変なマンションの家主の部屋に拉致される

「どうですか? 生まれて初めて最上階にまで拉致されてしまった感想は」


「空気が薄そうだ」


 オレは自分の事を『しのぶ』の中の人だとかという世迷い事を口にしたイカレ美少女に催眠音声で無理矢理に屋上まで拉致されてしまい、マンションの最上階の領域……ペントハウスにして音無静香が生活を過ごす空間にへと足を踏み入れていたのであった。


「遠慮なさらず深呼吸していいですからね。これから先の3年間ずっと、ここはご主人様の新しい生活の場にへとなるのですから」


 自分の住まいなのだから当然なのだろうが、慣れた様子で扉にカードキーを差し込み、勝手に開いたドアから玄関に入って行く音無さんの背中を、オレは恐れおののきながら眺めることしかできなかった。


 いや、カードキーって普通の生活で使いませんよね?

 せいぜいリゾートホテルとかの部屋で使うぐらいですよね?

 オレの部屋の鍵、普通の鍵なんだが……何なんだろうこの格差は。


「もうこの時点で住んでいる世界が違うという事実が突きつけられるんだが」


 オレの足が止まっていることに気づいた彼女は、オレに対して気を遣うような苦笑いを浮かべながらこちら側に戻ってきて、先ほどやってみせたようにシャツの袖をくいくいと軽く引っ張ってきた。


「もう。何を怖気づいているのですか? ここは私の部屋であるのと同時にご主人様のもう1つの住まいなのですよ? 新居ですよ新居。愛の巣ですよ愛の巣!」


「いや、勝手にオレを住まわせないでくれないか。そもそも、さっきから一体何なんだ、そのご主人様って呼び方は」


「? もしかして気に入りませんか? 私の家って、お母様がお父様に対してそう言っておりましたので、てっきりそれが普通なのかと思ったのですけれども」


「普通じゃない。そんなのは金持ちの家なら当然かもしれないけれど、生憎とオレは一般家庭の出だからどうも背中の辺りが、こう、むず痒くなって仕方なくなる」


「もしかして……気に入らない、とか?」


「気に入らないというか……音無さんの声でそう呼ばれると違和感しかないんだ。オレにとってその声はと呼ばれる為にあると言っても過言じゃなかったからな。その声でご主人様って、そんなのオレにとって解釈違いでしかないんだ」


「あぁ、なるほど。でしたら、お兄ちゃんとお呼びしましょうか?」


「……心臓に悪い。呼び捨てでいいから名前で呼んでくれ」


 なるほど、と彼女はにっこりと笑い、優雅な動作で咳払い1つして。


「ねぇねぇ? 私なんかの催眠音声に簡単に引っ掛かちゃうクソザコ単細胞お兄ちゃん? 今度からしのぶ、お兄ちゃんの事をご主人様って呼んであげても――」


「――駄目だ! いいか⁉ よく聞くんだしのぶ! お兄ちゃんはな! お兄ちゃんなんだ! お兄ちゃんはご主人様なんかじゃないし、ご主人様はお兄ちゃんなんかじゃない! お兄ちゃんはしのぶと血の繋がった兄なんだ!」


「いえ、ご主人様と私には血の一滴も入っておりませんが。だからこそ、こうして結婚できる訳なのですが。赤の他人です。真っ赤すぎるほどの赤の他人なんですよ」


「オレとしのぶは! 血の繋がった実妹なんだ! もし仮にしのぶにご主人様呼びを強制させるクソ野郎が現れたらお兄ちゃんが八つ裂きにしてやるッッッ!!!」


「……頑な、ですね。とはいえ、その抵抗が段々無くなっていくと思うと乙女心がワクワクで高揚しちゃいますね……!」


 怪しい笑みを浮かべながら『しのぶ』そっくりの声帯を有する音無静香ではあるのだが、それでも彼女の表情にはどこか余裕の色が垣間見えて、こほんと再び咳払いをしたと思いきや。


「催眠解除」


 ……だなんて言葉を口にしたのと同時に、オレはお兄ちゃんから解放された。

 まるで今のは『しのぶ』がいつもオレにしてくれる催眠ASMRの感覚に似ている気がしてならないのだが、それは十中八九間違いないだろう。


「……やはり、お前がしのぶか。しのぶ、なのか……」


「はい。とはいえ、無理矢理に手籠めにするのは私の趣味ではありません。それに私の好感度が下がって催眠の免疫だとか抵抗力が落ちるのもアレですし、ここは大人しく奏斗くんの好感度稼ぎから入らせて頂きましょうか」


 観念したと言わんばかりに……いや、それすらも計算通りだと言わんばかりに彼女はにんまりと笑っては、俺の固くなっている表情を覗き込みに来る。


「安心してください、私は絶対に自分から奏斗くんを襲いやしませんので!」


「それオレの方が言わないといけない台詞じゃない……?」


「奏斗くんに私を襲うという選択肢が出た時点で私の勝ちですので何ら問題はありません。ほらほら足が止まっていますよ! さぁさぁどうぞ私の部屋に入ってくださいよ、奏斗くん!」


