第7章【4】
王座の間のドアを前にすると、ロザナンドはひとつ息をついた。小さな決意とともに、ユトリロを振り向く。
「これは僕の戦いだ。僕は自分の計画を遂行する。わかるね?」
「はっ。承知しております。どうかご武運を」
騎士の礼をするユトリロに頷き、ロザナンドはドアに手を伸ばした。重厚なドアの先には王座がある。鎮座するのは、魔王アンブロシウスだ。
「ロザナンド。首尾よく進んでいるかね」
「勇者はあなたを討伐し得る力を手に入れました」
アンブロシウスの眉がぴくりと震える。ロザナンドが勇者パーティと接触していることはとうに気付いていただろう。
「ですが、あなたが勇者たちに会うことはありません」
ロザナンドは軽く手を振った。辺り一面に広がった光が炎と化し、王座の間を火の海にする。アンブロシウスは溜め息を落とし、重い腰を上げた。
「これはなんの真似だ?」
「気付きませんでしたよ。あなたがすでに死んでいるなんて。だからあなたには千里眼が通用しなかったんだ」
眉を吊り上げるロザナンドに、魔王アンブロシウスは笑い声を立てる。
「我が息子よ。気付くのが少し遅かったようだな。私の部下は、すでに人間の国への侵攻の準備が整っている」
「いいえ。軍はすでに力を失っていますよ」
ロザナンドは不敵に微笑んで見せる。
アンブロシウスが秘密裏に組んでいた侵攻軍は、すでにロザナンドの有能な配下によって解体されている。何もかも思い通りとはいかないのだ。
「僕の目を潰したあと、あなたは母を殺した。魔族の女王エルヴィを」
かつて、アンブロシウスは王配だった。魔族を統べる女王エルヴィのもと、魔族の国のために働いていた。エルヴィ亡き後、アンブロシウスは魔王として魔族の頂点に立ったのだ。
「女王エルヴィの力は壮絶だったようですね。あなたが魔族の脅威になると、道連れにしたのですから」
エルヴィは右目に千里眼を宿していた。アンブロシウスが魔族に破滅をもたらすことを知っていたのだ。
「ですが……あなたの力もまた、壮絶だった。死してなお、魔王として君臨し続けている」
蹴破るようにして、王座の間のドアが開かれる。各々の武器を手に、ユトリロ、ラーシュ、ニクラス、ディーサ、シェル、アニタが王座の間へ足を踏み入れた。彼らにより魔族軍は解体され、宮廷に残るのはもう彼らだけだ。
魔族の戦士たちの姿に、アンブロシウスはまた笑い声を立てる。
「これは一本、取られたようだ。だが、お前たちの力では私は止められん」
「それはどうでしょうか」
ロザナンドは左目の眼帯を外す。アンブロシウスに潰され、光を失った左目。かつて女王エルヴィの右目だった瞳だ。
「魔族の未来のため、亡霊に国を掌握させるわけにはいきません」
ふん、と鼻を鳴らしたアンブロシウスが軽く手を振る。一陣の風が吹き、辺りの炎は一瞬にして消え去った。
「こんなもので私を弱体化したところで、お前たちは私には敵わん」
その言葉を開戦の合図にして、ラーシュとニクラスが地を蹴った。先陣を切ったラーシュの切先を軽く躱し、次鋒のニクラスに向けてアンブロシウスが指を鳴らす。その瞬間、ロザナンドは頭に浮かんだ光景をシェルに送る。ニクラスを取り囲むように突き出た棘は、シェルの炎の魔法によって燃え尽きた。
その隙を見逃さず、アニタが魔王の頸に迫る。その刀身が魔防壁に阻まれると、ディーサの氷の槍がアンブロシウスの頭上を覆った。鋭く降り注ぐ氷を、アンブロシウスは手をひと振りするだけで薙ぎ払った。
ロザナンドはアンブロシウスの気が逸れた一瞬を狙い、再び辺り一面を炎で覆う。アンブロシウスは忌々しげに舌を打った。狙いをロザナンドに絞り、手を振りかざす。ロザナンドが左目の映像を六人に送ると、ロザナンドの前に飛び出したのはユトリロだった。魔王の黒い炎の矢はロザナンドに届くことはなく、ユトリロの一閃にすべて薙ぎ払われた。
「無駄な抵抗を」
苛立たしげに鼻を鳴らすアンブロシウスに、ロザナンドは不敵に微笑んで見せる。
「この城ごとあなたを封印します。僕とともに」
「ふん、考えたな。だが、その後、魔族はどうなる」
「魔族は消えます。人間の目の届かぬところへ」
