7 漆黒の翼
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反応のあった地点は、商店街から南へしばらく進んだところにある小さな公園だった。住宅地の中にひっそりと存在している公園には人気がなく、錆付いた遊具や生い茂る雑草と相まってどこか不気味な印象を受ける。
私たちは少し離れた物陰に身を顰め、周囲の様子を観察する。
「ここだね……」
「はい。周囲の様子を簡易スキャンしてみます」
照太くんは
「何も妙な点はないなぁ……」
「うん。でも確かに反応はここなんだよね……」
マップに表示されたオレンジ色の反応――――――それによるとここに
「公園に突入するしかないかな」
「うん。もう少し、近づいてみましょう」
私たちは公園の方角に足を進める。すると、木の陰に隠れて見えなかったベンチに誰かが座っているのが見えた。
「えっ……」
「嘘……!!」
私は後先考えずに、ベンチに向かって走る。
「大丈夫ですか!?」
私がベンチの傍に駆け寄った瞬間――――――。
「きゃあ!」
突如女の人が消え、代わりにフルフェイスヘルメットを被った人が現れ、私を軽く蹴り飛ばした。
私は地面に尻餅をつき、痛みで顔を顰める。
「
何が起こったのかわからない私の前で、ヘルメットを被った謎の人物が低く笑った。ヘルメットが全く似つかわしくない白色のジャケット姿で、中に黒のペイズリー柄が入ったベストを着ている。ネクタイは奇怪な文様がびっしりと入っている黒ベースのもので、よく見ると曼荼羅のような柄だった。
「失礼。避けられると思っていたので少しきつく蹴ってしまった」
男の低い声は存在感があり、私の認識に不気味さが刻まれる。照太くんは倒れている私の前に立ち、両手を広げて私を庇う。
「若い女性と、少年一人……」
謎の男はヘルメットを脱ぎ捨てると、その
細身で端正な顔立ちだ。美しい紫色の瞳が綺麗に輝いており、私が思った以上に美しい顔だった。頭の形がとても綺麗で、5mmくらいの短い毛の坊主頭をしている。
声色や得体のしれない存在感から放たれるプレッシャーを除けば、どこか安心すら覚えてしまう。
「うーん。やりにくいなぁ。無謀にも得体のしれない公園に飛び込んでくる勇気は認めるけどね」
男の人はベンチに深く腰掛け、腕を組んで私たちを見据える。美しい瞳だったが、目が合えば背筋が凍るような気がして、緊張感が増していく。首に刃物を突き付けられているようだ。この人はきっと、一瞬で私たちを殺すことだってできるのだろう。
「正義感があって、自ら行動できるお二人さんはとても偉い。それに、明らかな危険人物である僕を前にしても、決して驕ることなく身をわきまえている」
「あなた……何者なの?」
「そうだね。
私と照太くんは、男の言う通り
『
「
「あらら。僕は危険じゃないんだってさ、君らの神は」
男は残念そうに首を竦める。
「僕の名前は
「オレたちの名前を知ってる……」
照太くんは
「一応僕、元準一級想術師なんだけどなぁ。色々やりすぎちゃって出禁になっちゃったみたい」
「想術師、なんですか?」
「うん。元、ね。〈法政局〉と〈傀朧管理局〉にいたよ。もう随分前になるけど」
堂真という男はペラペラと自己開示をするが、私はその様子にも違和感を覚える。
想術師には階級があって、一般的には〈三級〉〈二級〉〈準一級〉〈一級〉の順で強さが決まっている。その中でも一級想術師は別格で、あらゆる想術に精通し、第一線で想術師協会を支える重要な存在だと聞いている。そして準一級想術師は、一つの分野に特化したスペシャリストであることが多いと聞く。
