本編

(1)岡太おかもと神社・大滝神社鳥居前

「こんにちは」

 髪が長くて色白の、きれいなお姉さんだ。

「中に入らないの?」

「え」

「ごめんね急に声かけて。びっくりするよね。私、ボランティアで案内ガイドやってるムラサキっていいます。よかったらこの神社みていかない?そんなに時間もかからないし、つまんなかったら途中で抜けてもいいし。ねっ」

 聞き取りやすいやさしい声。思わず頷いてしまった。

「よかった!あ、階段上る前に一揖いちゆうね」

「いちゆう?」

「お辞儀して端から入るの……はい、よくできました。この神社は昔『大滝寺』でもあったのよ」

 階段を上る途中もお姉さんは話し続ける。

「この両側にある二本の木、何だかわかる?」

「えっと、イチョウ……ですか?」

「正解!境内にも何本かあるの。イチョウって火に強くてね、燃えにくいから防火のために植えてるんだけど、和紙の里の人達には馴染みが深いの。紙を乾かすのにイチョウの板を使うから。紙漉きって見たことある?」

「ない、です」

「この辺工場がまだ多いから、そのうち見学する機会もあるかもね。六年生になったら自分の卒業証書を自分で漉くし」

 へえ。

 階段を上り切ると坊主頭のお爺さんと女の子がいた。


(2)神社境内

「ムラサキさん、いきなり盛り込みすぎじゃないかね」

 お爺さんがからかうように言った。

「そう?私の悪い癖ね。あれもこれもいいたくなっちゃって」

「いえ、ぜんぜん大丈夫です」

「わたしミヅハ。おねえちゃんは?」

 いつのまにか女の子がすぐ目の前にいる。

「ハルノ、です。小五です。ミヅハちゃんは何年生?」

「1500ねんせい!」

 可愛い。二年生か三年生くらい?

「ミヅハちゃんそりゃ親父ギャグってやつだよ。あ、僕はタイチョウ。ミヅハちゃんよりちょい下の1300歳ね」

「ハイハイ二人ともいい加減にして。まずは手水舎てみずやで手と口を浄めましょ」

 鳥居をくぐった左に手水舎がある。やり方は知ってる。柄杓ひしゃくで水を汲んで左右の指を流し、手に水を受けて口をすすぎ、最後に柄を浄めて元に戻す。

「上手ね。慣れてるわ」

 ムラサキさんに褒められた。お母さんに習っておいてよかった。

 境内は思っていたより広くて、何本もの杉の木に取り囲まれてる。左斜め前に大きな石垣と階段。あの上にお社があるらしい。

 蝉の声、鳥の声、風に揺れる枝葉の音がするけど、なんだか静かだ。

「足元気をつけてね」

 鳥居からまっすぐのびる石畳は、少し緑がかった不思議な色だ。

「これは笏谷しゃくだに石といって福井産なの。もう今は新たに採ることができない貴重な石。きれいだけど濡れると滑りやすくて、雨の日は大変……」

 何の音?

 馬だ。

 馬のひづめの音。

 どんどん近づいてくる。

「きゃっ!」

 思わず悲鳴を上げるとタイチョウさんが

「コラっ!山に帰れ!」

 と叫んだ。ひづめの音は一旦通り過ぎるとまた戻って、遠ざかっていった。

「すまないねハルノちゃん。大昔からこの辺を守ってる神様が、馬の姿で時々下りてくるんだ。新しい子が来たっていうんで嬉しかったんだろうね」

 タイチョウさんは笑顔だ。

(神様って……冗談、だよね?)

 ムラサキさんもミヅハちゃんも特に驚いた様子はない。

 左をみると大きな馬の像。

(……録音が流れるようになってるのかな?) 


(3)神社里宮

 石畳を左に折れ笏谷石の階段を上ると、みたこともない形の大きなお社が見えてきた。ムラサキさんが話し始める。

「はい、こちらが里宮さとみやになります。お参りの前にまず、岡太神社についての説明しますね。創建は、社伝によれば約1500年前。推古天皇の御代に大伴連大瀧おおとものむらじおおたきにより勧請されました。その後、白山を開いた『越の大徳だいとこ』と称せられた―」

「ムラサキさん長い長い。それに堅すぎ」

 タイチョウさんが割り込む。

「ああごめんなさい、つい。簡単にいうと、紙の神様がいらっしゃる神社なの。昔々に女の人が現われて、

『この地は田畑が少ないが、清らかな水と木々に恵まれている。これからは紙を漉いて生計をたてるがよい』

 と話して紙漉きの秘法を村人に伝授したんですって。『この川上に住まうもの』とだけ言って川の上流へと消えたから、川上御前と呼ばれて紙祖神……紙の神様として祀られるようになったそうです」

