8 照太と照真


 ――――――風の匂い。遠くで聞こえるクラクションの音。目が覚めた私を待っていた赤橙の世界が、私を優しく包み込んでいる。

 ビルの手すりをつかみ、夕日に向かって遠い世界を見つめている照太くんの背中を見た時、何も感じていないのに私の目じりが熱くなる。


 あんな恐ろしいことがあったのに、私はすいぶんと冷静だった。人が死ぬ光景に慣れてしまったのだろうか――――――いや、多分違う。

 自分が死の直前まで追い詰められた状況から助かったという安堵が、私を現実から遠ざけているのだ。


「……ぅ」


 起き上がる時、頭が少し痛んだ。照太くんは私が起きたことに気づき、ゆっくりと振り向くと、微笑む。その顔は照太くんのものであり、照太くんではない誰かの笑みだった。


「起きたか。すまなかったな、杜若愛生かきつばたあおい


 照太くんの声で、温かく言い放たれた私の名前。

 照太くんであり照太くんではない誰かは、手すりから離れ、私の傍に近づいてきた。


「あんたに謝罪したいのと、色々と説明したかったから、もう少しだけ照太の体を借りている」

「弟……?」

「ああ。初めましてだな。俺は雄黄照真ゆうおうしょうま。照太の兄、だった・・・者の残滓、とでも言っておく」


 照太くんの兄と名乗る存在は、私の横に座ると悲し気に真っ赤な空を仰いだ。私は椅子にきちんと座り直すと、照太くんの横顔をじっと見つめる。


「……瞳の色が赤い」

「ははっ。そうなのか。あんたは照太のことをよく見てるな」


 そう言うと照真・・さんは、私に賦殱御魂ふつみたまを渡してきた。


「なら、説明するより見た方が良い」


 私は言われるがまま、賦殱御魂ふつみたまで照真さんを見る。


神断Judgement十二決議Resolution―――法政局特別捜査権限令第二条、登録弔葬師雄黄照太ゆうおうしょうた傀紋色位イマジナリーブランドオレンジ。任意抹殺対象です』


 照太くんは、橙朧人ダウナーではないと七楽ならく課長が言っていたのを思い出す。こうして照太くんを賦殱御魂ふつみたまで見るのは初めてだったが、何より表示されている傀朧深度かいろうしんどが〈5〉だったことに驚く。


「なぜ照太がここにいるのか。あんたは疑問に思っていたはずだ。現場には出れない。橙朧人ダウナーでもない。戦えない。それらはすべて事実だ。そして今あんたが測定した俺の傀紋色位イマジナリーブランドが、その疑問の答えになる。俺は照太の中に存在するもう一つの人格。照太の悲しみと絶望が生み出した傀異バケモノなのかもしれない」


 照真さんはふう、と一息つくと、優しく笑いながら私を見返した。彼の笑顔は、照太くんの無邪気さとは程遠い、疲れた笑みだった。


「あんた、想術師そうじゅつしの家系っていうと、どういうのを想像する?」

「えっ……そうですね……あんまり想像つかない、です」

「親が想術師だと、高確率で親の特性を受け継いで生まれる。傀異カイイ傀朧カイロウが知覚できるし、生まれながらに持って生まれる固有想術こゆうそうじゅつも、強力なものになりやすい。だから……だからこそ、親は子に期待をかける。雄黄家はとりわけ古くから続く家柄だった。想術師の開祖にも通じる、とか何とか親は自称してたな。没落してしまったかつての栄光を取り戻すチャンスだと」


 だから、と照真さんは目を細めて呟く。


「想術の才溢れる俺と、想術が使えなかった弟は、当然の如く差別された」


 恨みの籠った声色だった。私は緊張感をもって、一言一句照真さんの話に耳を傾ける。


「あんたと同じで、見えても使えないってやつだ。家庭内での差別は、あいつが七歳の時から悪質化した。大体それくらいの歳になれば子どもがどれほどの才能を持っているかがわかるからだ。両親に見捨てられた照太は、毎日いないもののように扱われた。何をしても、何を話しかけても、存在そのものを否定された。俺も弟と関わることを禁じられた。話しているところを見られれば最後、裏で罵声を浴びせられた」


