第10話
「セレネ!」
その名を呼ぶと同時に、流星の如く一矢が『アイス・ゴーレム:Lv28』の胴体を貫いた。氷の巨人は中枢であるコアへの攻撃がクリティカルとなり、氷の砕ける音と共に姿を消した。
振り返れば、もはや見慣れたアバターが弓をゆっくりと閉まっている所だった。
獅童妹がこの世界に訪れてから半月ほど。こちらが教えるまでもなく、姉と遊びたいという一心で、セレネは異様とも言える速度で成長を続けていた。
「もうそろそろ、こっちの世界にも慣れてきたんじゃないか? この調子ならもう数日で上級職に――」
「おねえちゃんが帰ってきた! じゃあね、アスラ!」
嵐の如くそれだけを言い残し、霧散する銀色のアバター。
獅童姉は、どうやらモデルとしての仕事が忙しいらしく、なかなか時間が取れないとチャットでぼやいていた。つい最近も、サン・エントランスに獅童玲奈を使った新しい広告が出ていたはずだ。
現実を越える現実を、という謳い文句のサービスだったはずだが、肝心の内容はうろ覚えだ。現実に近い五感を仮想世界に再現するだとか、現実の空間データをそのまま仮想世界に再現できるだとか、そんな内容だったはずだ。
現実から離れる為にこっちに来てる身からすれば、中々需要が分からないサービスではあるが。
やはりと言うべきか、獅童姉から忙しくてログインできそうにないという連絡が入り、無理するなとだけ返事を送っておく。
ここは楽しむための場所で、無理にログインを強要しては本末転倒も甚だしい。
「とはいえ、やることがないな……。」
ここ数日間はセレネと組んでいたが、それでもやはりレオネがいないと物足りないと感じてしまう。だがレオネがログインできないこと……獅童玲奈が忙しいことは、素直に喜ぶべきことなのだろう。
複雑な気持ちを押し殺し、久しぶりにメメントモリへ向かう為、サン・エントランスへと足を向けるのだった。
◆
「ちょっと、いいか? そこの剣を背負ったひと」
そんな声に、ふと視線を向ける。
マーズ・エントランスからサン・エントランスに戻ってくるアバターの半分は、ファンタジックな格好をしているからだ。
だからこそ声を掛けられたのが自分だと確証が持てなかったが、視線を向けた先にいたアバターと視線がかち合った。
外見は、精悍な顔つきに金色に近い茶髪。灰色の瞳が特徴の青年だ。頭上の名前はアッシュとある。
見た限り、新しく『ソーラー・システム』に来たユーザーに見える。アバターの衣装や装飾品も初期のものだ。
やはり先達としてこの世界を楽しんでほしいという思いもあり、足を止める。
「はい、どうしました?」
「なんというか、こういうの初めてでさ。色々と分かんねーことが多いんだけど……。」
「あぁ、それならサン・エントランスにある『スターズ』へ行くと良いですよ。NPCが大まかな機能を教えてもらえますから。なにかプレイしたいタイトルがあるなら、そこまで案内しますけど」
「さ、サン・エントランス? NPC……。」
首を傾げる青年は、少しばかり瞠目する。
今現在、エウロパが広く普及しているためか、ゲームに触れたことがないという人口は少なくなっている。ゲームでなくとも、娯楽施設の多くにはNPCが配置されており、それらの用語すら知らないのは珍しいと言える。
とはいえ、それらを知らなければ全く楽しめないかと言えば、そうではない。
むしろ何も知らない方が、この仮想世界を楽しめるまである。
「俺でよければ少しばかり、
「そ、そうか? なんだかわりぃな、手間かけさせて。そういやぁ、名前は?」
「アスラです。相手の名前を表示する設定も、後から教えますよ」
「なにからなにまで助かるぜ。俺はアッシュ、よろしくな!」
そう言って差し出された手を握り返す。
しかしその瞬間、どこか驚いた様子のアッシュが、いやに記憶に残っていた。
◆
「いやー、ほんと助かったぜ。ありがとな」
巨大な駅にも似た建物――スターズから出てきたアッシュは、満面の笑みを浮かべていた。スターズは基本的に新しい機能が追加された時、その使い方や仕様を検索するための施設だ。
その中には、新しく仮想世界へと訪れた新規ユーザー向けのチュートリアルも含まれる。堅苦しい説明が多いが、正確な情報を手に入れるにはここが一番だ。
そしてどうやら、アッシュ自身も自分が求めていた情報が手に入った様子だった。
「いえ、初心者を手伝うのは当然ですよ。楽しさを知る前に辞めたら、勿体ないですから」
「アスラは
「だいたい三年ですね。といっても、俺はひとつのゲームにのめり込んでて、あまり他のサーバーのことは知らないんですけど」
そういうと、アッシュは腕を組んで視線を上に向けた。
これがアッシュというアバターではなく、その向こう側にいる人物の癖なのだろう。数秒間、たっぷりと悩んだ後にアッシュはそのタイトルを口にした。
「もしかして、グラン・ファンタジアか?」
「よくご存じですね」
正直にいれば、アッシュの口からその名前が出てきた事に驚いていた。
グラン・ファンタジアは人気コンテンツではあるものの覇権タイトルという訳ではない。どちらかと言えば長く愛されるコンテンツであり、こういった新人が入ってくることは多くはないのだ。
だからこそセレネの時は、周囲のプレイヤーが順番を譲ったりと、新人が入ってきやすいよう配慮していたのだ。
俺の驚きを察したのか、アッシュは経緯を説明し始める。
「親友が好きでさ、よく話を聞くんだよ。その影響でちょっとは俺も興味があるんだ。アスラがよけりゃ、そっちも教えてくんねえか?」
「もちろん。新規ユーザーが入ってくれれば、それだけ盛り上がりますから」
「ほんとか!? いい奴だな、アスラって」
最近も同じことをしたな、と思いつつアッシュをグラン・ファンタジアのあるジュピターサーバーへと案内する。
結局その日はアッシュの登録で時間がかかったためお開きとなってしまったが、俺のフレンド欄の数字が、ひとつ増えることとなった。
しかし、だ。
現実と仮想を切り離して考えようとする俺の無意識的な部分が、それを拒絶したのだろう。
だが今にして思えば不自然だと気付くべきだった。
アッシュというプレイヤーに。
仮想世界における同棲生活が現実世界に及ぼす『影響』について 夕影草 一葉 @goriragunsou
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