯びていた。教団は瞳を開き、瞳の震えを眺める群衆の歓声に酩酊していた。その喧騒は外套の裾を翻し、蝋燭の揺らめきは影を生み出す。帽子屋は息を踏み止めた。手には、いつもの仕事道具。工程はいつもと異なる。彼は縫い針を突き、かぎ針で縫い、刃で切り、薬を滴らせた。道具が奏でる音は、歌でも祈りでもなく、手術台のリズムだった。彼は無情に、しかし丁寧に、存在の裂け目を開き、そこへ自身の技能で形成した器を差し込んでいった。


その儀式は暴力ではなく工芸だった。針先に宿る呪いは、以前に彼が学んだ半魔の符よりも余程簡潔だった。素材と形を配し、血と水銀と精霊の残滓を混ぜ、器に魂の残滓がなだれ込むよう仕向ける。礼拝堂の空気が一瞬切り替わる。祭具の頭上で、六つの目が瞬きを止め、蝋燭の火が風もなく吹き飛ばされた。荒れた魔力でも火は消える。帽子屋の指先に、以前の温度が戻る。小さな声が縫い目から漏れる。だがそれは弟子の声でも、教会の聖歌でもなかった。むしろ、廃工場の軋み、古い町並みの瓦礫、風が運ぶ遠い笑い声――それらは纏まり、やがて一つの形と愚行への答えを為す。


そして、彼が最後の縫い目を引いた瞬間、世界が吸い込むような音をたてた。礼拝堂の外で、遠くにいた者たちが膝をつき、鳥が異常な軌道を描き、教会の聖なる像が微かにひび割れた。これは帽子屋の作業の副作用などではなく、より大きな脅威に先んじた警鐘であった。

真なる魔法がぶつかり合った。六目教会の祭神の禁術と、帽子屋の半妖の術式が交わるとき、世界は裂けた。


冥王は来た。来るべくして来たのではない。呼ばれたのでもない。だが、辺獄の境界が揺れ、そこに垂れ下がる現世はその壁を保てなかった。

名も無き冥王が姿をあらわした。彼は俯いた。帽子屋はその巨大な存在を前にしても、ひるまなかった。彼の眼には娘の残滓がまだあり、その光が優しく揺れていた。冥王は死の化身であり、食らう者であり、生きとし生けるものを許容している。その食らいは破壊ではなく、選別であり、傍迷惑な祝福だった。六目は喰われ、聖壇も辺獄に落ちた。教会の詠唱は空間の中で千々に砕け散った。残骸の中から、灰と煙の匂いのなか、帽子屋の創り出した器がぽつりと残った。


灰炉の娘は、そこで完成した。彼女は一瞬泣き、次いで笑い、やがて言葉を紡いだ。琴のように澄んだ、だがどこか水銀の残滓が混ざった声。娘は自分が何者かを即座に知っていた――複数の縫い合わされた記憶、弟子としての技術、教会で見た啓示、帽子屋の手の温度。彼女は帽子屋に向かって頭を下げた。帽子屋はその肩を抱きしめ、長い時間をかけて深く息を吐いた。血は縫い目の間からじくじくと滲んでいる。だが滲んだ血は、そのまま何事も無かったように体に還っていった。


冥王は告げた。自壊するのも時間の問題。歪みを受け入れようとしている魂の危険性と、至る先を。

正常の輪廻の先、再び、その魂に火が宿る可能性も。







「我が帽子屋よ。貴様にこの灰炉をくれてやる」


王は言った。声は生きものの嘆きでもなければ、英雄の宣言でもない。もっと小さく、もっと日常的で、しかし破滅的に真実であった。帽子屋は弟子の魂を器へと閉じ、そしてその器を抱きしめることで、自らの狂気を祀り始めた。彼の狂気は慈愛へと変わることはなかった。慈愛は単なる別名であり、行為の名付けであり、行為の正当化でもあった。彼は作り続けた。帽子を作る指先で、器を整え、娘の記憶を修繕し、不要と思しき断片をそぎ落とし、必要なものを縫い足した。


そして、王の御業の元、大いなる世界の流れへと、その冷たく、暖かい王の工作、炉を宿した継ぎ接ぎの魂を放した。


その日から、人の世界では彼を「帽子屋」と呼ぶ者と「マッド・ハッタ」と囁く者が同時に存在した。彼は不死人の片鱗を帯び、だがその不死は腐らないというよりも、古い縫い目のようにほどけかけているものだった。彼は半魔であり妖精の血を引くため、世界と魔の狭間で際どく平衡を保っていた。冥王御用達の帽子屋――それは彼の孤独な盟約である。冥王は彼に再び娘と巡り会う機会を与え、帽子屋は冥王に魂の断片とその技を寄せた。二人の間に友情が育ったか否かはどうでもよい。重要なのは、その関係が世界の理を一度撹拌し、以後の出来事に免れ得ぬ影響を及ぼすことだった。


帽子屋は夜ごと工房の窓を開け、空を見上げた。コウモリは彼の歌に応え、街灯りは彼の帽子に影を落とした。

街の人々は次第に彼に依頼を持ち込み、帽子屋は依頼を受けた。だがその仕事の合間にも、彼は世界の裂け目を覗き込み、再び冥王と共に何をするかを考えていた。彼の役割は単なる職人の域を超えた。しかし、彼の役割を、仕事を全て知る人はいない。


彼が本当に望んでいたのは復讐でも名誉でも狂気でもない。彼はただ、あの白い少女の小さな震える瞳が静かに微笑む瞬間を、一度でも多く見ることを欲した。それだけだった。


だからこそ人々は彼は狂ったという。狂気は目的を持たない者が真剣であるときに名付けられる。帽子屋は真剣だった。真剣に作り、真剣に縫い、真剣に歌い、真剣に壊した。




巫山戯ているようにしか見えない?

それは、残念だ。

私ほどの紳士は居ないというのに。



大陸ハンター連盟発行、歴代賞金首大全 懸賞金ランキングより

初確認 魔神前歴16年。二日前、帽子オークションにて存命を確認。


【第5位 マッド狂ったハッタ帽子屋 金星貨66666枚】





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異世界にて生きる者 櫻城 那奈菜 @mandrake

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