IF102話 幸せそうな顔

 高校総体の2日目で水泳の部の初日、400m自由形の予選でオルカは予選1位通過し、ケンタは残念ながら予選落ちをした。

 俺も400m個人メドレー予選があったがとても意気込み過ぎていた。そのため最も注意を払っていた背泳でのターンで足を滑らせるという失態を起こして失速してしまった。自己ベスト自体は更新し組の中では1着でゴール出来たけれど、何となく喜べなかった。


 予選の次の組が続くので、俺は軽く体を拭いてプールサイドを出て通路の脇で着替えたあと、記録を見に行ったら、既に先の泳いだ方の女子400m個人メドレー予選の結果が張り出されていた。


「やっぱカオリは1位か・・・」


 カオリは自身が持つ大会新記録を更新し1位のタイムで予選を突破していた。

 

 男子400m個人メドレーの記録はまだかと思っていたら、すぐに係員がやってきて紙を張り出した。

 俺の名前の横には12と書かれていて、決勝進出来る10と書かれた選手と0.33しか離れていなかった。

 俺はそれを見てターンを失敗しなければ予選を突破出来たかもと思ってしまった。少しふら付く足取りで観客席に戻ったものの、何故油断したんだろう、何故もっとターンを仕上げられなかったんだろうとグルグルと考えてしまい、競技が続くプールを眺めていたもののちゃんと見れていなかった。


「結果が悔しい?」

「・・・カオリ・・・」


 俺の手にカオリの手が重ねられ、声がかかった事で隣の席にカオリが座っている事に気が付いた。

 カオリは俺の目の前で余裕の1位でゴールしたあと、余韻に浸る事無くすぐにプールサイドにあがり、泳ぐ前に外していた指輪を着け、俺にそれを見せながら口パクで「がんばって」と合図を送りながらプールサイドから出て行って行った。

 俺は緊張し過ぎてそれを見ながらも、自身を落ち着かせる事に苦心していて、うまく反応を返せなかった。


「ミノルのタイムは私より早かったのよ?」

「そうだったのか・・・」


 俺は順位だけに注目してしまい、俺とカオリのタイムをちゃんと見比べていなかった。俺はカオリを追い抜くために泳ぎ続けていたというのに、順位に目がくらんでそれを確認出来ていなかったのだ。


「そうか・・・俺はカオリの記録を上回れてたのか」

「そうよ、ミノルは私より早いのよ」


 俺がカオリより早いのは、男女の体格による差というだけなので、単純に俺がタイムで早いからといって、世間的な評価の点でカオリに並んだ訳では無い。けれど俺とカオリの中では俺がカオリのタイムを上回るという事は大きな意味を持っていた。


「今までにないほど緊張していたんだ」

「えぇ、ミノルの目がなんか泳いでいたのを感じたわ」

「背泳でのターンに失敗していなければ、多分予選が突破できていたんだ」

「そうだったの・・・」

「入賞出来ていれば夏休み明けの始業式で同じ壇上に上がれたんじゃないか・・・、カオリと並べたのにって・・・」

「そうだったの・・・、でもそれならミノルはもっと私より早いって事でしょ?」

「そうだけど・・・」

「私を見て・・・」


 俺がゆっくりとカオリの方を見ると、カオリは俺を凝視していた。俺はカオリを見つめ返すとカオリは笑顔を俺に向けた。


「小学校の時は喜んであげられなくてゴメンな」

「えぇ、私もあの時、ミノルの気持ちが分からなくてゴメンなさい」


 俺はカオリの笑顔によって心が随分と軽くなっていく事を感じた。


「・・・でも悔しがっても良いよな?」

「えぇもちろんよ、ミノルはさらに上がっていくと決めているんでしょ?」

「あぁ、6年後のオリンピックで金メダルを取ると決めているよ」


 インターハイの予選で敗退しているのに随分と大きな目標だけど、俺はそう決めていた。


「じゃあ私と一緒に前を向いて上がりましょう」

「あぁ・・・」


 カオリが俺から視線を外してプールの方を見たので、その視線を追うと丁度女子400mの決勝が行われていた。俺はそれに気が付かないままボーっとしていたらしい。


「ほらオルカが出て来たわよ」

「あぁ」


 オルカは自分の泳ぐコースの次の選手が座る席にパーカーを脱ぐと、依田から貰った指輪を外してそれに入れた。そして「自分の体に向き合う時間だよ~」と周囲に言っているいつもの試合前の体操を始めた。


