ペンギン・カクテル

やすき

ペンギン・カクテル

 初めて入るバーだった。

 他のお客さんは誰もいない。カウンター席に座ると、初老のマスターが黙ってメニューを差し出した。豪奢な表紙を開くと、カクテルの名前がずらっと並んでいる。上から見ていき、見慣れない名前を見つけた。

「ペンギン・カクテル」

 ベースはウォッカの項目にある。とても気になる。

「ペンギンカクテルというのをひとつ」

 マスターに告げる。「かしこまりました」と会釈をすると、マスターはさっそく作り始めた。次々とを瓶から計った液体をシェイカーに入れていく。手慣れた様子が頼もしい。

 シェイカーのトップを締める。珍しいことにトップはガラス製だ。

 ガラスのトップに右手の親指を添え、シェイカーを持ち上げると、左手の中指と薬指が底を支える。基本に忠実なベテランは安心感がある。

 勢い良くシェイクが始まる。氷がガラスのトップに当たる音が小気味よい。

 カッカラン、カッカラン、カッカラン。

 シェイクが終わり、グラスを取り出す。妙に大きなグラスだ。ビールジョッキのように見えるが、取っ手はなく厚さはないガラスだ。いやむしろ小さな金魚鉢と言ってもいいくらいだ。

 トップが外され、シェイカーが傾く。できあがったペンギンカクテルというものが見える。

 色は白。グラスの3分の1ほどまでカクテルが注がれる。

 それを恭しくマスターはぼくの前に置いた。グラスの形は違うものの、見た目はソルティドックに近い気がする。

 なぜこんなにグラスが大きいのだろう。ロングカクテルのタンブラーでもよいと思われる量だ。前に置かれたグラスを覗き込む。

 目がある。目が合った。

 ペンギン!?

 カクテルの中に身長2センチほどの小さなペンギンが、水面から顔を出し、ぼくを見返している。かわいい。

 いや、かわいいとか思っている場合ではない。

 慌ててマスターを探す。背を向けて棚の整理をしている。声をかけようにも、何と言っていいか。

 もう一度、グラスを覗き込む。まだいた。ペンギンは、カクテルの海に潜ったり浮かんだり。こいつは幻ではないのか。

 指で突いてみる。狭いグラスの中で逃げる。嫌がっているようだ。

「マスター……。これ飲んでいいですかね」

「もちろんですよ。カクテルは眺めて楽しみ、飲んで楽しむものです」

 泳いで遊んでいるペンギン。眺めているのも確かに楽しい。しばらく観察してみるのもいいだろう。

 ペンギンは小さいが、形はエンペラーペンギンに似ているようだ。現存する地球上で最大のペンギン。普通なら、大人の腰ほどまでの身長がある。

 そいつは、時々ぼくに視線を寄越しながら、泳いだり潜ったり。

 そうして観察しているうちに、ふと気づいた。カクテルが減っている。

 こいつ、飲んでいるのか。

 そうこう思っているうちに、ペンギンが泳いでいる液体がみるみる減っていく。こころなしか、顔の白い部分がピンクに染まってきたように感じる。

 ペンギンも酔うんだな。へんなところに感心していると、グラスの底に最後に残ったカクテルをクチバシを使って器用に飲み干してしまった。そしてグラスの底に大の字に横たわる。寝てしまったようだ。その仕草がかわいくてぼくは微笑む。幸せな気分になった。

 ぼくはマスターにお金を払うと、出口で席を振り返りグラスを見る。そこにペンギンはもう見えない。

 結局ぼくは、ペンギンカクテルの味はわからないままだった。

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ペンギン・カクテル やすき @yasuki3

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