終章

終章 花の夢を見たんだ

 目が覚めた登与は今日も今日とて、大きなあくびを一つしてから布団を出た。

 窓の簾を上げ戸を開けて朝日と風を部屋に取りこみ、大きく体を伸ばす。そうして踏みしめた拍子に、狭い部屋の床がきしと鳴った。

 奥地には天狗の里があるとされる山の麓に鎮座する、天羽神社のすぐ外にある宿舎。その一番奥の、山に近い一室が登与に与えられた部屋だ。禰宜や巫女が拾ってくる子供の中でもっとも年長であり出稼ぎのための品を自作している登与だけは、狭いながらも寝室と工房が二間続きになった一人部屋を与えられている。

 幼い兄弟たちに挨拶しながら囲炉裏の間へ向かうと、当番の子供たちによる朝餉の準備がすでに始まっていた。湯気と料理の匂いが漂ってきて、登与はふにゃりと相好を崩す。

「登与ねーちゃんおはよう」

「おはよう登与姉」

 食事当番の子供たちも登与に気づき、挨拶をしてくる。それに応え、登与はじゃれついてくる小さな子供たちの相手をしてやった。朝餉の準備ができれば配膳も仕切る。

 そんなふうに血の繋がらない弟妹たちの世話と監督をしながら午前中を過ごし、自分の時間になった午後。登与がさあ次の出稼ぎのための品を作るぞと、神社の境内から宿舎へ移動している最中だった。

「登与姉」

「……?」

 背後からかかった声で振り返ると頬に深い刀傷が走った、少々目つきは悪いもののそれなりに整った顔立ちの少年がいた。登与に次いで年長の勘太だ。その左右にはさらに幼い弟妹たちがついてきている。

 登与は目を瞬かせた。

「? どうしたの、勘太」

「……簪、が欲しい」

「簪? なんでまた?」

「……」

 登与の問いかけに対し、勘太は視線を逸らして無言でもって答える。回答は断固拒否、といったふうである。しかし落ち着きない視線の動きは答えているも同然と言っていい。

 こいつってほんとにわかりやすいよね……まあその正直さが短所かつ長所なんだけど。

「……ちなみに誰に贈んの?」

「……」

「勘兄ぃは大森衣装店の赤い髪紐のお姉さんに渡したいんだよ」

「ばっ千代言うなよ!」

 渡したい相手を暴露された勘太は大慌てで実妹を怒鳴った。だがもう遅い。千代も弟分もきゃいきゃい騒いで実に楽しそうだ。

 大森衣装店はこの町でもっとも大きな衣装店で、容姿や気立ての良さで評判の若い娘が何人も接客に勤しんでいる。そのため彼女たち目当てで店を訪れる男性客は少なくなく、中には店の外から覗き見ようとする者もいる始末とか。勘太もそうしたお熱の男どもの一人、ということだろう。

 くけけ、と登与は年頃の娘らしからぬ品のない笑いかたをした。

「あんたみたいに目つきが悪い顔でも、私のお手製簪を贈る甲斐性があればなんとかいい子をひっかけられるかもね」

「っいいから早く簪を見せろよ!」

 顔を真っ赤にして勘太は怒鳴る。そんな大声を出せば、たちまち他の作業帰りの者たちに聞こえてしまうのに。千代も勘兄がうるさいよと冷静に指摘している。

 こんな見た目はそこそこでも思慮は微妙な子供に、一流衣装店の奉公人がなびくとは到底思えない。が、それでも大事な弟分である。登与は仕方ないとばかりに息を吐き、勘太を自分の部屋へ連れていった。暇なのか、千代ともう一人の少年もついてくる。

 登与は奥にある工房から何本かの品々を持ちだすと、表の部屋で待つ寛太の前に敷いた藍色の手拭いの上に並べていった。

「弟分ってことでちょっとはまけといてあげるよ。それでも足りなかったら、つけだよ」

「助かる」

 答える勘太だが、その視線は簪からわずかも外れない。食い入るように簪を見つめ、手にとってじっくり品定めしている。

 それを微笑ましく見守り、登与が今度こそ自分の作業にと思ったとき。今度は千代がねえ、と登与の服の袖を引っ張った。

「登与ねーちゃんはこのあいだ、遠くへ行商に行ってたでしょ? そのときにかっこいい男の人、見た?」

「んー? ああ、見たよ。あと今日の夢でも」

「夢かよ。さみしい奴だな」

「うるさい。そんなに言うなら簪売らないよ?」

 誰が簪を売ってやっていると思っているのか。登与が返してやると、勝ち誇った響きの声の主は即座に沈黙した。だったら言わなければいいものを。弟分も隣で呆れている。

 色々と残念な実の兄を一瞥すらせず、千代は登与を見上げてきた。 

「ねえ、どんな夢を見たの?」

「そうだねえ……」

 箪笥から道具や材料を出しながら、登与は目を細めた。登与の脳裏に、鮮やかな情景がいくつも浮かびあがってくる。

 突然現れ、見下ろしてきた鋭い眼差し。

 墓石の前に座り続ける孤高の背中。

 柔らかな花びらに口づける横顔、揺れる瞳。

 ――――そして手のひらの花びらを見下ろす、極上の眼差し。

「登与ちゃん? どうしたの?」

 不思議そうな声がかかり、はっと登与は我に返った。千代が声そのままの表情で登与を見上げている。

 ごめんごめん、と登与はふわりと笑った。

「こんな夢を見たんだよ――――」




 そうして登与が語る最中、ごうと風が吹いて戸をがたがたと揺らした。室内にも風が吹きこんできて、登与たちの髪やら手拭いやらが乱される。

 さらに格子窓から鳥の羽根が二本舞いこみ、ちょうど目の前をたゆたって落ちた。拾いあげた千代はうわあ、と興奮した声をあげる。

「登与ねーちゃん、この羽根きらきらしてるよ! こっちも真っ白!」

「そうだね。私が会った天狗たちの羽みたい」

 登与はそう期待に胸を膨らませ、格子窓に顔を向けて言った。

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花の夢を見たんだ 星 霄華 @seisyouka

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