IF101話 良物件
早朝、旅館から街の方にゆっくり下る坂道を下ってからまた登るという軽いジョギングを希望者のみんなでした。水泳部からの声かけだったけれど、陸上部の依田と、同室の砲丸投げで出場する3年の間宮先輩と、男子テニスのダブルスで出場する同じく3年生の松本先輩と錦山先輩も参加した。
サッカー部だけは既に早朝トレーニングの内容が既に決まっていたそうで参加しなかった。
そのあと大浴場で汗を流したけれど、手の形の黒ずみはかなり治まっていた。依田も、「良く見たら分かるけど、そんなに目立たないよ」と言ってくれたので大丈夫そうだった。
それでも、ビュッフェスタイルの朝食を食べていたら、「騙した女の生霊に憑かれた」という陰口が、サッカー部員達が座る席の方から聞こえて来た。俺は一部からいまだに二股クズ野郎と陰口が叩かれているように、悪い噂を吹聴した奴がいるのだろう。
「田中っ! すまないっ!」
「どうしたんだ?」
「俺の仲間達が変な噂してただろ?」
佐野はサッカー部員が俺の噂話をしている事を謝って来たらしい。
「佐野がしている訳じゃないだろ。手の跡だってわざとした訳じゃないのは知ってるし今更佐野には何も思わないよ。俺も握力に抵抗するために力を入れたから浮き出たのかもしれないしな」
「変な噂が立っても気にしないのか?」
「今更だな。ちょっとぐらいの悪い噂なら気にしても仕方ないって感じだ。まぁ直接変な事して来たら対処させて貰うけどな」
「なるほどな・・・、でも田中も難儀な奴だよな・・・」
「そう思うなら、次は強く握るのを遠慮してくれよ?結構痛いんだぞ?」
「手の方は不器用なんだよ。足の方が力加減がうまいかもしれん」
「変わってるな・・・」
「俺はサッカーに愛されているからな」
前世で薬害で両手が無い状態で産まれた女性が足を手の様に使っていたらしいけど、佐野はそんな足を生まれつき持っていたとでも言うのだろうか。もしそうなら佐野は将来ファンタジスタと言われる様なサッカー選手になりそうだ。今のうちにサイン貰っておけば、将来高値がつくかもしれない。
「今朝はそこまで黒ずみが目立たなくなってたよ。肌が日に焼けているから。少し薄くなればそんなに目立たないみたいだ」
「それは良かった・・・、さすがに昨日の状態だったら大会出にくいだろうと思ってたからな。試合は明日からだろ?」
「午後にプールで軽く泳ぐ事が出来るな。どっちにしてもせっかく掴んだ初めてのインターハイを辞退する事は無いぞ。怪我をして動けない訳でもないんだしな」
「それもそうか・・・」
1回しか無い高校2年生の夏、悔いを残すわけにはいかないからな。まぁ俺は高校2年生の夏はダラダラ甲子園の試合を見ながら過ごしていた記憶しか残っていない前世を含めると2度目だけどな。
△△△
高校総体は9日間かけて行われる。その内水泳は2日目から5日目の4日間が日程となっている。サッカー部は今日の午後離れた会場で試合があるようで朝食後すぐに旅館のマイクロバスに乗って出かけていった。
水泳部は総体の開会式の後から開放されたプールで調整をするために午後から同じく旅館のマイクロバスに乗って試合会場に向かった。
水の冷たさや固さや壁の滑りやすさなど、プールの調子を確認する貴重な機会なのでちゃんと参加しないといけない。ターンの後に壁を蹴る際に滑って体が伸びないと大きく失速する事になる。折角練習した潜水泳法を活かす為にもその辺のコンディションの確認はとても大事だった。
俺の日程は1日目の午前中に400m個人メドレーの予選がある。持ちタイム的に、決勝に進む事は難しい。その後は2日目のメドレーリレーの予選までみんなの応援になる。そんな感じに3日目に200m個人メドレーがあり4日目にフリーリレーがある。
入賞できないかもしれないけれど、自身にとっての初めての全国デビューなので、全力で挑むつもりだ。
「壁が滑りやすいね、あと塩素が強いよ」
「室内プールだからもっと水温高めかと思ったけど低いね」
「水が尖った感じがしますね、プール開き直後みたいに感じます」
プールのコンディションは学校のプールとは随分と違った。多少気化熱で水温が下がるとはいえ、外気温に左右される室外のプールと違い、年中通して一定温度に保たれているらしい会場のプールは、俺達には冷たく感じた。それと大勢が使う事を想定して、感染症予防のために塩素を多めにプールに散布されているのか、かなり強いと感じた。海堂の水が尖っているという感想は良く分からないけれど、確かにプール開き直後の時の学校のプールの様な感覚は確かに感じた。
「じゃあ明日から海堂は加賀美と観客席で場所取りと記録係をしてくれ」
「了解しました」
会場には参加選手が個別に着替えるスペースは無い。選手が着替えるように、会場の外に目隠しされたテントが張られるそうだけど、基本的には女性選手が使い、男性選手は会場の廊下や観客席の隅でタオルで身を隠しながら着替える事になる。試合に出ている間の貴重品の管理の必要もあるので、ちゃんとある程度のスペースを確保しておいた方が良かった。
顧問が会場にいるけれど、昔有力選手だった事からか、他校の引率者に結構声をかけられていた。場所取りは、フリーリレーにだけ出場する海堂と、メドレーリレーだけに出場する加賀美が、1年生という事もあり任される事になった。体育会系にありがちな年功序列という奴で、俺達2年生も参加する大会では同じ事をしていた。
「私も手伝うよ」
「ジュリ先輩ありがとう!」
「いいよぉ、私も個人では県大会にすら進めない実力だしね。試合が無い時間ボーっとするより良いんだよ。他に見に行きたい競技がある訳じゃないしさ」
2人だけで4日間も場所取りと記録取りを続けるのは大変だと思ったのか、諸見里が手伝いを申し出てくれた。でも良いのだろうか?確か諸見里はサッカー部の男子に応援に来て欲しいって言われてたよな?
