15話 エピローグ
夏休みが明け、今日は登校初日。
わたしは一人、教室の真ん中より少し後ろの自分の席に座っていた。わたし以外の人たちは、夏休みは何をしたとか、日に焼けたねとか、楽しそうに談笑している。
夏休み前、不登校だったわたしは、当然、みんなの中にいない。
「……あれ? 珠海?」
教室の後ろのドアから入ってきた桜子がわたしに気がつき、声をかけた。
「珠海だー! 会いたかったよー! ってか、焼けた? 元気少女って感じでめっちゃいいじゃん!」
桜子がわたしを後ろからぎゅっと抱きしめる。いつもの桜子だ。明るくて気さくで朗らかな桜子。
「久しぶり、だね。千葉の伯母さんのところに行ってて、しょっちゅう海に行ってたから、焼けちゃったのかな?」
「何それ、羨ましい! ウチなんて、三日間の家族旅行しかしてないよー! もう少しイベントとか行きたかったんだけどさぁ……。って、何笑ってんの?」
「あはは。ごめんごめん。なんか、桜子が変わってなくて安心した。……声かけてくれて、ありがとう」
「そんなん当たり前でしょ! 親友なんだから、ちょっとやそっとのことで、変わらないよ」
「……うん、ありがとう」
「なんか改めて言われると照れるなぁ。ま、珠海にウチのありがたみがわかったようで、なにより」
「うん、とっても。本当にいつもありがとう」
「も、もう! 改まってなんだよぉ。ほんと照れるんだけど! 調子狂うなぁ……」
桜子と顔を見合わせて、笑い合う。
わたしは、ずっと内側に入れないとばかり思っていた。いや、実際に入ることはできないのだろう。本当はみんな、内側になんて入っていないんじゃないだろうか。全員が各々線を持ち、人との間に線引きをする。近くに行くことや、線を細めたり、緩めたりすることはできても、他人の線の内側にまで入ることはできない。内側に入っているように見えて、実際は適度な距離を保ち、接しているのだろう。あの子も、この子も、桜子も、わたしも、だれも、他人の内側にいない。みんなが誰かの外側で、みんなが自分の内側なのだ。
大切なのは、他人の線に近づく勇気を持つことなのだと、なんとなく、思う。
「あ……。結美……」
低い声で桜子が呟く。前扉を見ると真っ白な素肌の結美ちゃんが、教室の中に足を踏み込んでいるところだった。
「あ、結美ちゃん、おはよう!」
わたしは立ち上がり、結美ちゃんに駆け寄る。
「ちょっと! 珠海!」
桜子の鋭い視線を感じる。きっと、空気の読めないわたしを睨みつけているのだろう。その視線が痛い。桜子から発せられる線が太くなる。
怖い。胸がどくどくと波打つ。足がガクガクと震える。
だけど、わたしは、心に蓋をしたくない。線に怯えて、うずくまりたくない。わたしは結美ちゃんが好きだ。結美ちゃんの頑張りを尊重したい。「すごいね」、「頑張ってるね」って伝えたい。少しだけ、自分の心に素直になってみよう。
わたしは振り返った。
「ごめんね、桜子。わたし、桜子のこと本当に大好きだけどさ、結美ちゃんのことは無視できない。結美ちゃんが受験、頑張ってるの知ってるからさ、付き合い悪いとかで無視したくないんだ」
笑顔で言い切る。桜子が目を大きく見開き、瞬きをした。目の前の線が太くなる。
目の前の線は消えてなくならない。だけど、近づく努力をしてみたい。
線に惑わされたくない。自分の口で感謝を伝えたい。自分の耳でみんなの本当の声を聞きたい。自分の鼻でみんなの匂いを知りたい。自分の目でみんなの思いを見たい。一歩踏み出す勇気を大切にしたい。
真っ白な素肌の結美ちゃんと目が合った。
「おはよう」
もう一度、笑顔でつぶやく。結美ちゃんは、一瞬、驚いたような顔をして、そして、照れたように笑った。人が行き来する教室の中で、結美ちゃんの線がふわりと緩んだ。
桜子に背を向け、わたしは歩き出す。
教室の窓から差し込む日差しが眩しかった。
海にとける星 佐倉 るる @rurusakura
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