 私の心がぎゅっと締め付けられる。怒りと悲しみで寒気を覚えて、私は腕を組んだ。そんな、ただ想術が使えないからという理由だけでネグレクトを受けるなんて、私には理解できなかった。


「弟は必死に自分の存在価値を創り出そうとした。認められたい・・・・・・。自分が存在してもいいんだと、存在することを許してほしいと。だから、進んで何でも行った。掃除、洗濯、料理……まるで奴隷のように雑務をこなした。それでも、両親はうんともすんとも言わなかった。ただ父親は、照太が失敗した時に、蹴り飛ばし、怒鳴りつけた。その時……照太は笑ったんだ。泣きながら笑った。俺はそれを見た時……この上なく親を憎悪した。死ねばいいのに。消えればいいのにって思った。でも、照太にとってクソ両親はそうではなかった。あいつは、自分がどれだけ嫌われても疎まれても両親のことを思えるような優しい子だった……!」


 血走った目で、照真さんは怒りを吐き捨てた。悔しさと、後悔が交じり合った、悲しい表情カオで俯く。

 私は何も言えなかった。どんな言葉も、照太くんの置かれた状況を表すには不適切だし、私の思いを表すことはできない。無力で、無力で、ただ悔しかった。私は息をするのも忘れて、照りつける夕日を睨みつけていた。


 ――――――どれほど沈黙が続いたのだろうか。空の色がよりその赤を濃くした。ひんやりとした夜の風が私たちの間を吹き抜けていった。照真さんは再び口を開く。


「二年前。照太の運命が変わる日……深夜、家が突如燃えたのさ。寝室にいた俺は急いで避難しようと逃げ出して、照太を探した。俺はキッチンにたどり着く前に玄関から入って来た黒いスーツの男たちに突然攻撃された。何とか撃退して逃げたが、瀕死の重傷。何が起こったのかわからないまま、照太を必死に探した。あいつだけでも逃げて欲しかったから。俺がこと切れる前に見たのは、キッチンで父親があいつの首を絞めている光景……父親は放火したのは照太だと、そう言ってた。こうなったのは、落ちこぼれた照太のせいだと。ありったけの罵声を浴びせて照太を殺そうとしている姿を見た時、俺はようやく両親がとっくの昔に狂っていたことに気づいたんだ」


 照真さんは立ち上がると、手のひらを落陽に向けて差し出す。


「もう、すべて遅かった。俺は父親を、背後から想術で殺した。苦しんで死ぬように。雄黄家に伝わる想術……父親から教わった術で殺した。絶対に照太だけは殺させまいと、俺が守ってみせるんだと……」


 手のひらをゆっくりと閉じ込む。太陽を握りしめた照真さんの表情は、今にも泣きだしそうなほど崩れていた。


「でも、雄黄照真は死んだ。両親と共に屋敷で死んだ。そしてその傍には、正体不明の惨殺死体が七名分。虚ろな目で記憶を失った少年が一人、屋敷の傍で震えているのが見つかった。駆け付けた想術犯罪対策課そうじゅつはんざいたいさくかが少年を保護し、今に至る」


 照真さんは立ちあがり、手すりに飛びつくと、身を乗り出して京都の町を眺めた。


「……俺は多分、雄黄照真が死ぬ直前抱いた恐ろしい憎悪と後悔、そして弟を思う気持ちが生み出した亡霊なんだろう。俺は照太が弔葬師ちょうそうしである理由で、呪い・・だ。照太を決して悲しませないために表出し、照太を守る……いや、違うな。それは亡霊のエゴだ。もしかしたら照太自身が自分を守るために生み出した幻影なのかもしれない。どちらにせよ、俺は本来存在してはならない」


 ――――――想術は、想像を具現化する力であると、誰かが言っていたのを思い出す。時に人知を超える事態を引き起こし、それが、照真さんという別人格を生み出したのかもしれない。私には、彼の話を信じる以外の選択肢はない。