「けっこう古いんだよね。僕が来るずっと前からあったらしいから」

 タイチョウさんがまた口を挟んだ。

「みずのかみさまがもとからいたんだよ。かわかみごぜんは、あとからいっしょになったの」

 ミヅハちゃんも。

「あの、二人ともこの辺に住んでるんですか?」

「そうだよ、ずいぶん長い事ね」

「ハルノおねえちゃん、こっちこっち!」

 ミヅハちゃんが手を引っ張ってお社の左側に向かう。ムラサキさんも後を追って説明を続ける。

「さすがねミヅハちゃん。こちら側が一番キレイなのよ。テレビ番組や雑誌でよく出てくる映像や画像は、この角度からが多いの。屋根が二重になってるのもよくわかるしね。江戸時代、天保期の作です」

(すごく細かい彫刻)

「それはね、中国の故事……遠い昔から今に伝わるお話、を題材にして彫ってる。ひとつひとつ説明する?」

 ムラサキさん嬉しそう。が、すかさずタイチョウさんが突っ込む。

「待った待ったムラサキさん。小学生には厳しいって」

「そっか、まだ漢文習ってないか。ごめんごめん。昔の私は一の字も書けないって顔してたのにねウフフ。ハルノちゃん、興味が出たら調べてみてね」

「おねえちゃん、つぎはこっち!」

 本当いうと少し聞いてみたかったけど、またもやミヅハちゃんに手を引っ張られた。

 お社の右側、四角い建物の前でムラサキさんが説明を始める。

「此方は神輿みこし殿で、四基の神輿が保管されてます。実を言うと、川上御前は普段山の上の、奥の院というところにお住まいなの。五月のお祭りの時だけお神輿に乗って、里宮に下りていらっしゃる」

 よいさ、よいさ、よいさ、よいさ

 太いかけ声が境内の奥で響く。

(これも録音?)

 タイチョウさんが語り出す。

「春の祭りの最終日はね、渡り神輿といってこの辺の神社を全部回る。最後にここでひとしきり『揉む』んだよ。山に帰ろうとする神様を、いやいやまだいてくださいって押し留めることを繰り返して、たっぷり名残を惜しむんだ」

 賑やかな声は大きくなったり小さくなったりしながら、次第に離れて消えた。

「ハルノちゃん、お参りしましょう」

 ムラサキさんに呼ばれ、再び里宮の正面に回った。

「二拝二拍手一拝」

 四人並んで手を合わせた。

(夏休み明けの学校ですぐ友達ができますように)

(家族みんな健康でありますように)

 どこからともなく雅楽や歌が流れて来た。

「お祭りの最初と最後に、地元の女の子四人がここで浦安の舞を舞うの。ハルノちゃんもそのうち舞うことになるわね」

 タイチョウさんが付け加える。

「川上御前が村人に紙すきの技を伝授する紙能舞かみのまいもある。川上御前役はやっぱり地元の女の子。あと、教えられた技をもとに紙漉きする紙神楽かみかぐらというのもあって、こちらは男の子が大勢参加する」

(へえ、面白そう!)

 ムラサキさんが言った。

「さて、今日のところはここまでかな。まだまだ細かいお話たくさんあるんだけど、あんまりいっぺんに言ってもね」

 頷くタイチョウさん。

「そうだな。陽も傾いてきたしお開きにするかね」

 四人で階段を下りきったところで、ミヅハちゃんが私の手をぎゅっと握った。

「ハルノおねえちゃんもいこう!」 

「行くって、どこに?」

「やま!」

 石畳の上を、来た方向と逆に走り出した。

(速い)


(4)奥の院への入口

  奥の院に続く山の入口、石の鳥居の前でやっとミヅハちゃんが止まった。タイチョウさんがとおせんぼしてる。

「どうしてとめるの?わたし、ハルノおねえちゃんといきたいのに」

「ダメだよミヅハちゃん。もうすぐ暗くなる。危ないよ」

 ざわざわざわと木々の鳴る音。

「わたしがいればへいきだもん!いっしょにいくんだもん!」

「ミヅハちゃん、ハルノちゃんが気に入ったのね。でも、ハルノちゃんこれからここに住むのよね?」

 私は何度も頷いた。

「いつでも会えるじゃない。今日はもう遅いから、ね?」

「いやだ!」

「わがまま言わないで」

「いやだいやだ、い や な の !」

(眩しい)

 突然の強い光。

(あつい)

 燃えてる?

