第2話
駄菓子屋「ちるどれん」の中で、食いもしないキラキラしたカラフルな菓子をぼんやりと眺めていると、裏から平手打ちを食らった。
「え、え?」
「おい、まさか大ちゃんまで来たのかよ」
慌てて駄菓子から目を離した時には、バレー部の次期エース、
「え、まさか賢一君まで?」
「そうなんだよ、例のまあ、彼女のことでさ」
相手選手をぶっ飛ばしたこともあるという、「さす又スパイク」と呼ばれる強烈スパイクが持ち味の彼は、僕にとっては完全に雲の上の彼女持ちだったが、ここに来て最近喧嘩がちなのだという。
「別れたんだよ」
「は、え、ええーっ?!」
気づけば僕は賢一君の肩をガシッと掴んでいた。
「行って相談したら、もう別れた方がいいって言われちゃって。それでなんか、あっちにデマ情報ものすごい流して、さっき電話来た」
「ちょ、それ、いいの?」
問うと、賢一君は低い天井を見上げた。
「……まあ、中二の時から付き合ってたから、寂しいっちゃ寂しいよな」
視線を再びこちらに向けた。
「でも、なんかさっぱりしたってのはある。バレーに専念できるしさ」
じゃな、と言って、賢一君はポテトチップスをバリボリこぼしながら去っていった。
「はい、で、秋元君」
「じゃないです、山田です。そんなアニメキャラのマネなんてしません」
「えー、面白そうなのになぁ」
「嫌っす」
伊織さんはこれから血を吸いに来る吸血鬼のような笑みを浮かべて、僕の耳に
「……今日って、ギリギリエイプリルフールじゃん?」
「ギリギリって……まあ、もうすぐ夜ですけど」
「あんた、女子とエロい話で盛り上がれるんだからさ、出来るよね?」
いい加減、もうそれは止めてほしいが……。
「何を?」
「彼女に嘘つくくらい、余裕だよね?」
「……いや、そんなこと無いと思うんすけど。僕、人生で嘘ついたこと多分無いです」
「んなわけないでしょ、サラっと嘘ついたつもりがすぐに顔に出ただけじゃないの?」
悔しいが、その通りだった。
「じゃあ、まあLINEでこうメッセージを送ること」
「はい……」
僕はひとまずスマホを取り出した。
「『エイプリルフールだし、冗談言っていい?』って。『何?』とか『いいけど』とか来たら、『好きです、付き合ってくださいっ!』って送る。簡単でしょ? 相手の反応も分かるし、所詮冗談って最初に言ってる。でももしかしたら……とかって悩んで、結果、彼女の頭からは山田大の禿げ頭が離れなくなる! ってわけ」
「……え、いや、そんなの無理っす! 絶対無理! 引かれますって!」
禿げ頭とかいう嘲りにわざわざリアクションする余裕は今の僕には無い。
「もうね、あんたに失うもんないでしょ? ほとんどの確率で、違う組になるんだからさ、良いじゃん」
「え、いや、でも……」
「あ、分かった。じゃあ、絶対に引かれない方法、教えてあげるからさ、ちょっと耳、近づけて?」
ニタリと伊織さんが笑って手をひらひらさせる。断ってもいいことが無い気がしたので、僕は曇っているであろう大きな顔を近づけた。
「あっ!」
「はい、ゲットゥー」
伊織さんに意識が行って、知らずのうちに緩んだ右手から抜き取られたマイスマートフォンが、性悪姉貴の長い指の中で踊っていた。
「ちょ、止めて!」
「もう送っちゃったー、ごめんねぇー?」
「消してください!」
「あ、既読付いた」
「えぇ?」
「早いねー。脈ありなんじゃない? もしかして」
「んなわけないでしょ」
「いやいや、好きな人からのLINEってほっとかないからねぇ……おっ!」
「え、何ですか?」
「好きです付き合ってくださいって送ったら、『え? え?』って」
「止めてください!」
