第5話

「――ミーシャ! ミーシャっ! ミーシャああ!」


 霞む視界のなかで、ユイが涙をこぼして泣いていた。

 ミーシャが初めて見るユイの泣き顔だった。

 ミーシャはまだ生きていた。

 

 ひどい怪我をしているはずなのに、痛みもなにも感じない。

 体がどうなっているのかわからない。糸が切れてしまったみたいに、首を動かすことすらできなかった。

 目と、口は動く。

 

「……ユイ」

「ミーシャ! 生きてる! 生きてるんだよね!? ミーシャ! 返事をして、ミーシャ!」

「大丈夫だって……言ったでしょ……」

「うん、うん!」

 

 ミーシャの意味のない強がりに、ユイが鼻水を垂らしながらぶんぶんと首を縦に振った。

 ユイはミーシャの言うことなら何だって信じてくれる。

 ミーシャは満足そうに笑った。

 

 ミーシャはそれ以上なにもしゃべることができなかった。なにも聞こえず、なにも見えない。

 でも、これで良かったのかもしれない。ミーシャはそう思った。

 

 ユイが誰かのものになるところを見ずに済むのなら。




 次に目を覚ましたとき、ミーシャは小綺麗な病室のベッドで寝ていた。

 なんだ。気を失っていただけか。

 少しだけ残念に思いながら首を動かすと、ベッドにすがりつくようにして眠っているユイの姿を見つけた。

 

 視界に違和感を感じた。右目が塞がっているのだ。包帯が巻かれている。

 さわって確かめようと右手を持ち上げたら、肘から下がなくなっていた。

 

 ミーシャ自身、攻撃を受けたときに右腕はもう駄目だと諦めていたから、あまりショックは受けなかった。

 意識がはっきりしてくると、右半身がムズムズとうずくように痒くなってきた。

 痒さはやがて、針でさすようなちくちくとした痛みに変わり、身体の内側から肉を食い荒らされるような激痛へと変わっていった。

 

 ミーシャの全身から脂汗が吹き出してくる。

 ユイが目を覚ました。

 

「ミーシャ! 目が覚めたんだね! よかった、よかったよぉ!」

「…………」


 ミーシャはユイの名前を呼んだつもりだったが、声は音にならなかった。

 ユイがミーシャに抱きついた。

 

「―――――っ!!」


 触れられた部分が刃物でめった刺しにされたみたいに激しい痛みを訴えて、ミーシャが声にならない悲鳴をあげた。

 

「ごっ、ごめん、ミーシャ! ごめんね!? ど、どうしよ……おっ、お医者さん呼んでくる!!」

 

 すぐに白衣を着た年配の男がやって来て、ミーシャにどろりとした薬を飲ませた。

 飲み込むのも一苦労だったが、薬が喉を通ってしばらくすると、頭がぼうっとして痛みが嘘のように消えてしまった。

 

「ユイ……」


 今度は声が出た。

 

「ミーシャ!!」


 ユイの笑顔が戻った。ミーシャはそれだけで満ち足りた気持ちになっていた。

 

 

 それから数日間。

 ミーシャはほとんどの時間を寝て過ごした。薬を飲むと起きていられないが、薬がないと死ぬほどの痛みに襲われるのだ。

 そしてようやく痛みが落ち着いて、ミーシャは話ができるようになった。

 

「ごめん、ユイ。わたし、失敗しちゃった……」


 なにもかもが失敗だった。攻撃を回避することも、ゴーレムに戦いを挑んだことも、ユイに抱いた想いさえ。

 全部諦めよう。ミーシャはそう決意した。

 なにもかも諦めて、荷物を全部放り投げて。そうしてなにもなくしてしまえば、また一人でも生きていけるだろう。


「ちがうよ! ミーシャのせいじゃない! ユイが悪いんだよ、ユイのせいで……」

「ううん、ユイは悪くないよ。わたしが二人で行こうなんて言ったせい」

「でもっ……!」

「いいから。もう、いいから」


 ミーシャは左手でユイの頭をなでた。

 

「そういえば、ここの治療費はどうしたの? ずいぶん立派なところみたいだけど」


 普通、ミーシャのような冒険者はギルドで最低限の治療を施されて追い出されるものだが、いまミーシャが寝ているベッドはギルドのものとは思えない上等なものだった。

 ユイが口にした施設は、ミーシャでも聞いたことのある高級治療院だった。

 

「どうしてそんなところに。ユイ、お金はどうしたの?」

「うん……」


 ユイは、お金の入った巾着袋を取り出した。

 

「お見舞いにって……渡してくれたから」


 そのお金を用意したのは、ユイを誘ったパーティーのリーダーだった。

 

「どうして……」


 疑問を抱いたミーシャに、ユイが言葉を伝える。

 もともとこれはミーシャに渡すために用意したお金なのだという。

 ユイを引き抜くための、あるいは手切れ金か。ミーシャの肩の力がふっと抜ける。

 

「それで、ユイはいつまでここにいるの? わたしならもう大丈夫だからさ……」

「ユイは、どこにも行かないよ」

「嬉しいけどさ、あいつ――あの人たちのパーティーに入るんでしょ?」

「ううん、入らないよ。それはもう、なくなったの」


 ユイが寂しそうにつぶやいた。

 凪いでいたミーシャの心にざわめきが甦った。

 パーティーに入るのをやめた?

 

「ユイ……ユイね…………」


 真下を見つめて、ユイが小さく呟いた。

 

「魔法が使えなくなっちゃったの」


 ユイの目から、涙がこぼれ落ちた。

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