「調子は良さそうよ」

「あぁ・・・そうだな・・・」


 オルカがああやって試合前の体操をする時に、全く首を傾げない時は調子がいい時だ。


「・・・あれ?あんな風に胸に手を当てる動きを加えたのか?」

「えぇ、県大会の決勝からしていたわよ」

「オルカも泳ぐ前に緊張するようになったんだな」


 オルカは試合では一切緊張しないらしい。だから胸に手を当てて目をつぶって瞑想するような、心を落ち着けるための仕草をする事を俺は見た事が無かった。


「あれはわざと体を緊張させるためにしているらしいわ」

「わざと緊張?」

「えぇ、オルカって後半にタイムが伸びるじゃない?」

「あぁ・・・」

「あれって緊張していないからスロースタートになってるって気が付いたみたい」

「緊張していないから遅い?」


 俺はスタート前は、目を瞑って深呼吸して心を落ち着けるようにしている。緊張すると体に力が入り過ぎて体の伸びが悪くなるからだ。


「ああやって県大会の決勝で瞑想して緊張させてみたら、記録が伸びたらしいわ」

「へぇ・・・」


 俺にとっては全国行きを決める大事な県大会は、超高校級のオルカにとって自身のコンディションを調整するために使う場所だったようだ。


「今日の予選は緊張の度合いをどの程度にするか調整するって言ってたわよ」

「緊張の度合いを調整って、随分と器用な事を始めたんだな・・・」


 どうやら、俺が予選を突破出来なかったと落ち込んでしまう事になる全国大会の予選も、オルカにとっては同じ場所らしい。


「幸せそうな顔ね」

「いい具合に緊張したのかな?」


 瞑想を終えたオルカは少し微笑するような顔になっていた。カオリは幸せそうな顔と評したけれど、俺には、これから泳ぐのが楽しみだと言っている様に見えていた。


「緊張して固い表情になるんじゃなく口角が上がるのか・・・」

「オルカって本当に不思議な子よね」

「あぁ・・・」


 オルカは、スタートの直前にその幸せそうな顔を引き締め、見事なスタートダッシュを決め、見事に自信が持つ大会新記録を塗り替えて優勝した。独走状態だった事もあり、他の人がゴールするまでの間、プカプカと浮かんで天井を見上げながら他の人がゴールするまで幸せそうな顔を続けていた。


「私も呼び出しかかってるから行くわね」

「あぁ、頑張ってな」

「えぇ」


 カオリは頑張らなくても優勝しそうだけど、だからって油断する事は出来ない。スタートでのフライングや潜水の距離を間違えての失格。入水時に水中メガネがズレて、思ったような泳ぎが出来なくなるなんて事もある。カオリはライバル達より良い持ちタイムを持っていても落とし穴によって負ける可能性は残されているのだ。


△△△


 オルカの400m自由形の記録は、去年国体で負けた選手が持っていた日本新記録にあと1秒と迫る好記録だったらしい。


「ドーピングを疑われたみたいで、係の人にジッと見られて恥ずかしかったよ」

「へぇ・・・私はあまり記録がイマイチだったからか、ジッとは見られなかったわね」


 オルカの後に行われた400m個人メドレー決勝でカオリも1位を取っていた。ただベストタイムでは無く記録的には満足していないようだった。


 国際大会に出る可能性がある選手は、大会中にドーピング検査が行われる。カオリだけでなく、オルカも泳ぎ終わってプールサイドに上がったら、すぐに係員に呼ばれていた。

 現在様々な国で、ドーピング検査の抜け穴をついたような新たなドーピングが行われるようになっているらしく、国際的なドーピングルールは見直され続けている。

 例えば、ある国で普通に食されている食品に含まれる、向精神薬的な働きのある成分が見逃されていたけれど、それを逆手に取って人工的に精製された類似の働きがあり、今までの分析技術では判別できなかったその薬を投与された選手が出て問題になったと聞いた事がある。


 貧血の治療薬を摂取し、血液の酸素の運搬能力を向上させるという働きをさせるというドーピングする事が流行したり、自身の血液をあらかじめ採血し、大会直前に輸血し血液量を増やすというドーピングが流行したりと、採尿だけでは検査が充分とは言えなくなったらしく、国際大会では指先から僅かに血液を採取するという検査も行われるようになっているらしい。


「赤ちゃんを産まなきゃならない体なのに変な薬なんか使わないよね~」

「えっ?えぇ・・・そうね・・・」


 大会の2日目が終わったバスの帰りにしたオルカのその言葉が恥ずかしかったのか、カオリが少し目を泳がせたあと俺をチラッと見てきた。


「オルカもそういう事を平気で言えるようになったんだな」

「何の事?」

「だって子供が出来るって事はそういう事をするって事だぞ?」

「そういう事って?」


 もしかしてオルカって大人の男女の営みを知らないのか?いやさすがに中学校の時に保健体育で習うよな?男女別室で受ける授業もあって、その辺の授業がどうだったか知らない部分もあるけれど、確か俺達の中学校ではその辺のあたりは男女一緒に受けた筈だ。まさか別の中学校ではそれを受けないとかあるのか?


「オルカは子供はどうやったら出来ると思ってるんだ?」

「それはえっと・・・男の人と女の人が・・・」


 どうやらオルカは自分の発言がどういう意味を持つのか気が付いたらしく、話すのをやめて手を顔に当てて恥ずかしがり始めた。どうやら赤ちゃんを産まなきゃならない発言は、オルカのポンコツな部分によってなされた言葉だったようだ。

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【本編完結済】お助けキャラに生まれ変わったけれど【IFストーリー投稿中】 まする555号 @masuru555

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