「『何それ冗談?』って」
「いや、冗談以外何でもないでしょ?」
「でも、本気で行きたいんでしょ?」
「まあそりゃそうですけど」
「じゃあいいじゃない!」
「いい加減返して下さい!」
身体を大きく乗り出して、魔女の手の中のスマホに手を掛けると、想定外にすんなり返してくれた。
「じゃあ、あとは頑張って。なんか、ヤバい過去があるらしいけど、それと同じ轍を踏まないように、上手いことね」
そういうと、伊織さんはフワッと腰を上げ、誰かからもぎ取ったのであろうチョコレート菓子をむしゃむしゃ頬張りながら、駄菓子屋の店主に金を払って帰っていった。
その軽やかな後ろ姿を僕の黒目が追う。掌から、激動のスマートフォンが零れ落ちた。
シャワーを一分で浴びて着替えて、ろくに髪も拭かずに自室へ籠り、LINEのトーク画面を凝視する。
鷹央:『冗談なの?』
鷹央:『ねぇ?』
どう答えればいいのだろう、こういう時は。冗談だよ、と答えるべきなのだろうか。既読スルーと言うのは前回の経験があるし、何かしらアクションは起こした方がいい。
山田:『どうでしょうか』
いや、ダメだ。
取り消……くっ、既読。
鷹央:『何よそれ、エイプリルフールのネタ?』
ネタだよ、っていえばそれで終わりだ。ただのヤバいやつだと認識されるだけ。いや、既にそういう認識だろうが、それでも。
――そうだ。
山田:『何て答えてほしいですか?』
鷹央:『何よそれ。どういうこと? 付き合うか付き合わないかってこと?』
いざ返信されると困るって。
山田:『まあ、そういうことにしてください』
山田:『別に、まあ、冗談かもしれないんで、適当に』
いや、これ言ってよかった? 冗談かもしれないって。
鷹央:『うーん分かんね』
……分かんね、って何?
僕は、あなたにとって、何者でもないってこと? 色の無い人ってこと? 彩られた世界に溶け込んだ背景ってこと?
「……終わった」
そうだ、終わったんだ、これは。
高嶺の花を自分で引き寄せたような気になって、勝手に天へ舞い上がって、自分の好きなように世界を彩ってきていただけで、実際の世界はもっと、もっと、そう、何だ、要は、無彩色なのだ。
有彩色は、幻に過ぎなかった。
脳裏にはにかむ鷹央、勝負の顔をした鷹央、勝気な鷹央、顔を赤らめた鷹央がぷかぷか浮かんではぷかぷか沈んでいって、色んな画像が浮かんだ記憶と感情の海は段々と夜に向かっていくようで、深く、暗く、色が消えてゆく……。
チキンライスのケチャップの味が感じられなかった。米の甘さが滲みだしてこなかった。卵は、母が何かを間違えたのか、錆のようにカピカピで固い。
共働きで誰もいない我が家はどこまでも静かで、ちびちびスプーンを動かしていると、気づけば背中が随分曲がっていた。
ピコン
すぐそばに置いたスマホが快活な音を出した。
「たっ?」
スプーンを放り出してスマホに手を伸ばしたが、着信元は賢一君だった。
『あの人、どうだった?』
少なからず襲う落胆を振り払う。
『まあ、まあまあ……?』
何だそれ、とだけ返ってきた。
結局その夜は、待てども待てども、LINEからの着信音は聞くことが出来なかった。
冷たい布団の中、僕は何時間ももがき続けた。心がズキズキささくれて、何度寝る位置を変えても、すぐに身体を動かさないともう耐えられなくなる。
数回、スマホの音がしたが、頭にかぶった布団がきっちりガードして耳に入れない。
『分かんね』
嗚呼、時速三百キロの速さで、とめどなく脳裏をかすめていくこの言葉が……。
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