第3話

 朝起きると、髪の毛がチリチリで、掌がベットリ蒸れていた。

 手櫛で前髪を梳かしても、くるんとはねたままなのを確認して、僕はスヌーズまで切れたスマホを手に取った。

「……ん?」

 電源を入れれば、昨日そのままにしていた鷹央とのトーク画面。

『分かんね』のメッセージの後には、送信取消が五回も続いていた。

 時間は分からないが、一体何を……。


 山田:『どうしたんですか?』


 送ってしまってから、激しい自責の念が襲ってきた。

 どう考えてもマズいだろ、さすがに。


 鷹央:『何も無いよん』


 嘘だ。

 そんなわけ。


 鷹央:『っていうのは嘘でさ』


 何だよ。


 鷹央:『なんて返信しよっかなって迷ってただけ』

 鷹央:『お前結構さ、困惑するタイプじゃん。分かんねなんて送ったら悲しむかなって思って』

 山田:『それはありがたいんですけど、なんでこんなに取り消してるんすか?』

 鷹央:『え、知りたいの?』

 山田:『まあ、はい、そうっすね』

 鷹央:『いやぁ、ハズイじゃん?』

 山田:『な、何送ったんですか?』

 鷹央:『いやね、まあさ、うーん』

 鷹央:『知りたいの?』

 山田:『知りたいっす』

 鷹央:『まあ、別にお前は嫌いじゃないし、悪くはないかなって送った。で、いや、違うなって思って取り消した』

 山田:『ファッ?!』


 僕は、スマホを握る手がびくっと震え、すぐに凍り付いた。

 喜べばいいのか悲しめばいいのか、どこまでが嘘でどこまでが真か、もう分らなくなっていた。


 山田:『ちょ、結局のところどうなのかはっきりしてくださいよ!』

 鷹央:『うーん、そうだなぁ……』


 三十秒が過ぎた。

 僕の目は画面に釘付けで、いつどんな返信が来るものかと歯を食いしばっていた。

 一分が過ぎた。

 グルルルと喉が鳴り、ドッドッドッと心臓の波打つ量が増える。

 二分が過ぎた。

 唾液の分泌量がどんどん少なくなり、瞬きが足りなくなった目が乾いてヒリヒリしてきた。

 三分が過ぎた。

 もうそろそろチクチク、伸びた爪を弾き始めた。


 鷹央:『今日、昼食わない?』


 気づけば、天井がすぐそこまで近づいていた。フワリと身体が軽くなっていて、思わず僕は「うおぉぉぉぉぉ!」と吠えていた。


 山田:『はい、もちろん』


 調子に乗って、好きバレしたことも忘れて、下心丸出しな文章を送っても、心配よりも幸福感が僕の胸の内を占めていたから、ポンポンとハッピーを伝えるスタンプを送った。


 鷹央:『店、アタシが指定していい?』

 山田:『了解っす!』

 鷹央:『住所送るから。××の七七四の二。分かった?』

 山田:『うっす!』


 僕はすかさず画面を変えて、今言われた住所をマップに打ち込んだ。

 ――ん?

 だが、そこにレストランらしきものはどこにも無い。川沿いの路地に洋風の家が所狭しと並んでいるだけのところ。

「あっ!」

 ストリートビューで見てみて、僕はやっと彼女の仕掛けたトリックに気づいた。

 ……嵌められた。

「ははは、はははははは」

 カラカラと乾いた笑い声が部屋に響く。

 騙されたけど、弾けるソーダのような爽快さ。


 鷹央:『うそーーーだよーーー、ごめーーーんねーーー!!』


 そのメッセージを確認して、僕はスマホの電源を落として、カーテンを思い切り開けて、窓も前回にして、四月の、新しい春のそよ風と、キラキラしたお日様の光を体いっぱいに浴びた。




 その家は、レンガを組み立てたようなデザインの、お洒落な洋風の家だった。屋根には煙突がついていて、どこからか香ばしい何かの臭いが、煙突を伝って降りてくる。

 ピンポン

「はい、待ってたよ」

 インターホンを押すと同時に、ドアが開き、国宝級のはにかんだ笑顔を浮かべた鷹央が出てきた。

「すっかり騙されたぁっ」

「大なら絶対騙されてくれると思ったし。まあ入って。今、親どっちもいないから」

 腕をガシッと掴まれ、グイグイと家の中へ引っ張られてゆく。

「すごい、お洒落っすね」

「でも、アタシの部屋、めちゃめちゃ汚いから」

「見に行っていいっすか?」

「無神経か。あんた、そんなんだから彼女出来ないのよ」

「あ、す、すみません」

「ホントさぁ」

 バコン、と拳骨で軽く頭を殴られ、僕はソファに横たわった。


「まあさ、ひとまず、ご飯でも食べよう。オムライス作ったから」

 二つのオムライスのうち、綺麗に出来ている方が鷹央の手に渡った。僕の方は、はっきり言うとグチャグチャだった。

「頂きます」

「頂きます!」

「いちいち声デカい」

「えぇー?」

 肩を叩き合いながら、二人同時に一口目を口の中へ入れた。

「っ?!」

「ヤバい!」

 明らかに、塩の量が、異常……?

