本編

「ちょっと待ってよ!」


 スマホに向かって発した声が、つい大きくなった。たくさんの視線に気づき、あわてて身を縮めたものの、クエスチョンは反対に大きく膨らみ、揺れ続ける。

 私とミオリ。どうして会えない?

 だって――だって。ソフトクリームを買いたくなった私が、ミオリと離れたのは「ここ」なんだ。万博記念公園中央口を入ってすぐ、太陽の塔のおひざもと。私は10分かそこらを買い物に費やして、同じ「ここ」に戻ってきた。

 なのに「ここ」で別れたミオリはいなくて。変だと電話で話してみれば、ミオリは「ここ」から動いていないと言っていて。

 それが本当なら、私もミオリも、お互いを見つけられないわけがない。

 私はもう一度、念入りにあたりを確認してみた。人は確かにやってくる。でもそれは、少し寄せてはすぐ捌けていく小さな波。ミオリや私がまぎれちゃうほど来るかといったら、そうじゃない。


「ミオリ。もう一度聞くけど、動いてないんだよね?」

『さっきから言うとるやん。ユイこそ、ほんまにおるん? 太陽の塔見失って、謎の方角にてくてく歩いとったら笑うで』

「いくらなんでもそれはないっ。私だって、ちゃんとここにいるんだよ。ねえ、そっちから私は? 見えない?」


 あ、そうだ。思いついて、私はソフトクリームを持った手を天に差し伸べた。


「今、ソフトクリームで自由の女神やってみた! どう?」

『えっ、自由の女神の持ってるあれ、ソフトクリームだったん?』


 何、その精度が低いうえに不必要なボケは。ていうか大阪居住歴5年の他県出身者につっこみを期待しないでよ。


「いいから探してって。女神だよ、自由の女神」

『太陽の塔しかおらんで。あれは女神ちゃうねんな?』

「知らないよ。どっちだっていいし。ていうか女神を探せって言ってるんじゃなくて、探してほしいのはソフトクリームを掲げた私!」

『やー、見当たらへんなあ。そもそもソフトクリーム持っとる人が皆無やわ』


 私は自由の女神ポーズのまま、もう一度さっと回りをスキャンした。確かに、ソフトクリームを持った人はいない――私以外には。

 ふと、胸の中が小さくざわめく。一緒にひらめきが舞い降りた。


「……もしもし、ミオリ」


 私はソフトクリームをおろした。


「それじゃ、今さっき写真撮ってた女の子とママはわかる? 女の子はクリーム色のキャップにパッチワークの手作りっぽいリュック。ママは……」

『あー、おったな。シャッター音が変やったね、ソイヤッ、サッ!やて。あんなん初めて聞いたわ』


 そうだけど、そこはママの服装で答えてよ――と、本当なら言うところだが、話を進める。脱線させると面倒だ。


「ミオリ……なら、この人はわかる? グレーチェックのシャツに黒いパンツ。今、ひとつりで写真を撮って離れていった人」

『メタルブルーのスマホで写真撮ってた兄さんか? わかるもなにも、私、隣におったで』

「……ほんとにその人の隣にいたの?」

『今もそのまま立っとるんやけど』

「ていうか、私もそのお兄さんの隣にいたんだけど」

『は?』


 ミオリは呆れるほど間抜けな声を出した。何にも気づいてないらしい。私は軽く息を整えた。


「あのさ、ミオリ。おかしなことになってる」

『うん?』

「私たち、同じ人を見てる。同じシャッター音が聞こえるくらいそばにいるんだよ。だけど、」

「だけど?」


 お互いだけが、見えてない――。


 息のように、私は言った。


**


 ややあって聞こえてきたものに面食らう。電話の向こうで上がったのは、何の強がりも動揺も含まれない、晴れやかな笑い声だった。


『うっそぉ。ははは、おもろいやんー』

「ミオリ! 私、ふざけてないよ!? わかったよね、私たち、同じとこにいて同じもの見てるって。なのに、お互いだけ消えてる。そうとしか思えない……」

『うん、どうやらそうみたいやね。不思議やな、私には私が見えとるけど、ユイには私が見えへんのか。ま、お互い様やね、私にもユイが見えへんし』

「ミオリ、あんた、なんでそんな落ち着いて……」

『あわててもしゃあないやん。ええやん、なんか変なっとるけどそれはそれで。こういうのは楽しまなあかんねん。落ち着きや、ユイ』


