どうにも光が強すぎる

多賀 夢(元・みきてぃ)

どうにも光が強すぎる

 価値のない人生を送ってきた。

 雇われて、同じ作業を繰り返すだけで、生産性も創造性も見いだせない日々だった。他人からは良い企業に入っただの収入が高いだのと羨ましがられたが、それを実感できるような時間は皆無だった。

 しゃかりきに残業に励み、休日もほとんど返上。そんな毎日が苦でないほどに、自分というものがないこの精神。僕の人生は、ずっと暗闇の中を流されていた。自分の意思で何かを決めるなんて事は、本当の意味でなかったと思う。

 このうどん屋を継いだのだって、その時はただの成り行きだった。



「ヤス兄さん、こんにちわー」

 讃岐なまりで挨拶が聞こえる。このところ常連になった、同市内の若い子だ。……三十路の青年に、若い子と言っては失礼か。名前は知らないが、彼が名乗っているハンドルネームなら知っている。『サヌくん』という名前で、SNSにうちをよく投稿してくれるのだ。

「おー、いらっしゃい! ん、どした?」

 そのサヌくんが、いつもと違って何かを言い淀んでいた。どうしたのかと促したら、向こうが決意したように顔を上げた。

「今日はお忙しいですか」

「いや、ちょうどお客が途切れたとこよ」

「じゃあ、少しお時間ください」

「うん。何?」

 サヌくんは、メッセンジャーバッグから何やら書類を出した。それを勢いよく頭を下げながら、僕の方に突き出した。

「この店で、僕のバンドのMV撮らせてください! これ企画書です!」

「――は? え?」

 僕は少し戸惑ったが、とりあえず書類を見てみることにした。とてもよくできている。実現したら、なかなかに面白いだろう。

 ただ日程は、この店の営業日である。

「ちょっと、考えさせてもらっていい?」

「ああ、やっぱダメですか」

 落胆仕掛けたサヌくんに、僕は不敵な笑みを作って見せた。

「僕も便乗していい?こういうの得意なヤツ、周りにようけおるんよ」



 その日の夜、僕は早速その『得意なヤツ』達を召集した。

 仲のいいうどん屋の経営者や、他業種の知人達である。

「へー、サヌくんって面白いこと考えてたんやねえ」

 企画書を見て微笑んだのは、隣町のうどん屋の女将チエさんだ。前職はCAだそうで、県下でも噂になるレベルの美人である。

「で、どうするん。受けてあげるん」

 こう尋ねるのが、遠方の市で名店と名高いうどん屋の店主フジさんだ。僕とは年齢も近く、うどんについても経営についても、いろいろと議論する仲だ。

「受けてもいいけど、これじゃ規模が小さくない? 営業終わってから調べたんやけど、サヌくんって県内のバンドでは相当のモンらしいんよ。ただうどん屋で歌うだけじゃ、話題にもならんしつまらんことない?」

「ヤス君とこの営業日潰しとるしなあ」

 フジさんがこちらを見てニヤリとしたので、僕も同じ顔でうなずいた。

「そーなんよ。ギャラがね?発生しないからね?」

 ひとしきり笑いが起きたところで、僕は軽く咳ばらいをした。

「それは冗談として。このMV撮影を軸にして、イベントができないかと考えとるんよ。儲けはこの際いらんとしても、この機に乗じて僕も何かやりたいと思うし、彼らに渡す営業日を、他の人にも有意義な一日にしたいと思うんよね」

 すると、次々と手が挙がり始めた。

「何かバザー的な物でもしましょうか」

「ワークショップもいいかも」

「利きうどん大会とか、面白くない?」

「他のバンドも呼んでライブするとか」

 わくわくするような意見が次々と出てくる。どれも魅力的で素晴らしい。

 そこで静かに、チエさんが「はい」と手を挙げた。

「はい、姐さんどうぞ!」

「姐さんて」

 困ったように笑って、チエさんはゆっくり周囲を見渡した。

「ウチラだけで決めてもいかんのちゃうかな。サヌくんも、バンドのメンバーも呼んで、みんなで形にしましょうよ」

 納得という感じで全員が頷いた。何かが動いた手ごたえに、僕は心の中で歓喜していた。

 かつて感じていた暗闇は、今の僕から消えていた。



 それから一か月。『臨時休業』の看板が出た僕の店に、大量のお客さんが来ていた。イベントが決行されたのだ。

「急ぎ過ぎたなぁ」

 ワークショップや物販に集まる人々を眺め、僕はぼそりと呟いた。人が来すぎて駐車場が足りないし、道路にたむろする人もいてご近所の目が気になる。まったく、後悔先に立たずだ。

「まあ、ええんちゃう? これでまたノウハウがいくつか出来たことやし」

 フジさんは僕の隣でうどんをゆでつつ、飄々と言ってのけた。今日はお客さんに、『フジとヤスのコラボうどん』を提供している。出汁はうちので、うどんはフジさん。フジさんは、うちの窯で自分のうどんを茹でてみたかったそうだ。

「けど、まあ不思議なもんやね。こうやって協力体制が続いてるってのも」

 フジさんがしみじみと言った。

 きっかけは僕だった。亡父の跡を継いだはいいものの、何年も気力がわかなかった。そこそこ有名店だったはずの店は徐々に傾き、その間に母も死に、僕は孤立を深めた。

 フジさんは店に敵情視察に来た際、あまりに生気のない僕に声をかけてくれた。更に「君は心を殺して生きすぎだ」と、いろんな場所に引っ張り出してくれたのだ。

 色々な場所に遊びに行ったのはもちろん、材料の勉強会だったり、県産品の研究も行った。そこに他店の関係者が次々と加わって、名前のない一集団がいつの間にか出来上がったのだ。それが今回のイベントに関わってくれたみんなだ。


 最初、フジさんは言った。君は、昔の自分に似すぎていると。辛い昔を思い出さなくなるまで、君に協力すると。

「僕は、まだフジさんの昔に似てますか」

 ねぎを刻みながら訪ねると、フジさんは軽く首を振った。

「いいや。今はみんなを引っ張って、なんや眩しいくらいや」

「じゃあ、そろそろライバルとして戦わないかんですね」

 僕の言葉に、フジさんは窯を混ぜる手を止めずに言った。

「ライバル同士が、一緒に遊んだり勉強したりしとるだけよ。片方が沈んだら、片方が引きずり上げるようにな」

 フジさんはうどんを一本手に取り、固さを確認してうなずいた。

「俺も救われたんやで。俺はヤス君そっくりやった、ヤス君が明るくなることで、今の自分でいいって自信持てた。――ありがとな」

 僕は妙に泣きたくなった。フジさんの過去を、僕は少しだけ知っている。開業直後は周りから新参者と野次られたこと、新しい取り組みが異端だと妨害を受けたこと、弟子が店を裏切り大手に味を売ったこと。

 そんなことがあっては、それこそ戦って勝つしか普通は思い浮かばない。だけどこの人は、周囲を助けてしまうのだ。こんな僕を、有益な場所へ連れまわしたように。

 眩しいのはあなただと言いたかった。だけど言ったら、きっと泣けてしまう。

「そろそろMVの撮影時間なんで、これ出したら行きます」

 僕は、刻んだねぎを持って店頭に向かった。顔なじみのお客さんたちが、僕を笑顔で迎えてくれる。

 この光景も、フジさんと出会わなければなかった。きっと今も、誰の顔も分からないほど闇に包まれていたはずだ。


 嗚呼、どこもかしこも眩しすぎる。

 僕の涙腺が刺激されて、目が開けられなくなるほどに。

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