7.

 朝起きたとき、由里は晴れやかな気分であることを発見した。

 ……気持ち悪くない。

 お腹は重いけれど、身体が重くて起き上がれないような、あの感じはなかった。

 由里はベッドからそっと抜け出すと、朝食を作り始めた。

 久しぶりに、空腹だ、と強く思った。

 ごはんをしかけ、お味噌汁の出汁をとる。

 お肉も食べたい。そう言えば、昨日、豚肉を買って来た。もやしといっしょに炒めよう。

 いいにおいがいっぱいに広がった。

 料理をしているときのにおいって、こんなにいいものなんだ。

 ごはんの炊ける、いいにおいもする。

 ああ、早く食べたい。

 お味噌汁の具は簡単にお豆腐とわかめにしよう。

 出汁が出て、金色になっている中に、刻んだお豆腐を入れる。

 お味噌を入れて、お味噌が溶けたらわかめを入れる。

 お肉もほどよく焼けた。

 おいしそう!

「おはよう。いいにおいだね」

「うん!」

「もしかして、今日は、体調いいの?」

「うん、気持ち悪くない」

「よかった」

 博之は優しく笑うと、「じゃあ、いっしょに食べられるかな?」と言った。

「食べたい!」

 由里はそう言うと、手早くお皿を並べ、博之といっしょに席についた。

「いただきます」と言って食べ始める。

 おいしい! と由里は思った。ごはん、こんなにおいしかったかしら? お味噌汁もおいしい。豚肉もおいしい。

「由里、よかった。食べることが出来て」

「うん! ……昨日はありがとう。嬉しかった」

「どういたしまして。――それより、ずっと気づかなくて、ごめん」

「ううん。嬉しかったよ」

「これからは、ちゃんと話して欲しい。由里の、いろいろな気持ちを」

「うん」

「つらいときはつらいと言って?」

「うん」

「不安なことも話して欲しい。そうして、いっしょに乗り越えて行こう」

「……ありがとう。――あ!」

「何?」

「赤ちゃんが、蹴った」

「喜んでいるんだよ」

 博之は席を立って由里の方に行き、お腹を触って、そして「あ、ほんとうだ、これ、足だ!」と言った。


 昨日買ったスイカが、冷蔵庫にあった。

 でも、もうスイカは要らなかった。

 ずっと続いていたむかむかも消えて、だるさも無くなった。


 悪阻って、こんなに急になくなるものなんだ。

 悪阻がないって、神さまからのプレゼントみたいだ。

 そう、由里は思って、それから、お腹をそっと撫でた。

 また、動いた。

 はやくあいたい

 そう、言われているような気がした。


 自分がしてもらって嬉しかったこと、自分がして欲しかったこと。

 それを忘れないようにしよう、と由里は思う。

 それから、博之の手のぬくもりも。

 いっしょに乗り越えて行こうと言ってくれた、その気持ちも。


 砂時計の中の無数の砂の中にある、たくさんの「わたし」。

 底に埋もれている「わたし」もときどき取り出してみよう。

 そうして、新しい、「わたし」が出来るだけ笑顔でいるといい。

 このお腹の子といっしょに、笑っているといい。

 ねえ、早く出ておいで。

 いっしょに生きていこう。


 由里はカーテンを開けた。

 抜けるような青空が広がっていて、幼いときブランコをこいで空に近づいたときのように、高く上がって、その青空に吸い込まれていくような気がした。




         了



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悪阻 西しまこ @nishi-shima

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