そんな経歴の持ち主なら、
「おっと、時間だ」
堂真は左腕にしていたシルバーの腕時計を一瞥し、にっこりと笑う。
「本当はもう少しお二人さんとお話がしたいんだけど、そろそろ集まって来るころなんだ」
堂真は私たちに、公園の外を見るように指を指す。見ると公園の周りがいつの間にか閉ざされ、黒い結界に覆われていた。光は燦燦と入って来るが、周囲の空間が黒く閉ざされている。
「ほら見て、お二人さん。わかるかい?」
堂真が放つ低くゆったりとした言葉が、私の耳に木霊する。その声の中に、有象無象のうめき声があることに気づき、思わず口元を抑える。
「ほうら。君たちの死が、もうそこまで迫ってきている」
すると――――――黒い空間から人の形をした者がぞろぞろと現れる。
体つきが良く、皆若い男の人で、タンクトップや薄手の白いシャツにボロボロのズボンを着ていた。その首元には銀色の首輪が付けられ、目は赤黒く充血し、死んだ魚のようにくすんでいる。青白い肌のところどころに裂傷があり、肉体は半分腐っているようだった。
皆呻き声を上げながらぞろぞろと近づいてくる。まるでゾンビのようだ。
「あっ!」
その様子を注視しすぎた結果、堂真が私の傍に寄っていることに気づかなかった。鮮やかな手つきで私の手から
「
「
堂真が言った、〈復楽の花園〉という言葉に、照太くんは青ざめる。
「おっと、失言してしまったかな」
堂真は不敵に笑い、
私の心は、じわりじわりと襲い来る焦燥に駆られていた。
「……四件の
「ちょっと違うかな。
次々と現れるゾンビのような男たちが私たちに迫ってくる――――――。
「……
「大丈夫だよ。照太くんは前に出ないでね」
不安げな照太くんを庇うように立つが、全方向から男たちが迫ってくるため、どうすることもできない。じりじりと追い詰められていく。
「こいつらね。なんかよくわからないんだけどさ、成れの果て、らしいよ」
「成れの果て?」
堂真は男たちに向かって歩き始める。光る革靴をこつこつと響かせ、男たちの中に入っていく。男たちは彼をなかったもののように無視し、ひたすらに私たちに迫る。
「ぐァ……」
「ニグ……」
「オンナ……ァ」
私は恐怖で全身が硬直する。私の視界にこびりつく彼らは本物のゾンビにしか見えない。全身の裂傷から血が流れており、開いた口から覗く歯は鋭く、狂気的な笑みを顔に貼り付けている。そんな尋常ではない様子の男たちにとうとう取り囲まれた。
「こ、この……!」
照太くんは近くに落ちていた太い木の棒を持ち、男たちの前に立ちふさがると、先頭の男の頭を殴りつける。
ゴン、という鈍い音が響くが、男は一切動じない。
「アアアアアニクゥゥゥゥ」
男は、照太くんの顔面を殴りつける。照太くんは背後に飛ばされ、そのまま男に圧し掛かられた。
「や、やめて!!!」
私は無我夢中で男の顔を平手打ちで叩いたが、一切動じないどころか、男の凄まじい力に跳ね飛ばされる。
照太くんは次々とやってくる男たちの手にかかり、肩に噛みつかれる。大量の血が吹き出し、男たちを真っ赤に染める。
何度も、何度もひっかかれ、噛みつかれ、照太くんの全身が男たちによってぐちゃぐちゃにされていく。
「やめて……やめてよ!!」
手を伸ばす――――――しかし、私の視界はさらに集まって来た男たちに阻まれる。私も為すすべなく襲い掛かられ、必死に抵抗するが身動きが取れない。
「……こういうの見るのは、趣味じゃないんだけど」
そんな様子を遠くから見ていた堂真はため息を吐き、肩をすくめる。
「助かりたいなら、縋るしかないんじゃない?
