【新】或る日、意識を失って。※改稿版
崔 梨遙(再)
1話完結:約4400字。
10年前、というにはまだそこまで時間が経っていない。数年前のこと。
僕は会社を辞め、独立して、1人、フリーのコンサルタントとして活動していたが、経営に行き詰まっていた。最初の2年くらいは良かった。だが、最後の方は赤字が続き悩んでいた。何回も、人に裏切られた。お金が絡むと変わる人が多い。
新規事業を企画してくれと言われ、僕の企画が採用された。口約束だった報酬は支払われなかった。長い付き合いのお客さんだったので、信用していた。ショックだった。新しい研修プログラムを作ってくれと言われた。契約書はあったが、踏み倒された。僕が裁判には持ち込まないと思ったのだろう。確かに、数百万のことなら裁判に持ち込んでいたが、数十万のことだったので泣き寝入りした。裁判に手間暇をかけている場合では無かったのだ。知人の兄の経営する会社が新規事業を始めることになり、2ヶ月間休み無しで事業を軌道に乗せた。固定給はもらったが、話にあった歩合はもらえなかった。新しい企画を一緒に進めようと言われ、知人の知人の会社と提携した。僕が提案したアイディアは採用されたが、“後は、こちらでやるから”と、除け者にされた。その後、企画倒れになり、責任だけこっちに振られそうになった。中小企業の採用担当の代行をしていたら、後付けで最初の話よりも遙かに多くの仕事を振られた。割りに合わないと思ったので辞めた。他にも、いろいろなことがあった。
僕は、人間を信じられなくなった。世界中の人間が、僕を陥れようとしているのではないか? そんな妄想が膨らみ始めた。僕は営業しなければいけないのに、家から出るのが怖くなっていた。何度か、人に裏切られる度に外に出るのが怖くなったことがある。しかし、その時は重症で、僕は家の中で寝込んでしまった。
そこへ、父が現れた。父の家は社宅、僕のマンションの近くにあった。僕達は、交通の便の良い賑やかで大きな街に住んでいた。父は定年となり、社宅を出ることになった。そこで、“一緒に静かな街に引っ越さないか?”と言ってくれた。そこで急遽、僕も引っ越すことになった。僕を裏切り、陥れた人達に対する憎しみを抱いたままの引っ越しだった。憎い奴等、あいつ等がちゃんとお金を払ってくれていたら、黒字経営だったのだ。引っ越した先は、ビジネスには不向きな静かな街だった。僕はそこで、疲れきった心のリハビリを始めた。
だが、僕は気を失って倒れた。夜にリビングで倒れた僕を、朝になって父が発見したらしい。父が救急車を呼んでくれたのだ。最初は、僕が消化器系を痛めているのがわかっていたので、内科に運ばれた。僕の胃、腸、十二指腸、食道には潰瘍が出来ていたが、薬を飲めば治るレベルのものだった。朝、意識不明で病院に運ばれたが、意識を取り戻した僕は夜には病院を出られた。一人暮らしのままで発見されていなければ死んでいたらしい。
その1週間後、僕がまた夜に意識を失って倒れているところを、朝になって父に救われた。また、救急車を呼んでくれたのだ。その時、僕は意識を失いながらうわごとを言っていたらしい。それで、今度は精神科に運ばれた。
そして、僕は意識を失った状態で夢を見た。といいたいところなのだが、それは夢ではない。何故なら、夢は忘れるが体験は忘れない。僕は、意識を失っていた時のことを忘れない。今でもハッキリと思い出せる。だからきっと、それは夢では無く体験なのだ。
僕は真っ暗な世界にいた。床も壁も天井もわからない。その空間が狭いのか広いのかもわからない。僕は宙に浮いていたと思う。踏ん張る地面(床)が無いのだ。普通なら不安で仕方が無いはずだが、何故か恐怖感は無かった。無だった。喜怒哀楽、全ての感情を失っていた。恐怖感も無かったのだ。ただ、無の空間を漂っていた。
しばらくすると、明かりを見つけた。本能的に明かりを求め、そちらへ泳ぐように漂う。明かりが徐々に近付いて来る。もう少しで明かりに手が届くという時、僕は明かりの中にグッと吸いこまれた。
明かりの向こうに出たら、そこは法廷のようなところだった。めちゃくちゃ大きい、めちゃくちゃ広い法廷だった。屋根は無い。野球場やサッカー場のような場所だった。明かりの中に吸いこまれた僕は、その法廷に放り投げられたのだった。
すると、赤ら顔の大男が言った。
「お前に問う! お前は何者だ?」
「僕は、崔梨遙だ!」
「違う、人が勝手につけた名前などここでは無用だ。問う、お前は何者だ? お前は何をしてきた?」
そう言われると、咄嗟になんて答えたらいいのかわからなくなった。
「それでは、問い方を変えよう。お前は、このコインに生まれてくる意味があると思うか?」
「そんなコインに、生まれる意味なんか無いやろう?」
「では、コインになってみろ」
僕の身体は100円玉になった。大男に拾われ、指先で跳ね上げられた。クルクル回って宙を舞うコインの僕。
「「「表!」」」
「「「裏!」」」
会場が騒がしい。僕はそのまま地上に落下した。衝撃がコインの身体、全身に行きわたる。痛い! 痛いなんてもんじゃない。だが、声を上げるのが悔しくて、僕は歯を食いしばって耐えた。そんな僕を、大男が踏みつけた。
「表か裏か? 人は時として自分の道をコインに委ねることもある。コインにも生まれた意味があるのだ。コインで物を買うことも出来るしな。なのに、お前は人間に生まれたのに、自分が何者なのか? 自分が何をしてきたのかもわからないのか?」
何か答えたかった僕は言った。
