『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』(ちくま文芸文庫)を読んでいます。
とてもおもしろいです。
まだ少ししか読んでいないけど。
A「彼はだらしない人間であった」
B「彼はいつも汚れたハンカチを持っていた」
AもBも、その人物がだらしないことを表しています。
これは「解釈の基礎」なので、Bの表現から「だらしない人物像」を読み取りましょう
という話なんですが、
書き手としては、「だらしない人間」と書くのではなく、
そのしぐさや持ち物で「だらしない人間」を表現するんだ! ほほう!
と思います。
ただでも、きっと、web小説やライトノベルは「だらしない人間」と書くべきな気がします。
想像させるような、読み取りが必要な文章ではない方がいい気がします。
思うに、AとBの表現の違いが、ライトノベルか文芸かを分けるものの一つであるように思います。
「羅生門」(芥川龍之介)に「六分の恐怖と四分の好奇心」という表現が出てきて、うまいなあと思うのですよ。
「下人の考えは何とも同じところを低廻したあげく、ある局所へ逢着した」も好き。
(記憶で書いているので間違っていたらすまん。)
ああ、描写がうまくなりたい。
ともかく、直球でスパンと書いてもいいけど、直接書かずにその人の人となりを描けるようになりたいなと思いました。
文章というか描写がうまくなりたいから、とりあえず、本読んで寝よう。
眠いから、とりあえず寝ます。
おかしいなあ。
今日は時間がある日だったけど(よく考えるとそうでもないか)。