 入りたくない、しのぶがいる部屋に帰らせてくれ……とオレが駄々をこねていると、いよいよ業を煮やしたのか彼女は強引に引っ張っては催眠音声を駆使しながら抵抗が出来なくなってしまったオレを自分の部屋の中に連れ込む、もとい、輸送されていく。


 そんなこんなで無理矢理に入ってしまったリアルの女の子の住む空間は……非常に広かった。

 

 ざっと見た感覚では3LDK。

 いや、絶対にそれ以上の部屋数があるのが一見しても分かるぐらいのささやかとは言えないような、広々とした空間。


 部屋の雰囲気は全体的に黒や灰色といった大人しめの色で統一されており、女の子らしい可愛いというよりも、クールで素敵な美人が住むようなシックで洗練されたデザインの部屋であった。


「すみません、突然だったもので片付けは余りしておりません」


「……埃一つもなくない……?」


「ふふ。私には優秀なお手伝いさんがいますので。それとですね。家族やお手伝いさん以外でこの家に来たのは、実は奏斗くんが初めてなんですよ? ふふ、私の初めて、奪ってくれてありがとうございますね?」

 

 言い方に色々とクセがある彼女ではあるが、発言内容である女の子の部屋に入った云々は本当に事実だったものだから、オレはどうしようもないぐらいに意識せざるを得なくなる。


 彼女が言うとおり、ここは音無静香という女子が住む部屋。


 女子が。

 住む。

 部屋。


「……」


 思わず、緊張で生唾を飲み込んでしまうが、仕方ないだろう。

 だって、異性の部屋に上がり込むだなんていう経験はオレにも無いし、あってたまるか、そんな事をしているぐらいならオレはしのぶと同じ部屋でしのぶのASMRを聞いている。


 故にオレは精々、脳内で作った『しのぶ』の部屋に上がり込んで兄妹で仲睦まじい団欒を過ごす程度が限界なのである。


「ご覧の通り、私も奏斗くんと同じように1人暮らしをしております。社会勉強と言いますか、自立の経験と言いますか、人脈づくりと言いますか、社会の荒波で頼れるのは自分の資本だけと言いますか。ゆくゆくは両親の会社を乗っ取るつもりですので」


「それはまた……もの凄い目的だな……」


 後を継ぐではなく、わざわざ乗っ取るという言葉を使用する時点で彼女の性格は面白いというより、末恐ろしいとさえ思うのだ。

 

 取り敢えず、俺は彼女は色々と恐ろしい女子だという事が今までの事で何となく分かっている。


 だが、そんなことよりも恐ろしい事実がある。 

 それは今この部屋には、という事実。


 学校でされたように、彼女にキスでもされでもすれば。

 体育館倉庫でされたように、彼女に押し倒されてでもすれば。

 『しのぶ』の声で催眠されでもすれば。


 果たして、オレは今度こそ本当に自分を制御する事が出来るのだろうか……?


「……ふふっ、私で何を考えているんですか……?」


 そんなオレを彼女は面白いものでも見るような不敵な笑顔を浮かべてはこちらを一瞥したものだから、オレは突如として浮かび上がってきた邪な感情を取っ払うように頭を振り、ついでに自分の頬を力強く引っ叩く。


「音無さんが今考えているようなことじゃないから安心してくれ」


「え⁉ つまり、私と結婚するという事ですね!?」


「言葉足らずだった。非常に申し訳ない。それも違うんだ」


 不満だと言いたげに両頬を膨らませて、文字通りぷくーとして見せる彼女は大変に可愛らしくて、思わず庇護欲に駆られてしまいそうになってしまうのだが、当の彼女はオレの一切合切を支配してしまうオレ専用の催眠音声を発する声帯を有している。


 言ってしまえば、彼女はオレ特攻の生物兵器にして音響兵器。

 そもそもの話、彼女はオレが愛して止まない『しのぶ』の声帯を有している所為で、実質的に彼女はオレの妹である『しのぶ』を人質のように扱える事も可能なのである。


 そんなの文字通りの反則で、最初からオレには勝ち目なんてものはないのである。


 ――だからと言って、オレの好きを揺らがせて良い訳でもない。


 オレはあくまで中の人ではなくて、中の人が演じる『しのぶ』が、エロASMRerとして活動する際の彼女の音声が大好きなのだ。


 分かる人間には、分かるだろう。

 言葉にするのはとても難しい事ではあるけれども、どうか分かってくれると嬉しい。


 オレはあくまで『しのぶ』が大好きなのであって、中の人がオレを認知してオレを好きになるというのは、なんかちょっとこう、違うのだと――!


「そう言えば、今7時ですね。夕食も作ってませんし、そろそろお風呂に入らないとですね。ですが時間も押してますし、もうこのままに入ってしまいましょうか」


「――は?」


「はい。そういう訳でして――お兄ちゃん? しのぶと一緒にお風呂に入る為にも、そのクソザコ意識、落としちゃえ」


 常日頃から『しのぶ』のASMRで調教という調教を施されていたオレは為す術もなく、彼女のフェイントじみた催眠音声に抵抗する事も出来ないまま、意識を失ってしまった――。

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「オレ、キミの声が好きだ」と告白したら、彼女がエロASMRヤンデレお嬢様の妹を名乗る偽妹になって催眠音声で洗脳させてくる 🔰ドロミーズ☆魚住 @doromi

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