 ミオリにそう言われて、私はつい口をつぐんでしまった。なんだか、あわてていた自分のほうが変みたいに思えてくる。


「で、でもさ……そしたら今日はどうすんの? ふたりで遊ぼうと思って公園に来たのに、これじゃソロだよ。せめていったん切ってビデオ通話にしない?」

『んー。でもなんか変な状況やし、もう一度つながる保証ないやん? とりあえず、このまま話しながら歩かん? 会話が途切れるとアレやし、しりとりでもしよか』

「それテーマパークのアトラクション待ちで限界まで退屈したとき、最終手段でやるやつだから」

『ほな、間違い探しでどうや』

「何をどうやったら電話で間違い探しができるわけ?」

『真面目な提案やで。ほんまに同じもん見てるかどうか確認しながら歩くんや。そしたらなんでも共有できるし、楽しない?』


 スーパーポジティブシンキングだ、ミオリ。私もなんだか、電話しながら散歩するのが当初からのプランだったみたいに思えてきた。


「わかった、いいよ」

『ほな決まり!』


 声が輝いた。顔の見えない電話の向こうで、きっとミオリの笑顔は花開いている。


『じゃっ、さっそくスタートや。えっと、現在地は太陽の塔の真正面やんな? ここから右ルート左ルート、どっち行く?』


 ――どちらにいきますか?

 ▶みぎ

  ひだり


 ゲームみたいになってきたなと私は肩をすくめた。そう、太陽の塔の前の道は、中央口から左右に分かれている。円形の広場に沿ってカーブしながらゆるやかに上り、途中でそれぞれ別方面への道に接続していくが、辿りきればどちらも太陽の塔の裏手につながる。


「私、まず太陽の塔の裏側が見たいと思ってて。その場合、わきに逸れなければどっちに行っても同じだよね? てことで、ミオリ、決めて」

『わかった。ほな右な』

「オッケー」


 見えないし気配もないけど、ミオリは本当にいつも通りだ。私は忘れていたソフトクリームを一口ぱくりとやり、見えないミオリと一緒に歩き始める。


「上り坂、きつい」

『えー。こんなちょっとの坂で。ユイ、運動不足やばない?』


 ……そのへんの指摘は無視しておこう。


「太陽の塔って、あれだよね。時を表しているんでしょ?」

『そうや――て、めっちゃ話そらされた気がするけどまあええわ。正面の太陽は現在、上の金色の顔は未来。後ろにあるのは黒い太陽で、それが過去。万博開催当時は、「地底の太陽」っていう第4の顔もあったらしいねんけど、今はどこにあるか分かれへんのやって』

「へえ。古代のものならわかるけど、50年かそこらしか経ってない展示物が所在不明って、ちょっと意外」

『そやね』

「それに過去を表すのが黒ってのもね。岡本太郎、後世に黒歴史って言葉ができるのを知ってたのかなあ」

『マジメに言うと、その黒の意味は確か「植民地主義への挑戦」とかなんとかやったはずやで。個人的には、シンプルに暗黒時代ってのを象徴したんかなって感じとるけど』


 ふうん。ミオリに見えないのはわかっていて、私は頷いた。


「なるほど、昭和の万博って1970年だもんね。第二次世界大戦もまだそんな過去じゃないし――振り返れば、確かに暗黒時代には違いなかったかも」

『なに過去形にしとるん。戦争が暗黒なら、今だって暗黒時代や』


 さらりとした口調でなかなか尖ったことを言われて、私はほぉ、と、うなる。


「それもそうか。ウクライナとか、ガザとかね。日本はとりあえず違うけど」

『――え?』


 ミオリが突然、聞き返した。大きくはないが鋭い声が、油断しきっていた私を一気に緊張させた。


「ちょ、な……いきなりやめてよ、びっくりするし……」

『ユイ。日本、戦争中やで?』

「は?」


 今度は私が、間の抜けた返し方をしたのだと思う。ミオリの声にわずかに含まれていた厳しさが、急激に増大した。


『日本は戦争中や言うとんねん。2019年の終わり頃にぱらぱら起こった小競り合いがそのままあっちこっちの火種になって、今じゃ戦争しとらん国がどこなのかわからんくらいやん。日本だって、今のところ見た目だけは普通の生活を続けとるけど、いつどこに何がとんでくるか――』