――――――もうだめだ。男たちの口が大きく開き、私の首筋に迫る。
恐怖と絶望が思考を停止させ、意識を支配する。
「ごめん……ね」
私の視界に映る、血だらけの照太くんの姿――――――こぼした言葉は、照太くんへの謝罪だった。
私の責任だ。私が不用意に公園に入りさえしなければ。
懺悔と、後悔に押しつぶされそうになる。
もし許されるのなら。もし一つだけ願いが叶うのなら、照太くんだけは――――――。
照太くんだけは、傷つけないで――――――。
『
その時、私の耳にはっきりと聞こえたのは、
『承認―――
「ガアアア……」
光が――――――照太くんのポケットから漏れ出る。
その瞬間、照太くんは群がる男たちを吹き飛ばし、一人の顔をつかみ、凄まじい力で後頭部を地面に叩きつける。
顔は弾け飛び、胴体だけになってもまだ身体が動いている―――男の頭が打ちつけられた箇所には、巨大なクレーターができていた。
ゆっくりとひしゃげた頭から手を放した照太くんは、服を裂かれ、食いちぎられて血塗れになった身体で仁王立ちすると、前髪をかき上げ、コキコキと首を鳴らす。
「……おい。木偶の坊」
私を拘束していた男たちは一斉に照太くんの方へ視線を向ける。
「畜生風情が……どう落とし前つけるつもりだ?」
凍り付くような殺気が満ち――――――次の瞬間、照太くんを拘束していた男たちは全員、人間離れした速度で殴られ、顔面が吹き飛ぶ。首がなくなった男たちの体から、大量の血が噴水のように周囲にまき散らされる。
全身返り血まみれの照太くんは、こちらを鋭く睨み、拳を振り上げた。
照太くんは痙攣する男の腹を勢いよく踏みつけると、その体が衝撃で弾け飛ぶ。
――――――私は強い吐き気を何とか抑え、目を背ける。
「照太……無力感と死への恐怖で、本当に怖い思いをしただろうな。でも……それでも必死に祈ってた。叫んでた。
照太くんの体で、照太くんではない何かが話している――――――彼はゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。
先ほどとは全く逆の状況だった。狂った男たちはなぜか、一歩も動かなかった。いや、動けないのだろう。目の前の小さな少年から放たれる、尋常ではない気配に圧倒されているのだ。
「だから
照太くんの体から、墨のようなものがにじみ出て、傷が瞬く間に癒え、体を覆っていく。それはあまりにも密度の濃い
周囲の光が傀朧に吸収されて消え、世界が閉じ、私の視界には照太くんと男たち以外映らなくなる。
赤い瞳、つり上がる口角――――――そして現れる
それは
しかし盡くんの放つような温かい光ではなく、彼が纏うのは、この漆黒の世界そのもののような、冷たい
照太くんは墨の翼を振るい、墨汁のような羽を男たちに付着させる。すると私の傍で、男たちは突如頭を抱え、苦しみ始める。
「誰だって死ぬのは怖い。照太は迫る死を感じながらも、ずっと
照太くんは、手のひらの上に赤黒い
それを頭上にかざすと、ゆっくりと握りしめる――――――。
「想極、
漆黒だった世界に、赤黒い光が差し込み、照太くんの纏う傀朧が周囲の景色を変化させていく。地面から、苦痛に歪んだ顔でできた黒い柱が次々と天に向かって伸び、照太くんを中心に社のような建物が形成される。男たちの目の前に、社へと続く階段が出現すると、社の扉が開き、大量の亡者たちの腕が男たちを社に引きずり込んでいく。
引きずり込まれた男たちは、闇の中で阿鼻叫喚の叫びをあげ、それが私の意識にこびりついた。
「俺の弟を傷つけた罪、その身をもって体感しろ。恐怖しろ。そして地獄の底で永遠に懺悔し続けな」
男たちの呻きは、やがて吸い込まれるように小さくなり、ぷつん、と何かが切れる音がして一本の柱が再び天に向かってそびえ立った。それは、鮮血に塗れ、苦痛に歪んだ男たちの顔だった。
照太くんは、私のすぐ横で翼を広げる。すると、黒が消え、光が空から差し込んでくる――――――。
晴れやかな日光に照らされた私の心は、心地よさで満たされている。
わからない――――――私の頭はおかしくなってしまったのか。
悪魔のような照太くんではない誰かは、私の方へ振り返る。その姿を見ただけで背筋が凍る。
わからない――――――何もかも。ただ、照太くんの姿をした誰かは、私を申し訳なさそうに見つめていた。
ああ。そうか。私、守られたんだ――――――。
この心地よさの原因が、安心であると理解した時、私の心が限界を迎え、意識が真っ黒に暗転した。
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