「サッカー部の奴は良いのか?」
「田中にああいう陰口する連中を応援には行きたくないな。それを私が認めてるみたいじゃん」
「おっ・・・おう」
諸見里は、サッカー部の連中が俺の変な噂をしていた事を怒っているらしかった。
でもカオリの婚約者でありながら、サクラとも付き合っている様な感じだし、二股クズ野郎と言われても仕方ない状況ではあった。
「俺はそこまで気にしてないから、行っても良いと思うぞ?ほら帰ったあとの合宿でもサッカー部とは一緒になるんだし仲良くはしたいからな」
「何?私をサッカー部の誰かとくっつけたいの?」
「そんな事は思ってないが・・・」
何か妙に突っかかって来るな。もしかして地雷を踏んだか?
「まぁサッカーを見るのは好きになっているけどさ・・・」
「そうなのか?それなら見に行った方が良いんじゃないか?」
「行かないよ、私が応援したいのはそういうんじゃないからさ」
なるほど、どこか好きなチームがあって、そこの選手を応援している感じか。サッカーのプロリーグの人気は凄いからな。
「サッカー観戦好きなら田村と話が合いそうだな」
「っ!?ばっ!馬鹿っ!何言ってるのよっ!」
なんだ?諸見里の奴が驚いた顔をしたぞ?えっ?
「まさか諸見里が応援したい奴って田村なのか?」
「ちっ・・・違うわよっ!」
「・・・そうなのか?一応同じ中学校だしアドバイス出来ると思うんだが・・・」
「何っ!?」
諸見里は俺に食い掛るように聞いて来た。どうやら諸見里は田村を応援しているらしい。そういえば諸見里って田村と同じクラスになってたな。田村は胸の大きな女性が好きらしいから、スレンダー気味な諸見里は好みから外れていそうだけど・・・。
「・・・田村は頼まれごとに弱いんだ。人が良いっていうのかな」
「うん・・・優しいよね・・・」
真っ赤な顔しちゃって、田村に何か優しくされてコロっといっちゃった感じか?中学校の時は女子連中に顰蹙を買った丹波の連れって事で色々と縁遠かったけれど、不細工って訳じゃないし、運動が苦手な奴が多いうちの高校の中では出来る方だし、勉強も得意な方だし、お調子者の丹波と一緒に空気が読めなくなる部分に目をつぶれば良物件ではあるんだよな。2年では田村と丹波は別クラスになってたし、その部分があまり表に出ていないのかもしれないな。
「だからデートに誘っても断られないと思うぞ? 思い切って誘ってみたらどうだ?」
「・・・えっ?それがアドバイス?」
「あぁ」
「・・・それって彼女がいても他の女に誘われたら遊びに行っちゃう奴って事?」
「それは無いんじゃないかな?田村は確かに押しに弱いけど、芯は強いから本当に駄目な事はNOと言える奴なんだ。それ以外にはすごく寛容なんだけどな」
「なんとなく分かるかも・・・」
中学校の時、丹波が早乙女に対して暴言を吐いた事が原因でクラスの女子から無視されるという苛めにあったとき、いつもと同じ様に丹波に接する田村も、丹波の仲間扱いされて無視されるようになったそうだ。けれど田村は何も思っていないかのように丹波と接し続けたらしい。
丹波を無視しない事を咎めてくる幼稚な奴もいたそうだけど、田村はそれに対して「僕は君より丹波君の方と付き合いが長いんだ」と言って拒絶したそうだ。
その時は、田村と丹波の状況を察したショッピング仲間で幼馴染の八重樫が「女性は胸じゃないと思うよ、チエリはとても可愛いし関係ないよ」と言って早乙女を慰め、丹波と和解させることにより田村と丹波に対するいじめが終息したそうだ。
そのあと、早乙女が目の色を変えて八重樫にアタックして、いつの間にか付き合っていたんだけどな。
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