 見る間に炎に囲まれた。

「ああ、えらいこっちゃ」

「ハルノちゃん、こっち」

 タイチョウさんとムラサキさんが二人で盾になってくれた。ムラサキさんが叫んだ。

「ミズハちゃん、やめなさい!こんなことしたら皆しんじゃうよ?」

 おおおおおおという音がわんわん響く。

「しんじゃう?そう、みんなしんじゃうんだよ。いなくなっちゃうんだよ。どんなになかよくしてても。ここだってもえちゃった、きえちゃった。みんなみんなみんな、み ん な き え た」

 ミヅハちゃんの叫びと一緒にキン、キンという金属音。大勢の足音。雄たけび。馬のひづめの音、いななき。

「ハルノちゃん、大丈夫だからね。昔ここで戦いがあって、山も神社もすっかり焼けちゃったことがあるの。だけどそれはずっとずっと前のこと。今起こってることじゃない」

「ハルノおねえちゃん、いっしょにきて。ずうっとわたしといっしょにいて!」

 ミヅハちゃんの声が耳を突き刺す。

 こわい。

 頬がちりちりする。

「まったく……仕方ないな」

 タイチョウさんがぶつぶつ何か唱え始めた。

「破ッ!!!」

 声と同時に炎も音も一気に消えた。

 蝉の声。

 ミヅハちゃんのすすり泣き。

「ごめ……ごめんなさ……」

「よしよし、帰ろうな」

 タイチョウさんの声。見上げると、二つの、大きさの違う光の玉がふわふわ山に向かっていく。

「ハルノちゃん、これに懲りずまた来てくれよ!」

 ミヅハちゃんの泣き声が一層大きくなったかと思うと、みるみる遠ざかっていく。

「ミヅハちゃん!タイチョウさん!私また来るから!絶対!待ってて!」

 思わず叫んだ声が届いたか、二つの玉は一瞬ピカっと輝いて、すうっと山の奥に消えていった。

 ムラサキさんが言った。

「さて、私もそろそろ戻らなくちゃ。ハルノちゃんも、もうすぐ五時だし帰る時間ね」

「ムラサキさん、ムラサキさんはどこに住んでるんですか?ミヅハちゃんやタイチョウさんも……また会えますか?」

 ムラサキさんはにっこり笑って、

「私ね、もとは京都なんだけど、ご先祖の神様が奥の院に祀られてるものだから時々こうして呼ばれるの。ここの紙はたくさん使わせてもらったしね」

 と言った。

(京都?紙をつかった?)

「私の一族の神様は言霊を司る神。私は、物書きなの」

(もしかして)

「初めて大河ドラマにもなったわね。ちょっとはずかしいけど、でも嬉しいわウフフ」

「まさかムラサキさんて、紫しき……」

 ざああああっと風が吹いた。

「ひゃっ」

 思わず目を瞑り開けると、もうムラサキさんの姿はなかった。

 西向きの境内に夕暮れの光が斜めに差し込む。蝉の声。

「ま、待って!」

 ムラサキさんの声が上から聞こえる。

「ハルノちゃん、脅かしちゃってごめんね。ミヅハちゃんも、タイチョウさんも、私も、ずっとここにいるから。ずっとそばにいるからね」

 さ よ な ら

 何人もの声が重なったように聞こえた。

 なんだか悲しくなって泣いていると、肩に手をおかれた。

「ハルノちゃん、おいで」

「もう夕方やし帰らなね。天狗さんが出るでの」

 柔らかい声。

 目が涙で曇ってよく見えないけど、優しい顔をしたお爺さんとお婆さんだ。

(私、この人達を知ってる)


(5)再び境内から鳥居前へ

 石畳の道を戻りながら、二人は色々話をしてくれた。

「秋にも祭りがあるで、山に上るんならその時いけばいいわ。大勢いるでの」

「はい」

「あと大晦日の夜も、皆初詣で上るんやで」

「へえ!」

 聞いているうちに涙も引いてきた。

 鳥居をくぐると二人の姿はふっと消えた。

(私のおじいちゃんおばあちゃんだよね?だって、家の仏間にある写真と同じ顔だもん)

 微かな声がまだ聞こえる。

 ……ムラサキさんは紫式部。越前に一年半いた平安時代の作家さん。

 タイチョウさんは泰澄大師、岡太神社を作ったお坊さん。

 ミヅハちゃんは……みづはのめのみこと。川上御前より前からいた子。 

 みんなここの神様や。私らも。

 本当にようなった。ありがとね。

 またおいで。


(6)岡太神社・大滝神社鳥居前

 気がつくと鳥居前の階段下にいた。

(夢だったのかな。でも、今言われた名前全部覚えてる)

 紫式部、泰澄大師、みづはのめのみこと。

 みんなのこと、この神社のこと、この土地のこと、いっぱい調べてからまた会いに行こう。何度でも。

 たのしみ。

 さ、お家に帰ろう。

<了> 

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