「ちょちょちょ、ちょっと待った! ミオリ、いったい何を話しているの!?」


 思わず遮って、私はスマホを握りしめた。


「ちょっと確かめようよ、ミオリ。2019年の終わりって言ったよね。私の記憶では、そのへんからコロナの流行があって――」

『は? コロナってどこのファッションブランドや。なんでいきなり流行の話するん』

「ミオリ、コロナの流行、知らないの?」

『流行とかあんま興味ないねん』

「そうじゃなくて!」


 そうじゃない。そうじゃないんだ。私が知っている2019年の終わり頃。その頃みなが関心を持っていた、いちばん不気味なニュースといえば、「中国で今までにない肺炎が流行の兆しを見せている」こと、だったはず。

 のちに新型のコロナウィルスによるものとわかったその病気が、国と人々を右往左往させたのは確かだ。個々ではなく社会そのものが、ひどい感染症にかかって高熱に浮かされた。

 だけど――それはミオリの言う「戦争」とは、まったく違う。

 身体中を、ざざあっと冷たいものが這っていった。


「……あんた、ミオリじゃない、の……?」


 スマホに表示されたのは間違いなくミオリの名前。電話の向こうの彼女はミオリでしかない。それは、話している私がいちばんよくわかっている。


 でも、

ミオリだけど、――。


『ユイ。間違い探し、いっこ見つかったみたいやね?』


 ミオリが言った。無理してる、すぐわかる。それでも彼女は、いつものような明るい声で言おうとしていた。


『でも、ユイがしゃべっとる相手は間違いなくミオリで合うとるで。たぶん私は、ユイの世界と違う世界の ザザ きっと、これ ザザ なにかどこかでまちがっ 世界が混線――』

「ミオリ、ごめん。ちょっと雑音。声もとぎれとぎれになってる」


 ざざ。ザザ。

 不意に、雑音の後ろに、心をかき乱すような音がかぶさった。三つの音が作る不快な和音――普段聞かないサイレン音。ミオリは口をつぐみ、入れ替わるように男性の平たい声が、スマホの奥から聞こえ始めた。園内放送が聞こえているらしい。


――ミサ ル発 情報 サイル 情報 当地域に ザザ  るおそれ ザザ――


「ミオリ、ねえ! ミオリ聞こえる? 何が起こってるの!?」

『聞こえ けど ザザザザ 散歩はもうやめ とりあえ ザザ どっか逃げんとあかんく ザザ ――あ』


 雑音が多い。私は耳をスマホに押し当てる。


『やばいわ。たぶん終わりや』


 クリアに聞こえた。


『あー……嫌やな、なんでこんな雲もなんもない青空……おかげで運命予測ができてしまうやん……』


 青空?

 ミオリ、それも変だ。今は、太陽の塔もかすむくらいの曇り空のはずだよ――。

 私はそう言おうとした。


『さよならや、ユイ。そっち、平和なんやな ザザ 良かっ ザザ ――な――』


 だが、できなかった。

 電話は唐突に切れた。


**


「ユイ? ユイ!」


 急に肩を叩かれて、私ははっとした。

 振り向いたところに、彼女はいた。ボーダーのトップスにロングスカート、編み込んだ茶色の髪と明るい瞳。私のよく知っている――


「ミオリ――」

「あんた、なんでこんなとこにおるん。帰る場所見失って、どっか謎の方角にてくてく歩いとるんちゃうかと思ったら、ほんまに変なほうに歩いとるし。てかスマホ。手に持っとるのになんで連絡せえへんのや」


 ミオリは何の屈託もなく、私の顔をのぞきこんでくる。

 私はぼんやりとそれを見返すしかなかった。


「ミオリ、さっき電話くれた……?」

「? してへんで」


 のろのろとスマホの画面を確かめる。通話履歴は確かにある。ミオリからのが。

 だけど、それを言っても、目の前のミオリはきょとんとするだけで終わるだろう。


「ま、とにかく合流できたし良かったわ。ほな、まず太陽の塔の裏、見にいこか? 行きたい言うてたやろ」

「……あ、今日はそれはなしで。なんか……その、気が変わったっていうか」


 ドキッとして断ると、ミオリは天を仰ぎ、笑いながら言った。


「黒い太陽なんか見たら気が沈むか。朝から曇り空やったしね」

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混線 ーー「太陽の塔」のひざもとでーー 岡本紗矢子 @sayako-o

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