アンブロシウスがにやりと口端を吊り上げる。ユトリロとアニタが駆け出すより一瞬だけ早く、アンブロシウスの手のひらから放たれた波動がロザナンドに降りかかる。魔防壁ごと突き飛ばされ、ロザナンドは床に膝をついた。
「殿下!」
駆け寄ろうとしたアニタが、瞬時に方向転換し波動を躱す。アンブロシウスは豪快な笑い声を立てた。
「お前たちでは私には敵わん。私が血を分けた者たちなのだからな」
「では、私たちではどうでしょう」
凛と澄んだ声が響くのと同時に、アンブロシウスが腕を振り上げる。軽く身を翻して衝撃を受け流すのは勇者ロレッタ・カルロッテだった。彼女に続き、勇者パーティの面々が転移し姿を現す。
「これは面白い。人間の勇者が魔族の手を取ったか」
「それは違います」
ロレッタの聖剣の研ぎ澄まされた切っ先は、美しくアンブロシウスを捉える。
「ここであなたを封印します。人間の未来のために」
地を蹴るロレッタに、エリアスとバルバナーシュが続く。魔法使いたちはそれぞれ詠唱に入った。
アンブロシウスが勇者たちの攻撃をいなす中、アルトがロザナンドに駆け寄る。アルトが手をかざすと、ロザナンドを温かい光が包んだ。回復魔法だ。
「言っておくけど、これは貸しだから」
そう言うアルトは、やはり不機嫌そうな顔をしている。
「人間のために、殿下はまだ生きておいてもらわないと困るんだよ」
「……ありがたく借りておくよ」
アルトが戦闘に参加するため立ち上がると、ロザナンドは再び炎を発動した。魔王以外には熱すら感じない炎だ。
ラーシュとニクラスが挟むように仕掛けた攻撃をいなしたアンブロシウスに、フローラが遠慮なく魔法を撃ち込む。聖なる杖で能力を底上げした魔法は、確実にアンブロシウスにダメージを与えていた。
「ロレッタ!」
エリアスとバルバナーシュが声を揃える。ロレッタは切っ先をアンブロシウスに向け、静かに目を閉じる。力を集結させるロレッタを、魔法使いたちが守護するために彼女を囲んだ。
アンブロシウスがそれを黙って眺めているはずはない。しかし、その攻撃はロレッタには届かなかった。
アンブロシウスが手を振り上げた瞬間、ロザナンドは左目に力を込める。光を失った瞳に、最後の魔力を振り絞った。その魔力はアンブロシウスの動きを封じ、辺りの炎をより燃え上がらせる。
「誤算だった。その左目、エルヴィの物のようだ。千里眼は遺伝子ではなかったのだな」
「それがあなたに取って命取りになったようですね」
ロレッタが地を蹴り、アンブロシウスに切っ先を向けた。白く燃え上がる炎を帯びた刀身が、アンブロシウスの体に突き立てられる。ロザナンドの炎と混ざり、それはアンブロシウスの体を包み込んだ。雄叫びを上げるアンブロシウスの体が、塵のようになりボロボロと崩れていく。魔王アンブロシウスは、聖なる勇者に敵わなかったのだ。
ひとつ息をついたとき、ロザナンドは足を掴まれてバランスを崩した。いくつもの闇の手がロザナンドを暗闇へ引き摺り込もうとする。しかし、これでいい。自分とともに封印するつもりだったのだから。
抵抗をやめたロザナンドの手を、力強く温かい手が掴んだ。
「あなたは魔族に必要です。新たな魔王となるのですから」
「放すな!」
エリアスがロザナンドの右手を掴み、バルバナーシュが服を掴んで引き上げる。しかし、闇の力は次第に増大していく。
「無駄だ。ロザナンド、お前の思い通りにはさせない。お前はわたしとともに滅びるのだ」
『そこまでよ』
凛と美しい声が響く。白と赤の炎の中、人の形をした光がアンブロシウスの体に纏わり付く。髪の長い女性の姿は、ロザナンドを救う光だった。
『アンブロシウス……愛していたわ。ロズの左目を潰すまでは』
「くっ……亡霊が!」
アンブロシウスの抵抗は虚しく、その体の崩壊は止まらない。
『ロズ、愛しているわ。だから、この人は私が連れていく。魔族の……あなたたちの未来のために』
アンブロシウスの体が足元から固まっていく。闇の手の力が抜け、ロザナンドは力強く引き上げられた。石と化したアンブロシウスの体は、塵となって風に掻き消える。それは光の中へ消えていった。
「……終わった、のか……?」
エリアスが呟く。ロザナンドは肩をすくめて見せた。
「終わったよ」
ロザナンドに駆け寄ったフローラが、ハンカチで優しくロザナンドの左目を拭う。見ると、どうやら出血しているらしい。