 二人揃って、死に物狂いで水を口に含んだ。競争するようにもう一杯を獲りに行く。

「司さん、一体何入れたんすか?」

「こっちが聞きたい!」

「いやなんでやねん!」


「……あのさ、ところでさ、LINEの件なんだけどさ……」

 オムライスの不味い部分が舌に乗ったのか、顔をしかめながら鷹央は話す。

「はい」

 自然と、息が止まった。


「付き合ってみる?」


 そして、口の中の息を全部飲み込んで、それ以外の色々なものも、全部飲み干した。

 塩まみれのオムライスの味は、一瞬で地球の裏側まで吹っ飛んだ。

「え、ぜ、もちろ」


「うそーーーーーだよーーーーーー! ごめーーーーーんねーーーーー!」


 ヒャハハハハハハハと、僕の顔が余程面白かったのか、大層愉快そうに彼女は笑った。

 手を何度も叩いて、机をバンバン叩いて、椅子からずり落ちて、床を転げ回った。

「まあさ、もうさ、ね、知ってるのよ。全部」

「え?」

「伊織先輩から全部聞いてる。事の経緯は全部」

「はっ?!」

 僕の脳裏にむくむく入道雲みたいに、ニタッと嗤う性悪姉貴の顔が浮かんだ。畜生めが。

「でさぁ、まあ、純粋に嬉しかったには嬉しかったんだけどさ」

「は、はい」

「別にさ、こうして家にまで入れてるわけだから大のことは嫌いじゃないしさ」

「はい」

 彼女の顔が、夕焼けの空みたいに茜色に塗りつぶされていく。

「だから、まあ、クラスのチャラくて気持ち悪い男子よりはよっぽどマシな部類なんだけどさ」


「ちょ、マシってなんすか?」


 一瞬、鼻白んだ彼女は、ニカッと笑った。少しだけ、目が潤んでいた。

「……だからさぁー、そーゆーとこ空気読みなよって! 今じゃなくてもいいじゃん!」

 そう言って、かるぅく僕の頬を張る彼女の顔は、眺めているだけで百二十パーセントの多幸感が染み出すもので、この人と一生生きていたいと僕は強く思った。

「で、まあ、アタシもさ、フェンシング今大事なとこだし、プロも目指してるし、そんなかんなで」

「は、はい」

「しばらくはさ、近しい友達でいてくんない?」

 僕にがっかりさせないようにと思ったのか、すぐに鷹央は息を継いだ。


「それで、アタシがフェンシングを離れてもなお、アタシに付きまとうのなら、告白してくれてもいいよ」


「……え、つまり?」

「どういうことだろうね?」

 意地悪な笑みを浮かべて、彼女はさらに言葉を連ねた。

「どこまでが真実かは、自分で考えること」

「は、はい」

「ま、ひとまず、これからもどうぞよろしくね」

「は、はい」

「……何よぉお前ぇ、そのデカい眼鏡かち割るぞ?」

 と言いながら、今度はちょっと強めに頬を張られた。

 そのヒリヒリした痛みが妙に気持ちよくて、もしかするとこのビンタは何かの勲章なのではないかとさえ思った。

「何そんな固まってんのよ。さっさとオムライス食ってさ、その後どっか散歩でもするぞっ」

「え、デートですか?」

「うーん、どうかなぁ?」

「そういうことにしましょ!」

「なんか、大とデートってなんか嫌じゃない?」

「何でっすか!」

 気づけばオムライスの味は、ケチャップのまろやかでコクのある甘味に変わっていた。

 

『うそーーーーーだよーーーーーー! ごめーーーーーんねーーーーー!』


 このスカッとする響きが、耳に憑りついて、一生僕を離さない。

 僕の脳裏では既に、二人で厨房に並んで料理にトライしている家庭の様子が出来上がっていた。

 伊織さんに礼を言おうとスマホを取り出すと、鷹央がじろりと睨んでいた。

「早速、浮気?」

「え、いや、違います、そんな、僕がそんなことするとでも……」

「あはは、うそーーーーーだよーーーーーー! ごめーーーーーんねーーーーー!」

「止めてください!」




(完)

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うそーだよー、ごめーんねー? DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

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