第9話
獅童の妹との邂逅を果たしてから数日。
所属する委員会の仕事を済ませるためにいつもより一足早く教室へ向かうと、にやけ顔の木戸と遭遇した。木戸は別クラスの知人と話し込んでいたのだが、俺を見つけるなり話を切り上げてきたのだ。
プリントを纏める俺の前、自分のイスに腰掛けた木戸はやはり口元に笑みを浮かべていた。
「それで、どうなったんだよ。例の件、なんか進展があったんじゃないのか?」
「どうなったって、なんのことだよ」
「とぼけんなよ。最近、以前にもまして頻繁にインしてるってのに」
面白いならなんでもいい。そんな刹那的な生き方をモットーとする木戸は、どうも俺が獅童となにかしらの深い仲になったものだと勘違いしているらしい。
相談したのは俺だし、助言を貰ったことも事実だが、あまりに自分の欲望に忠実な木戸を見てため息と苦笑が漏れる。
「レオネと、その妹と一緒にグラン・ファンタジアをプレイしてるだけだ。お前が想像してるようなことは何もないぞ」
「おいおい、さすがに二股はやめておけよ? それも姉妹なんて、いくらなんでも庇いきれねぇぞ? ……いや、それはそれで面白そうだな」
「お前、その性格だといずれ自分の身を滅ぼすぞ」
俺のありがたい忠告を軽く受け流し、木戸はイスごとこちらに向き直る。
「あのなぁ、別に俺の事はどうでもいいんだよ。お前達が仮想世界でおままごとをしてようが、いちゃついてようが、そっちも正直どうでもな。俺が聞いてんのはリアルのほうだ」
「その邪推もやめろ。別に俺は獅童をそういう目で見てるわけじゃない。純粋に、友達として接してるだけだ」
「ほんとうか? お前に恋愛感情がない……かは知らないが、それを微塵も見せようとしてないのは、傍からみててわかる。あまりにお前の『無関心』が露骨だからな」
作業の手を止め、ふと木戸に視線やる。
現実での変化が、なかったわけではない。そういう考えを持たなかったわけでもない。しかしそれを望むのは間違っている。
なぜなら、現実世界での姿が獅童玲奈だったと知った途端に態度を変えれば、接し方を変えてしまえば、それは三年間を共に過ごしてきたレオネへの裏切りに他ならないからだ。
「向こうだって、俺と同じことを考えてるはずだ」
「そりゃアスラとしての直感で、そしてお前の相棒はあくまでレオネだ。今のお前……明里として獅童玲奈のことはまだわかってないんじゃないのか?」
「それは……。」
もっと知りたい。
現実で初めて会話を交わしたあの日、獅童はそう言っていた。
俺達はまだ、恋愛だとか友愛だとか、そういうことを判断できるほどの関係がない。木戸の妄言に返す言葉を探しても、見当たらないのはそういうことだ。
獅童が現状の変化を望んでいるかどうかさえ、今の俺に判断することはできない。
「学校じゃあ噂になり始めてるぜ? あの獅童玲奈がぱっとしない男と仲良さげに出かけてた、ってな」
「いやそれは事実だろ。ぱっとしない男だ」
「お前はべつにいいんだろうな。問題は獅童のほうだ。あんな男でも近づけるなら、自分でもいけるんじゃないか、なんてふざけた考えの奴が出てきてる」
「それだって獅童の自由だ。誰を相手に選ぶかは――」
言葉を遮るように、指を弾く音が早朝の教室に響く。
見れば先程までのにやけ顔から一転、真面目腐った木戸が、こちらを覗き込むようにして、問いかけてくる。
「そこだ。そこだよ、明里。なんで誰を選ぶかは獅童の自由だ、なんて言っておきながら、自分がその選択肢の筆頭に入っていることに気付かないんだ? なぜ自分が選ばれることを、まるで考えようとしない?」
「だって俺達は、そういうのじゃない。俺とレオネは……。」
「あぁ、アスラとレオネは相棒だろうな。だが俺が話をしているのはお明里で、お前が実際に相対してるのは獅童玲奈だ。違うか?」
◆
退屈な授業中、校庭から聞こえてくる掛け声につられて、窓の外へと視線を向ける。
そこに広がるは春先の、目の痛くなるような蒼天。
眺めているだけで些細な問題などすぐに忘れてしまいそうな空の色だが、それでも獅童玲奈との間に抱える悩みは消えてはくれなかった。
そもそもこれは悩みと言えるのだろうか。俺が一方的になにかを勘違いしているだけじゃないのか。獅童は単純に、仮想世界で仲の良かった俺と現実でも友人になろうとしているだけで、俺が懸念しているような関係や考えなど、はなから持っていないのではないか。
だが、となると俺の対応はなにが正解なのだろうか。
仮想世界での関係を、現実で壊すのは避けたい。
だが、向こうでの関係に縛られて、現実の関係をも縛られることも避けたい。
どちらも獅童で、どちらもレオネだ。
これが信頼からくるものなのか。それとも親愛からくるものなのか。あるいは――
「もっと簡単に考えろ、か」
結局、その答えは出せないままだった。
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