「もうこの目は使い物にならないな」
「千里眼も失われるのかしら……」
「そうかもしれないね。そのときは、人間の好機かもしれないよ」
不敵に微笑んで見せるロザナンドに、ロレッタは穏やかな笑みで首を振る。
「もう人間と魔族が争い合う必要はない。そうでしょう? あなたたちは、人間の目の届かぬところへ行ってしまうのですから」
ロザナンドは小さく息をつく。これで、魔族と人間の争いは終わるのだ。
「もう二度と会うことはないだろうね。最後に面白い人間たちに会えてよかったよ」
ロレッタは柔らかく微笑む。ロザナンドは、アルトに視線を遣った。
「借りっぱなりになってしまうな」
「別に。最後はあんたの力で魔王を抑えられたんだから、それでチャラだよ」
ロザナンドは小さく笑う。彼もこのまま、変わらずあり続けるといい。
「さようなら、新たな魔族の王。あなたを終生、忘れません」
「忘れてくれて構わない。魔族と人間は、相容れないんだから」
ロザナンドのそばに、ともに戦った五人が肩を並べる。ロザナンドにとって、彼らも勇者であった。
「さようなら、人間の勇者たち」
ロザナンドは転移魔法を発動する。魔王アンブロシウスの消滅は、遠くなく人間たちの耳に入る。彼らは生贄ではない。勇者たちだ。
* * *
「ああ、暇だ」
ロザナンドは行儀悪く足を机に乗せる。先ほどまでそこに鎮座していた書類は、もうすべて片付いてしまった。
「なんて退屈なんだ」
「暇なわけないでしょう」ユトリロが言う。「いまはただコニーの報告を待っているだけなんですよ」
「人間の国からの物流が途絶えただけで何をそんなに手こずっているんだ」
「新規事業を山ほど立ち上げたんですから、時間がかかるのは当然ですよ。人間の国への貿易がなくなったことで、国内の流通も整えなければならないんですから」
魔族の国に大きな混乱はなかったが、人間の国との断絶による弊害はあちらこちらに出ている。宮廷もそれにより忙しい雰囲気だが、ロザナンドはの仕事は大してなかった。
「お茶が入りましたよ」
穏やかな声に顔を上げる。お仕着せ姿のユスティーナが、優しく微笑んだ。
「やあ、ユスティーナ。侍女生活はどう?」
「お陰様で、快適に過ごさせていただいていますわ。魔王から救ってくださったこと、心から感謝しております」
魔王アンブロシウスの消滅により、命を握られていた者たちは解放された。ユスティーナも、ニクラスの妹も。
「いまは僕が魔王なんだから、本当に救ったかどうかわからないよ」
「またそんなことを言って」
呆れた様子で執務室に入って来るディーサは、両手に書類の山を抱えていた。
「暇してるならこの書類に目を通してよ」
「暇じゃないよ。コニーの報告を待っているのさ」
「なんなのよ」
ディーサは唇を尖らせ、書類の山をどさっと机に置く。ロザナンドは溜め息を落とし、足を机から下げた。
「失礼いたします」
生真面目な騎士たち、ラーシュとニクラスが執務室を訪れる。
「国境警備隊からの報告を申し上げます。近隣との問題は特にないようです」
「そう。それは何よりだ」
「失礼いたします」
また別の者が執務室に顔を出す。アニタだ。
「魔王陛下の代替わりはほぼ国内全体に知れ渡りましたが、特に反抗勢力が勃発するような様子は見られません。魔族は、ロザナンド様を新たな魔王として認めたようですわ」
「そう。それはよかった」
アンブロシウスとの戦いより少しだけ早く、宮廷にいる者すべてが外へ避難した。戦いの影響を受けた者はおらず、宮廷は平穏な時間が流れている。その平和こそが、ロザナンドの求めていたものだった。
「魔王陛下」
硬い表情のシェルが執務室を訪れ、恭しく辞儀をする。ロザナンドは小さく笑った。
「珍しいお客さんが来たみたいだね」
ロザナンドが立ち上がると、部下たちもそれに続く。彼らはもう反乱の芽ではない。この左目が死んだとしても、ロザナンドにはすべてがわかった。
「さあ、出迎えてやろう」
――ようこそ、新たな勇者。
厄災の魔王の息子に生まれたので人魔の破滅を回避します〜運命は千里眼によって塗り替えられる〜 加賀谷 依胡 @icokagaya
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