 だけど、はっきりとわかることもある。


「……そうでしょうか」


 照太くんの過去が、想像を絶するものであることを理解した私にとって、言葉を紡ぐこと自体が烏滸がましいことは痛いほどわかっている。

 でも、これだけは言いたい。


「貴方がいたから、照太くんは今ここにいる。存在してはならないなんてことはないと思います」


「……」


 照真さんは驚いたように私の顔を見る。私も隣で身を乗り出し、京都の町を眺めた。


「私は……照太くんの気持ちを真の意味で理解してあげられない。当事者じゃない。でもそれは……悲しすぎるんです……悔しいんです。烏滸がましいし、いい加減にしろって、話なんですけど……それでも、照真さんの気持ちは痛いほどわかるから。無力だって……辛いんだって……」


 ぼんやりと灯る明かりが滲む。溢れた涙が頬を伝って流れ出す。

 悲しくて、悲しくて、悔しかった。見ていることしかできないこと。助けたくても助けれらないこと。私がもし、その場に居たら、照真さんと同じことをしたかもしれない。

 命を、奪う選択をしたかもしれないと思った。


「ごめんなさい……」


 私は涙を手の甲で何度も拭って、泣き止もうとしたけど、溢れる涙は止まってくれなかった。


「……ありがとう」


 照真さんはそんな私に優しく微笑むと、彼もちょっぴり涙を流した。


「照太が惚れるわけだ」

「……えっ、何か言いましたか?」

「何でもないよ」


 ――――――夕日が沈む。

 どれくらいの時間こうしていたのかはわからないが、私たちは黙って夕日が完全に沈むのを見ていた。

 ようやく落ち着いてきた私は、夜の気配に目を細めた。


「なあ。俺はもうすぐ消える。だから一つ、頼み事を聞いてくれないか」


 照真さんは不意にそう切り出す。


「照太を守ってやってくれ。物理的に、ではなく、精神的に」


 照真さんはどこからともなく取り出してきたチューイングガムを一つ、私に手渡した。

 それはこの間、つくしくんとスーパーで買ったものだった。


「俺の願うものは、照太の幸せ。でも、俺がいれば照太は一生弔葬師だ。それは、俺の望むことではない。だから、やっぱり俺が存在するより、あんたのような人が傍にいる方が良い」


 守る――――――。

 私は今日一日、照太くんと過ごしたことを思い出す。

 みんなの役に立ちたいと、そう思って行動しようとする照太くんの姿は、本当に守られるだけの存在と言えるのだろうか。


 ――――――愛生あおいさんはオレが守ります。


 過去を聞いて、彼が抱えているとっても大きな悲しみや絶望を知った。それでも今、照太くんは前を向いている。自分の意志で今を生きようとしている。植え付けられたものではない彼自身の意志で、誰かを守りたいと、そう思っている。

 その証拠に、怖くても必死に私を守ろうとしてくれた小さな背中を思い出し、私は首を横に振った。


「いえ。照太くんは強いです。私は照太くんに守られる側だから」


 クスっと笑った私を見て、照真さんも笑った。


「……そうだったな」


 そう言うと、照真さんは長椅子に戻って賦殱御魂ふつみたまを持った。


「時間だ。俺は照太の中に戻る。もう二度と会わないことを願うが、正直あんたと話せてよかった。後は頼んだぜ」

「はい。任せてください」


 満足気に笑うと目をつむり、賦殱御魂ふつみたまから黒い光が漏れる――――――。

 照真さんはぐったりと項垂れた。そして目を開けた時には、黄金の瞳の照太くんが戻って来た。


「あれ……オレ……」


 私は照太くんの元へ走ると――――――ぎゅっと抱きしめた。また涙が出そうになったけど、それは悟られないようにぐっと我慢する。


「あ、愛生さん……!? えっ……!」


 照太くんの顔は真っ赤になり、目がふよふよと泳いでいた。


「ありがとう。私を守ってくれて・・・・・・


 照太くんはそれを聞いて、ピタリと動きが止まった。

 私が照太くんから離れると、照太くんは鼻をすすって泣いていた。


「あれ……なんで、オレ……泣くの?」


 私は照太くんの頭に手を置く。


「照太くんは私を守ってくれた。私のヒーローだよ」


 それを聞いた照太くんはごしごしと目をこすり、涙で真っ赤になった目でニカッと笑う。


 その太陽のような笑みを、私はずっと見ていたいと思った。



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弔葬師《アンジェラス》の正義 くろ飛行機 @kurohikouki

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