第3話

あらためて先ほど、全員が署名した紙が回された。隠されていた上半分には[私達は山村接骨院グループで働きます。決められたルールに則り誠心誠意、身を粉にして働きます。ルールを破ることは決していたしません。万が一ルール違反、早期退職して院に迷惑をかけた場合は損害賠償金をお支払いします。]そんな内容のことが小難しく書かれていた。

さすがにこれはおかしなことになっている、何か良くない事態が進んでいることに大河もみんなも気づいたが山村院長の説明は続いていく。

労働条件についての説明で告げられた、月曜から土曜まで朝7時から夜11時の勤務体系に、これは長過ぎると手を挙げて右3列目が疑問を口にした瞬間、エンジンが唸りを上げてバスが急加速した。スピードメーターは大河の席から見えないがエンジンの音と肌で感じる速度感に不安と恐怖がつのる。ドライバーの憤怒の表情がバックミラー越しに見えてしまった右3列は反射的に手を下げてしまった。

「確かに長いが周りの人間の倍の速さで成長するためにはお前らなら他の人の3倍以上働かなきゃな。大丈夫、ちゃんと休みもあるし無理なことはさせないよ。」

山村院長の説明は笑顔でつづく。


どうやらこれから大河たちは3人、3人、4人のグループに分かれて下車し、勤務地近くの施設で住込みで働くことになるようだ。

食事も寝るところも用意されている環境で存分に自分を高めることに専念できるらしい。

そして給与は職責と仕事内容に応じた出来高制ということだったが、山村院長の説明通りに計算すると大河たち新人はおそらく月10万円ももらえないはずだ。

これは何か計算が間違っているんじゃない?と左5列が通路を挟んだとなりにようやく聞こえるかくらいの声で発言した途端。話すのをやめて詰め寄る山村院長。

左5列の隣まできて止まり、ゆっくりと通路にしゃがんでお互いの肩がぶつかるぐらい近づいた。みんなの視線が2人に集まる中、突然のことに固まって正面の座席の背を見続ける左5列。頬に伝った冷や汗を舐めとるみたいに山村院長は顔を近づけて、

「俺の説明に何かおかしなところでもあったか」

さっき左5列がつぶやいた声と同じ大きさで語りかけた。しんと車内から音が消える。

「いいえ。何もありません。」絞り出すように声を出した左5列の唇が恐怖でワナワナと震えている。

途端、山村院長は笑顔になり肘でこづいた。

「なんだよー!これからいっしょにがんばるんだー、わからないことがあったら遠慮しないでどんどん聞けよ?」

山村院長は軽快に立ち上がりまた元の位置に戻って、その後もグループ院が県下1番の数があり、医師からも一目置かれているんだ、1人ではじめた接骨院から会社にするのはどんなに大変だったかを話していたが、それよりも大河の頭の中は、名前を書いてはいけなかったという後悔でいっぱいだった。

しかし名前は書きませんと拒否できたか?急加速を繰り返し暴走するバスの中で隣に座ってこちらを睨む山村院長に自分ならきっぱりNOと言えただろうか、きっと言えないだろうが言わなきゃいけなかったんじゃないか。何度も何度も 繰り返し繰り返して考えているうちに家を出るときに見送ってくれた父と母の姿が浮かんできた。


山村院長の説明が終わり、外の景色が薄暗くなりはじめ、何も食べる気にはならないのに空腹感を感じてきた頃にバスはサービスエリアで停車した。

全員で降りて食堂へ向かう。

「本当は着いてからご馳走してやる予定だったんだけどな。俺も空いてきたし、好きなものを頼め。」

券売機の隣に立った山村院長がポケットから財布を取り出す。

「今日はお祝いだからな。遠慮するな。」

そう言って機械に紙幣を入れようと山村院長が開いた長財布は1万円札がみっちりと入っているのに気づき大河の視線は思わず財布の中身にいってしまった。

「スケベな奴め。」

そう言って山村院長は講師の時はみせなかった表情でいやらしく笑った。

「お前らの言いたいことはわかるぞ。思っていたよりも大変そうだって考えてるんだろ。だけどな、ちゃんとした実力が俺のところで身についたらこのぐらいの金なんてすぐ稼げるんだ。」

財布の中身をわざとみんなに見えるように広げた。

「普通に稼ぎたいなら普通のところにいけばいい。でもな、お前らも金が欲しいだろ?そんで稼げるくらいの腕も欲しいんだろ?だったら普通にやってちゃ無理なんだよ。」

券売機に紙幣を入れながら山村院長は顎でボタンを促した。

「今さらだけどはっきり言っておくぞ。お前らは他の合格した連中よりも劣ってる。優秀な奴らは試験に合格するのが当たり前と思って次の準備も抜かりなく進めていた。そこでもう差が生まれているんだ。でもな、ここからなんだ。もっと離されるか。追いつくか。追い越すか。」

口をへの字に曲げて大河を真っ直ぐ見つめた後に順に顔を覗き込むと出てきたお釣りを取らず、最後に並んでいたドライバーに俺のカツカレーも買っておけと告げて席へ向かってしまった。



こうして食事を済ませ、バスに再び乗り込み、また走り出す。お腹が満たされたからか食べる前よりもバスのなかの空気が張り詰めていない。

それでも雑談をするような雰囲気ではないので、大河は目を閉じて少し休むことにした。昨日と今日の出来事が実は夢であってほしい気もするが、じゃあ本当に夢だったら起きたあとはどこに行けばいいんだろう。

不当な状況ではあるが就職が決まったことには変わりない。でも冷静に考えられない危険な車内で詳細を伝えずに決まった雇用なんて無効に決まっている。

でも無効にしたところで他に行く当てがあるわけでもない。就職が決まらないままの状況はかわらない。だったらとりあえず山村先生のところで働いて技術が身についたらもっといいところに転職しよう。なんだったら開業したっていいな。開業したら俺も山村先生ぐらい稼げるようになるんだろうか。さっきの財布凄かったな。でもあんな手段をとって新入りを集めるひとのお金は何かに違反しているものじゃないだろうな。やはり今からでも辞めるべきか-。

そんなことを繰り返し考えているうちにだんだんと眠くなり大河は窓ガラスで頭を支えて寝てしまった。


こうして大河含めた10人は明日から山村接骨院で働くことになった。

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接骨院ブラック物語 たかはちろう @taka8low

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