「僕は、藻掻く者だ。どんな状況でも足搔いて藻掻く。僕はそうやって生きてきたんや!」
「そうか、ならば足掻き、藻掻いてみよ!」
僕の身体はコインから人の形に戻され、遠く放り投げられた。
気づいたら、床も壁も天井も真っ白な空間に放り込まれた。僕以外にも様々な年齢の男女が7~8人いた。そこで、声が響いた。
「その部屋から自力で脱出しろ。出口はある」
僕達は、手探りで出口を探した。探し続けた。だが、出口なんて全然見つからない。どれだけの時間が経ったかわからない。時計が無いのだ。多分、何日も僕等は出口を探した。不思議と空腹感は無かった。僕等は飲み食いしなくても耐えられる身体になっていたようだ。飢え死にしないのなら、時間は無限にある。それなのに、1人、また1人と、見つからない出口を探すのを諦めていった。そして、気づくと、真面目に出口を探しているのは僕1人になった。
「いつまで探してるんだよ、無駄だよ、もうやめろよ」
「そうよ、きっと出口なんか無いのよ。私達は出口があるって騙されたのよ」
「そうだそうだ、無駄なことはやめちまえ」
みんな、口々に出口を探し続ける僕を止めようとした。だが、僕には確信があった。神仏は絶対に嘘をつかない。
「いや、出口が見つからないのは僕達が未熟だからや。きっと、出口は人智を越えたところにあるんやと思う。人智を越えているからといって、神仏を否定したらアカンで。神仏が“出口がある”と言うなら、絶対に出口はあるんや」
すると、
「その通りだ」
僕は襟を掴まれて後ろに引っ張られた。僕は白い壁を抜けて別の所へ連れて行かれた。誰が襟を引っ張っているのか?確認したかったが180度後方は見えない。結局、それが誰だかわからなかった。
次に放り込まれたのは賢人達の会議の場だった。言語学、数学、物理学、哲学等々、様々なジャンルの賢人達が、何か“お題”を用意してその“お題”について語り合っている。僕は、そこへ放り込まれた。
「この件に関して、数学的見解では……」
「いやいや、物理学的な見解だと……」
「哲学的に見れば、こういうことになるのだが……」
何時間もかけて、“お題”について全員が納得出来るまで話し合う。だが、1つのお題が解決すると、また新たな“お題”が出て来るだけ。こんなの、永遠に終わらない。ちなみに、彼等は意識体なので定まった形は無い。だが、僕がイメージしやすいように人の形でいてくれた。僕は退屈で仕方が無かった。だが、慣れてくると、僕も自分の考えを述べられるようになっていった。
すると、また襟を掴まれて引っ張られた。
「よく頑張った」
「あの人達は神とか仏様なんですか?」
「いや、神や仏になる手前の連中だ。あのレベルでは、まだ神仏にはなれない」
次に放り込まれたのは河原だった。浅そうな広い川。太鼓橋がかかっていた。川の向こう岸に、20年程前に亡くなった母が微笑みながら立っていた。
「あ、お袋がいる」
僕は橋に足をかけようとする。すると、母が、
「来るな-! 来るな-!」
と言う。足をかける、“来るな!”と言われる。それを繰り返し、橋から足を離すと母はニコニコする。
どうすればいいのか? わからないまま川のこちらとあちらで見つめ合う
すると、また襟を掴まれて後方へ引っ張られた。
「もういだろう!」
次は、また真っ暗な空間に放り込まれた。僕は受精卵になっていた。これから身体を作らないといけない。遺伝子からなのか? 何をどうすればいいのか? 指示が来る。声では無い。頭の中に直接呼びかけられるような感覚。指示通り、臓器を作り、体を作る。これが、骨の折れる作業なのだ。段階があって、その段階まで集中して身体を作らないと、また元に戻ってしまう。輪ゴムのようなものだ。輪ゴムを引っ張って、どこかに引っかければ良いのだが、引っかける前に手を離したら輪ゴムは元の位置に戻ってしまう。そんなことの繰り返しで、身体全体が作られていく。
「生まれるのも大変なんやなぁ」
と思った。
そして、ようやく身体が出来上がったと思ったら、身体が押し出される感触があった。いや、押し出されるのではなく、自ら出ようとしているのか? 僕はドリル式でまわりながら進んだ。やがて、明かりが見えた。僕は、生まれたのだ。真っ白い輝きが目の前を覆った。
景色が変わった。同じ白色光だが、どこか違った。微妙に色が違うのだ。しばらくボーッとした。頭が回らない。白色光の中、僕は何も考えられず、何も感じられなかった。
だが、突然、気づいた。ここが病院で、自分がまだ生きていることに。
「僕は、まだ生きてる?」
暖かかった。何かわからないが、何か暖かいものに包まれていると感じた。暖かい。本当に暖かい。身体だけではなく、心まで暖かくなる。全ての憎しみも、恨みも、嫉みも、怒りも、僕の心の中から消えていた。ただ、人が恋しかった。全ての人間を愛しいと感じた。憎かった人達まで愛しかった。まるで、心が白紙に戻ったような、心が洗濯されたような、そんな気分だった。僕の心の汚れがキレイに落ちていた。
死ぬのって、思っていたより怖くない。
生きるって、なんだかとても暖かい。
意識を取り戻した僕が最初に呟いたのは、この世の全てに対する
「ありがとう」
だった。
やはり、その時も一人暮らしのまま発見されていなければ死んでいたらしい。
【新】或る日、意識を失って。※改稿版 崔 梨遙(再) @sairiyousai
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